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急・異種獣人同士で子づくり!?ノァズァークのヒミツ編

45.『リリィの世界』(前)

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 リリィは頬を強く張られた。

 小さな体が地面に倒れてしまうくらいだ。切れた唇に土と血が染みた。

 だが、リリィの頬よりも祖母の手の方がずっと赤く腫れている。

 祖母は金切声をあげて、幼い孫の肩を揺すぶった。

「何度言えばわかるのです! 男のひとについて行っちゃいけません!」

「で、でも……」

 知っているひとだった。庭で花を世話しているときに、帽子を脱いで挨拶してくれた男のひとだ。

 通りがかるたびに花を褒めてもらえて、リリィは嬉しかった。

 男の家でも花を育てているが、すぐに枯れてしまうらしい。

 リリィは彼と会うたびに、あれこれ相談に乗ったが、どうしても上手くいかないようだ。

『うちに来て、花の世話をしておくれよ』

 そう言われると、放っておけなかった。

 祖母は日中、部屋で休んでいる。具合が悪いのに起こしたら気の毒だ。

 遠い場所ではないと男は言った。少しの間なら、留守にしてもかまわないだろう。

 庭を出たリリィと手をつなぐと、男は急に無口になった。

(かわいそうに。お花のことがとても心配なんだわ)

 早足になる男を励ましながら、道をしばらく歩いたところだった。

 祖母がおたけびを上げて追っかけてきた。

(ええっ)

 男がリリィを抱きあげ、走り出す。祖母がロッドを振りかざす。

 地面からモコモコと蔦が盛り上がり、男の足を捕らえた。

 蔦に絡めとられた男は宙づりになり、とうとうリリィを手放した。孫をスライディングキャッチした祖母の形相は物凄かった。撫でつけた白髪は乱れ、膝をスカートごとすりむいてしまっている。

 驚くリリィの頬を、祖母は張った。一言の言い訳も許さなかった。

「おまえの翅は封印してさえ人心を惑わす! 罪のないひとでも妖精の力にあてられて、いやらしい悪さを働こうとしてしまうのです。なぜそれがわからないのです……なぜこんなにも、祖母ばぁを苦しめるのです……!」

 枯れ木のような腕にひしと抱きしめられて、リリィは涙ぐんだ。

(私のせいで、こんなに苦しんでいるんだ……)

 リリィの小さな胸は、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

「ごめんなさい、おばぁちゃま。ごめんなさい」

「リリィ……」

 祖母はゼエゼエと辛そうに息をしていた。強い力を持った老妖精は、病に蝕まれていた。

「おお……なぜアジリニ神は、このような試練を与えるのか……」

 二人の頭上では、蔦に締め付けられた男が失神していた。

 祖母は日々の暮らしの中で、リリィにあれこれと言いつけた。

「とにかく大人の男のひとと話しちゃいけません。男の子とふたりっきりで遊ぶのもだめ……いいえ、女の子だとしてもだめ。もし暗いところへ行こうと誘われたら、ばぁに禁止されていると伝えなさい」

 日に日に弱っていく祖母に、リリィは逆らわなかった。

 買い物をする時も男のひとしかいない店は避け、近所の友だちから遊びに誘われても、それが何人かの集まりでなければ行かなかった。どのみちリリィは、祖母から料理や掃除などのこまごましたことを教わるのに忙しかった。

 祖母はなんでも知っていた。

 ある時はこんなふうに言った。

「必要なとき役に立てれば、ひとから嫌われずに済みます。ひとに聞かれたらなんでも教えてあげなさい。特に食べ物は、ほしいと言われる前に分けてあげること」

 またある時はこう言った。

「ひとの心に敏感になりなさい。おまえ自身が正しい生き方をしていれば、悪いひとを見分けられます。リリィ、長生きするには悪から離れておかなければなりません」

 成長したリリィは、祖母のどんな言いつけにも「はい、お祖母さま!」と従った。

 いい孫になりたかったからだ。祖母は厳しくて、リリィは「よろしい」以上の言葉をもらえたことがない。

 それでも教わったことを完璧にできるようになれば、いつかは褒めてもらえると思った。

 祖母は言った。

「ひとには愛想よくするのですよ、おまえの父はそれができずに他種族の恨みを買い、殺されてしまったのです……」

「はい、お祖母さま」

「だけど、誰に対しても完全に気を許してはいけません。優しかったおまえの母は、騙されて遠くへ売られてしまいました……ひ弱な妖精族を食い物にしようとする者はどこにでもいるのです……」

