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第七章

57 処刑執行

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 処刑台から見る光景は、こんなものだったのか。

 処刑台の上に立ったまま、ニアは辺りをゆっくりと見渡した。頭にかぶせられた黒い布には目部分しか穴が開けられておらず、そのせいで視界は暗く狭まっている。

 城門前にある広場は、大勢の群衆で埋め尽くされている。群衆はひどく沈痛な眼差しで、処刑台の上でぐったりと項垂れる男を見つめていた。その視線には、これから処刑される男への哀れみと、不条理な判決に対する憤怒が滲んでいるように思える。

 男は頭に黒布をかぶせられて、首を木枠で硬く固定されている。これから首を斬り落とされるときの格好だ。すでに痛め付けられているのか、身にまとった白服はボロボロに破れ、後ろ手に縛られた手は皮膚が見えないぐらい血がこびり付いていた。意識を失っているのか、それとも動くだけの体力もないのか、男はピクリとも動かない。

 木枠に固定された男のすぐ隣には、処刑人であろう長身の男が立っていた。こちらも顔を隠すために黒布をかぶっており、その両手には巨大な斧が握られていた。


「ニア様……」


 重たい静寂の中、涙混じりの声が群衆の中から発せられた。啜り泣きはまるで細波のように周囲に広がっていき、ぐずぐずと鼻を鳴らす音が至るところから響き始める。


「どうして、こんなことに……ロードナイトを処刑するなんて前代未聞だぞ……」
「ニア・ブラウン様は、この国を救ってくれた方だ」
「こんなのひどすぎるわ。聖女に剣を向けたのだって、聖女が何の罪もない少女を階段から突き落とそうとしたからだって言うじゃない。どうしてニア様がこんなひどい罰を受けなきゃならないの」
「少女の代わりに階段から落ちた妹君は、頭を打ったせいでまだ目を覚まさないらしいぞ」


 納得いかないと言わんばかりの民衆たちの声が聞こえてくる。

 前の人生とは違って、聖女に対する民衆の好感度はかなり低いようだった。サクラがミーナを突き飛ばしたというのもすでに周知の事実として広がっており、それがよりサクラへの不信感を強めているようだった。

 民たちはヒソヒソと囁き合うと、その不服げな視線を処刑台の斜め前に造られた壇上へと向けた。その壇上には、フィルバートとサクラとロキ、そして幽閉されていた塔から解放されたマルグリットの姿があった。

 フィルバートは冷え切った眼差しで断頭台を見据えており、サクラはそんなフィルバートの腕にしがみ付くようにして立っている。そして、マルグリットは用意された椅子に悠々と腰掛けて、勝ち誇った表情を浮かべていた。その隣に、視線を伏せたロキがじっと立ち尽くしている。

 目線だけ動かしてその様を眺めていると、不意に群衆から弾けるような声があがった。


「ニア様を殺さないでっ!」


 声の方へ視線をやると、そこには人混みに埋もれるようにしてミーナの小さな姿が見えた。母親の腰に抱き付いたまま、ミーナが続けて声を張り上げる。


「ニア様は、わたしを助けてくれたの! 悪いことなんかしてないっ!」


 そう叫ぶと、ミーナはワァッと声をあげて泣き出した。そんなミーナを、両親が痛ましげに抱き締めている。

 ミーナの声に触発されたのか、次々と群衆から非難の声が上がり始めた。


「そうだ! 罪なきお方を殺すな!」
「ニア様がどれだけこの国のために身を尽くしてくださったのか! 私たちを長年虐げていた貴族を排除してくれたのは誰だか解っているのか!」
「それにニア様が開発した砲台のおかげで、他国からの侵略だって防げたんだ!」
「今すぐニア様を解放しろッ!」


