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第五章

46 邪魔になったんですか

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 城内の来賓室のソファに座り込むなり、サクラは口を挟む隙を与えないぐらいベラベラと話し始めた。


「お母さんと夜ご飯食べてたら、いきなり頭の上がピカッて光って、黒い穴に吸い込まれたんですっ。そのあと暗闇から女の人の声で、この国を救ってください、って聞こえてきてっ、ええええ、何これ何これって思ってたら、いきなり周りがピカッって明るくなったんですっ」


 いちいち跳ねるような語尾が、妙に耳に障る。天真爛漫な少女と言えば聞こえはいいが、悪く言えば意図的に場の空気を読もうとしていない図々しさを感じた。だが、そうやって悪く思ってしまうのも、サクラがフィルバートの心を奪う存在だと知っているからだろうか。

 サクラの向かい側のソファに腰掛けたフィルバートは、話を聞いているのか聞いていないのか、先ほどから視線をそっぽへと向けている。そのせいでフィルバートの斜め後ろに立っているニアが仕方なく、サクラののべつまくなしなトークに相づちを打つ羽目になっていた。


「はぁ、そうなんですね」
「そうなんですっ。それで気が付いたら空から落ちてて、すごくビックリしちゃいましたっ。生まれて十七年のあいだで、わたし、空から落ちたのは初めてですっ。あっ、でも、空から落ちたことがある人なんて普通はいないですよねっ」


 自分の失言にサクラが、あははっ、と笑い声をあげる。その屈託のない笑い声ですら、ニアの心をチクチクといたぶった。視線を伏せながら、事務的に相づちを返す。


「ええ、普通はいないかと思います」
「でもでもっ、王子様が受けとめてくれてよかったですっ。そのまま落ちてたらケガしちゃってたと思うので……あのぅ……助けてくれて、ありがとうございます」


 お礼を言いながら、サクラがフィルバートを上目遣いに見つめる。だが、話しかけられても、フィルバートは一切サクラを見やることはなかった。

 サクラの存在自体を無視するようなフィルバートの反応に、逆にニアの方が狼狽する。前の人生では、フィルバートはサクラに一目で心を奪われたはずなのに、この塩対応は一体どういうことなのか。

 サクラは困惑した表情でフィルバートを見つめたが、すぐ気を取り直したようにニアを見上げてきた。


「えっとぉ、お兄さんの名前は何ですか?」
「私は、ニア・ブラウンと申します」
「ニア? ニアさんですねっ! わたしサクラです! これからよろしくお願いします!」


 小さな子供みたいな元気な声で言うと、サクラは椅子に座ったまま、握手を求めるように両手を差し出してきた。相手に握手に来させるような仕草は若干不遜だとは思ったが、この国に来たばかりなのだから礼儀作法を知らないのも仕方ない。

 ニアがサクラに近付こうと一歩踏み出したとき、それを押し留めるように太腿に手が触れた。視線を落とすと、フィルバートが右手でニアの左太腿を押さえているのが見える。

 ニアが困惑に眉を寄せた直後、フィルバートがサクラを見据えて呟く。


「こいつに構うな」
「えっ、でもぉ……」
「こいつに構うなと言っている」


 二度も繰り返されて、サクラがしょんぼりしたように肩をすぼめる。

 重たい沈黙が流れていると、ふと扉が叩かれる音が聞こえた。フィルバートが振り返りもせず声をあげる。


「入れ」


 開かれた扉の前には、背筋を伸ばしたダイアナが立っていた。迷いない足取りで室内に入ってきたダイアナが、フィルバートの横で片膝をついて頭(こうべ)を垂れる。


「ダイアナ・ブラウン、王子殿下の元へ参りました」
「宜しい。お前は、しばらくこの女につくように」


 フィルバートの単刀直入な命令に、ニアは思わず目を見開いた。前の人生で、ダイアナは聖女を傷つけた罪で処刑されたのだ。ニアの本心としては、ダイアナを聖女に近付けたくはなかった。


