少年勇者と廃雄塔の亡霊

佐座 浪

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第十一話 約束

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 ——塔の中層より少し下辺りにある、使われていない部屋の一つ。壁が崩れて、空が剥き出しになったその部屋を、鍛冶屋は待ち合わせの場所にした。

 朽ち果てて半分程度しか残っていない木の扉を開けると、彼女はもうそこにいた。地面に胡座をかいて、傍に置いた酒樽に肘をつきながら、宣言通りに空を眺めている。

「こんばんは」
「——よぉ、遅かったな」

 隣に座ると、鍛冶屋は樽の蓋を叩き割って、そのままガブガブと水のように酒をあおり始めた。酒豪とは聞いていたけれど、予想より遥かに豪快な飲みっぷりだった。

「すみません。ちょっと人と会っていたので」
「騎士だろ? いいぜ、別に怒っちゃいねぇ。俺なんざ最後で……そんな不安そうな面すんなよ。お前のはこっちな」

 手渡されたのは、透明な液体が並々に入った小さなコップ。どうやら、水のようだ。

「これって……水……?」
「飲めねぇだろ、お前。俺は知ってんだぜ」
「あ、ありがとうございます。安心しました。ついていけるか不安だったので」
「はっ! 俺はなぁ、飲めねぇやつに無理に飲ませる程落ちぶれちゃいねぇ。周りは、なんか知らねぇが勝手に潰れてくけどな」

 また、豪快に樽が傾く。それから彼女は、名残惜しそうに橙の瞳を空へと向けた。

「なあ、勇者。騎士と道具屋に会ってきたんだろ? どこまで聞いた?」
「仲間だったってことだけ聞きました。詳しくは鍛冶屋さんから、って」
「……あの野郎共、要らねぇ気遣いをしやがる。昔からそうだ。俺は、そういうのじゃねぇって言ってんのにな」

 そのまま、鍛冶屋は続ける。彼女の瞳の中が揺らめいて、僅かに部屋が暑くなったような気がした。

「お前と一緒だ。俺は最初からそういうものとして生まれて、そういうものとして必要とされた。たまたま人の形をしてただけだ。未来を切り拓き、鍛造する焔——文字通り、それが俺の全てだった。喜も怒も哀も楽も、それっぽく見えるだけの紛いもんだ。意味も価値もどこにも無ぇ。だってのによ……俺のことを友達なんて呼ぶ馬鹿が、世界に四人も居やがった」
「騎士さんと、道具屋さんと——」

 声が、鮮明に蘇る。あの時、暗闇の中で響いた怒声が。きっといつか、俺が聞いた声が。

「——『勇者』と『魔王』……ですか?」
「……お前、この塔に来た時最初俺が行ったこと、覚えてるか?」
「覚えてます。掟のこと、ですよね?」

 それは、この塔唯一の掟。揉めごとを呼ばない為に、誰も本当の名前を呼ばない、呼ばれない。鍛冶屋が最初に教えてくれたことだけど、本当はもう一つ言われたことがあった。

「なんでか、分かったか?」

 やっぱりそうだった。あの時、目が覚めて右も左も分からない俺に鍛冶屋は色んなことを教えてくれた。

 そして最後に——まぁそれは建前で、本当は別に理由があるんだけどな——俺は、誰にも聞こえないようにそう耳打ちされたんだ。

 正直何のことか分からなかったし、考える気もなかったけれど、つい最近ようやく心当たりが出来た。

 きっと、誰が聞いても馬鹿馬鹿しくて笑ってしまうようなことだけれど。

「——思い出してしまわないように、ですよね? 俺も、皆も」

 確たる証拠はない。記憶もない。ただそれでも心の奥で燻る感情が、これが答えなのだと叫んでいた。

「はっはっはっ! よくぞ辿り着いた! 上出来だぜッ!」
「わっ……!?」

 一際大きな声で笑って、わしゃわしゃと鍛冶屋が俺の頭を撫でてくる。とても、とても大きな手だった。俺は知らないけれど、親にそうして貰う時はこんな感覚なんだろう。

「だから悪ぃが、俺はこれ以上語らねぇ。ルール作った奴が、率先して破りに行ってちゃ示しがつかねぇからな。だからよ、続きが聞きたきゃお前としてまた帰って来い。魔王ボコって、天命を全うした『勇者』だって胸張ってな」
「そうしたら、鍛冶屋さんの本当の名前も教えてくれますか?」
「良いぜ、教えてやる。お前の名前も聞いてやる。俺の名前から生い立ち、冒険譚から道具屋の小っ恥ずかしい話まで全部余さず教えてやらぁな!」
「約束ですよ? 俺、絶対忘れませんからね?」
「おう、約束だ。心配すんな。今度はちゃんと、守るからよ」
「じゃあ……そうだ! せっかくだから、乾杯しましょうよ、指切り代わりに! まだ、してませんでしたよね?」
「良いねぇ! そら、行くぜ!」

 カーンと、いつもの朝のように心地の良い音が鳴って、喉を冷たいものが伝う。ただの水なのは間違い無いのだけれど、なんだかほんのり頬が熱くなったような気がした。

「……そうだ。ちょっと耳貸せ」
「なんです?」

 またあの時のように、耳を寄せる。髪が引っかかってくすぐったいと思ったのも、一緒だった。

「もし……本当に辛くなったら、『星』を訪ねろ。俺は今でもそこに居る。ずっとな」
「……星、ですか? 分かりました。これも、絶対に忘れませんから」
「その意気だ」
「はい!」

 ——二人して笑い合って、常夜の空の果てを見る。この廃雄塔で過ごす最後の時間に、もう少しだけ浸っていよう。

 明日は、それどころじゃないかもしれないから。
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