 群衆が殺気だって騒ぎ立てると、ビリビリと大気が震えた。処刑台へと押し寄せようとする民衆を、騎士たちが必死に押し返しているのが見える。

 次々と聞こえてくる民衆の声に、ニアはかすかに目が潤みそうになった。前の人生のときとは違い、今回はこんなにも多くの人がニアの命を救おうとしてくれている。今まで自分が進んできた道は間違いではなかったと思うと、心臓が喜びで打ち震えた。

 暴動寸前の緊迫した気配の中、不意にサクラの気の抜けた声が聞こえてくる。


「えぇ~~~、なんでみんな怒ってるのぉ? だって、ニアさんはわたしを傷付けたんだよぉ? 聖女を傷付けた人は罪人でしょう?」


 どうして民衆が怒っているのか理解できないと言いたげな口調だった。実際、サクラには人間の感情は理解できないのだろう。

 コテンと首を傾げるサクラを見て、民衆は更に怒り狂ったように腕を振り上げた。広場が何百何千もの怒号で満ちる。


「ふざけるなッ! 子供を傷付けようとしたお前の方がよっぽど罪人だろうが!」
「お前なんかいなくても、王子殿下とニア様のおかげでこの国はずっと平和だったんだ!」
「ワガママ聖女の方が、よっぽど罰せられるべきじゃないか!」
「大して美人でもないくせに調子に乗るなブリッ子!」


 とうとう普通の暴言まで混じり始めている。途端、サクラがぐにゃりと顔を歪めて喚き声をあげた。可愛らしい顔立ちが、今は悪鬼のごとく醜く変貌している。


「ぶりっ子じゃないもんっ! なんなの、こいつらっ! わたしは聖女なのに!」
「うるせぇ! とっとと元の世界に帰れ、この性格ブスッ!」
「もうっ、なんなの、なんなのっ! こいつら全員首を斬り――」


 サクラが喚き散らそうとした瞬間、マルグリットがスッと立ち上がって高い声をあげた。


「おやめください! みなさま、どうか落ち着いてください!」


 悲鳴じみたマルグリットの声に、一瞬辺りが静まり返る。すると、マルグリットは同情を引くような声で続けた。


「聖女様はエルデン王国を救うために、私の祈りに応えて神が遣わしてくださったお方なのです。彼女は、この国を更に栄えさえてくれる存在です。そのようなお方に傷付ける者は、つまりこの国を害する者です。ですから、この処刑も仕方がないことなのです」


 マルグリットの切々とした説明に、当然ながら民衆は納得する様子を見せなかった。ただ怒りで据えた眼差しで、マルグリットとサクラを睨み付けている。


「ニア・ブラウンは、紛れもない反逆者です。エルデン王国にとっての危険分子は取り除かなければなりません」


 確定するような口調でマルグリットが言う。そうして、マルグリットは斜め前に立つフィルバートの肩にそっと手を置いた。


「処刑を執行してください」


 促す声に、フィルバートがまっすぐ処刑台を見つめる。その視線を受けて、処刑人がゆっくりと動き出した。木枠にはめられたまま微動だにしない男の横に立つと、処刑人が音もなく大斧を振り上げる。

 その光景を見て、民衆が一斉に息を呑んだ。


「やめてくださいっ! 王子殿下、ニア様を処刑しないでっ!」
「ニア様はこの国に必要なお方ですっ!」
「どうか思いとどまってください!」


 泣き声じみた民衆の叫びが響く。民衆の方を眺めると、フィルバートは表情一つ変えないまま静かに言った。


「私を信じろ。悪を裁くために、私はここにいる」


 そう囁くと、フィルバートはゆっくりと片手をあげて、冷めた声で言い放った。


「処刑執行」


 無慈悲な声の直後、処刑人の大斧が振り落とされた。風を切り裂く音が響いて、大斧が一気に男の首を斬り落とす。その光景に、民衆が絹を引き裂くような悲鳴をあげて一斉に顔を覆った。

 真っ赤な血飛沫を飛び散らせながら、黒い布に覆われた男の首が、ゴドッと鈍い音を立てて処刑台の上を転がっていく。
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