「はい、お祖母さま……」

 なんでも言うとおりにする。だから死なないで、とリリィは思った。

 祖母はリリィにとって、この世でたったひとりの味方だった。なんでも知っていて、どんな時もリリィを見捨てず、行くべき道を指し示してくれたのだ。いなくなったら、どうすればいいのかわからない。

 今わの際に、祖母はリリィに一通の手紙を託した。

「私が死んだら、この手紙を持って冒険者協会を頼りなさい。シラヌイは古い友人です。きっとおまえを助けてくれる……」

 リリィは、この時すぐに「はい、お祖母さま」と返事できなかった。

 応えなければ、祖母は怒ってくれると思った。しっかり者の祖母が、リリィを、こんな世間に面倒ばかりかける不出来な孫を、この世に置き去りにするなんてことが、あるわけがない。

 だが、祖母はそのまま死んでしまった。

 痩せたからだの輪郭がぼんやりと光る。朧月夜のような燐光は、火の粉のように爆ぜた。

 そのうち一粒がリリィの濡れた頬を撫でたけれど、形を残すこともなく消えていく。

 それがリリィにとって、初めての同族の死だった。
 
「ベゴニアの孫が俺を頼ってくるとは」

 冒険者協会の執務室を訪ねると、シラヌイは祖母の名前を口にした。

 赤い鼻で天を突き、感慨深そうに話す。

「ベゴニアは、冒険者協会を嫌っていたのだよ。息子は冒険者になったせいで殺されたと言っていた」

「そうなのですか……?」

「ああ。おまえの父さんは冒険者同士の小競り合いに巻き込まれたのだ。なぜ未然に防げなかったのかと俺は蔦でけちょんけちょんにされて……ベゴニアとはそれっきりだ。まさかその後、嫁まで失っていたとは」

「……お祖母さまは、あなたを古い友人だと言っていましたが」

「ふん……おおかたボケがきてたのだろう。別に仲がよかったことはない」

 シラヌイのそっけない返事に、リリィは軽く混乱していた。

 父が冒険者だったなんて話も、いま初めて知った。祖母は冒険者を毛嫌いしていたのだ。

(だけど……ひょっとしてお祖母さまは、このひとがいるから、お父さまが冒険者になることを許したのかもしれないわ。その信頼を裏切られたから……)

 リリィはそれ以上の推測を働かせられなかった。シラヌイが執務机にバンと手紙を置いたからだ。

「この手紙を、おまえは読んだのか」

 人あての手紙を読むような躾は受けていない。リリィが首を横に振ると、シラヌイは忌々しそうに言った。

「ベゴニアは、俺におまえの婿探しをするように書き遺している」

「えぇっ」

 リリィはびっくりした。花嫁修業のようなことはさせられていたが、まさか本気だとは思わなかった。

「どこに出しても恥ずかしくない、玉のように育てた孫だから、俺が知っているなかで、いちばん理性的で、優しくて、賢くて、強くて、たくましくて、将来性のある、可能であれば妖精族の――紳士を紹介せよと書いてある」

 どこに出しても恥ずかしくない、玉のように育てた孫――。

 思ってもみない評価に涙ぐむリリィに、シラヌイは「とんでもない話だ」と吐き捨てた。

「俺は仲人ではない。冒険者協会アルティカ支部の会長だ。たとえ知り合いの孫だとしても、紹介できるのは男じゃなくて、受付嬢の口くらいだ」

 リリィは話を飲み込めずに戸惑った。受付嬢というのが何かはわからないが、シラヌイは仕事を紹介してくれるらしい。

 シラヌイはきっぱりと言った。

「ベゴニアに何を吹き込まれたかはわからないが、妖精族だって自立はできる。おまえの父さんは立派な冒険者だったのだから」
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