「フィル様、それは……ッ」
「承知いたしました。王子殿下の命(めい)を謹(つつし)んでお受けします」


 ニアの制止の声にかぶさるように、ダイアナが恭(うやうや)しい口調で答える。その言葉に、ニアは顔を歪めた。

 ダイアナはゆっくりと立ち上がると、一瞬だけニアを見やって口元に淡く笑みを浮かべた。まるで『大丈夫だから』と訴えるような表情だ。

 そのままダイアナは目を丸くしているサクラに近付くと、軽く胸に手を当てた。


「ダイアナ・ブラウンです。しばらくお傍につかせて頂きますので、宜しくお願いいたします」


 ダイアナが堅苦しい口調で告げると、サクラはハッとしたように上擦った声をあげた。


「えっ、ええぇ……で、でもっ、わたしは、王子様のそばにいなくちゃいけないんじゃ……」


 もじもじと恥ずかしそうに、サクラが両膝を擦り合わせる。その仕草を見ると、フィルバートは鼻で笑うように軽く顎をあげた。


「なぜ、お前が俺の傍にいる必要がある」
「だって、わたしが王子様の凍てついた心をとかすって……」
「俺が、罪人の愚かな虚言を信じると思うのか?」


 罪人というのはマルグリットのことだろう。それが解ったのか、サクラが身を乗り出すと非難の声をあげた。


「そんなっ、あのオウヒ様って人は罪人なんかじゃないですっ!」
「なぜそう言える」
「だって……悪い人が、神さまの言葉を聞いたり、聖女を呼べるはずなんかないじゃないですかぁ……」


 もごもごとサクラが歯切れの悪い声を漏らす。フィルバートはソファの肘掛けに片肘をつくと、ひどく冷淡な声で呟いた。


「そもそも、お前が聖女なのかもまだ信用していない」


 フィルバートの一言に、サクラは一瞬信じられないと言いたげに目を見開いた。直後、大きく見開かれたサクラの瞳からぽろぽろと涙が溢れ出す。


「ひっ、ひどいですっ……わ、わたしだって、いきなりこの世界に連れてこられたのに……」


 サクラは流れる涙を両手で拭いながら、くすんくすんと哀れげな鼻声を漏らして泣き続けている。

 確かに、サクラの言うことが本当なら気の毒だと思う。突然知らない場所に連れて来られた上に、こんな冷淡な態度を取られたら傷付くのも当然だ。わずかに胸が痛むのを感じながらも、ニアはサクラの涙から目を逸らした。

 これ見よがしにしゃくり上げながら、サクラが潤んだ瞳でフィルバートを見つめる。


「なんでっ、王子様はわたしにそんなに冷たいんですかぁ……わたし、何かしちゃいましたかぁ……?」


 悲しげに問い掛けてくるサクラに、フィルバートは不意に不快そうに眉を寄せた。威嚇する犬のように鼻梁に皺を寄せて、フィルバートが語気荒く答える。


「俺には、すでに心に決めた相手がいる。だから、お前の存在は厄介でしかない」


 その迷いない一言に、ニアは心臓がドクンと大きく跳ねるのを感じた。冷え切っていた指先にじわりと温度が戻ってきて、強張っていた口元が緩みそうになる。


――あぁ、この人を信じてきてよかった。フィルバートは聖女ではなく、今もちゃんと俺のことを想ってくれているんだ……。


 安堵の息を漏らしかけた瞬間、聞こえてきたフィルバートの声に、ニアは全身を一気に硬直させた。


「なぁ、ダイアナ」


 今までフィルバートはダイアナを名前で呼んだことなど一度もなかったのに、まるでそう呼ぶのが当然と言うような親しげな口調だった。

 フィルバートの視線を受けて、ダイアナが口元に嫣然(えんぜん)とした笑みを浮かべる。


「ええ、フィルバート様」


 長年の恋人を呼ぶかのような、甘い声音だ。

 まるで恋人のように見つめ合う二人を見て、ニアは全身の血が一滴残らず凍り付くような感覚を覚えた。『なぜ、フィル様とダイアナが、どうして恋人みたいに』という断続的な問い掛けが頭の中を高速で駆け巡る。だが、答えなんか出るはずもなかった。

 フィルバートはたっぷりダイアナと見つめ合った後、ふっと視線を外した。再び冷たい視線でサクラを見据えて、事務的な口調で言う。


「お前がこの国に来たのがマルグリットのせいであれば、元王妃が起こした不始末として最低限の責任は取ろう。お前が元の場所に戻る方法は、こちらで探す。それまでの間、客人として不自由ない生活が送れるようにしよう。何かあれば、ダイアナに伝えるように」


 そう言い切ると、フィルバートは伝えるべきことは伝えたとばかりに立ち上がった。フィルバートが扉の方へと向かうのを見て、ニアは反射的に先に進んで扉を開いた。だが、扉の取っ手を掴む指先に感覚がない。心が身体から離脱してしまったかのように、すべての感覚が薄ぼやけていた。

 フィルバートが扉から出て行こうとしたとき、後ろからサクラの声が響いた。


「わたしっ……かならず、あなたの心を溶かしてみせますっ! わたしが王子様を救ってみせますから……待っていてくださいっ!」


 健気というべきなのか、それともやっぱり空気が読めないというべきなのか。ヒロインがかった台詞に、妙なおぞましさすら感じる。

 振り返ると、ソファから立ち上がったサクラが両手を組み合わせているのが見えた。その胸元にかけられている赤いペンダントが、また滲むようにぼんやりと発光している。その隠微な輝きに、どうしてだか頭の芯がぐらりと揺らぐような感覚を覚えた。

 ダイアナは無表情のまま、じっとサクラを凝視している。その眼差しに心臓がざわつくような不安を感じつつも、歩いていくフィルバートを放っておくわけにもいかず、ニアは来賓室の扉を閉めた。

 部屋から遠ざかると、ニアは耐えきれず口火を切った。


「どういうつもりですか」


 責めるような口調になってしまうのが苦しかった。自分自身の狭量さに自己嫌悪を感じながらも、矢継ぎ早に訊ねる。


「なぜ、ダイアナを彼女の側付きにしたんですか」


 身体の奥底から込み上げてきた恐れで、声が震えそうになる。これまで必死になって処刑される運命からダイアナを遠ざけようとしていたのに、これではまた同じ運命にたどり着いてしまう。

 フィルバートは歩みを止めないままに、こちらを振り返りもせず答えた。


「あいつが一番、相応(ふさわ)しいからだ」


 それは同じ女性同士だから、という意味だろうか。確かに男性騎士を四六時中サクラにつけるよりかは、女性であるダイアナが傍にいる方が外聞(がいぶん)も良いだろう。だが、それでも納得はできなかった。


「お願いですから、ダイアナを彼女の側付きから外してください」
「それはできない」
「なぜですかっ」


 即座に拒否を返されて、噛み付くような声をあげる。すると、ようやくフィルバートがピタリと立ち止まった。ゆっくりと振り返ると、フィルバートが射るような眼差しでニアを見つめてくる。その険しい眼差しに、咽喉が鈍く上下した。


「お前の妹がそれを望まないからだ」


 ちっとも意味が解らない。それが悔しくて悲しくて、もどかしくて堪らなかった。自分一人だけ見知らぬ土地に放り出されたような心細さが込み上げて、唇が小さく震える。


「どうして……」


 どうして、この人は俺を置き去りにするのだろう。今までずっと隣を歩いてきたのに、暗い山道に入った途端に『もう着いてくるな』と突き放されたような気分だった。そんな被害妄想じみたことを考えてしまう自分がどうしようもなく惨めで、吐き気がするほど嫌いで、今すぐこの場から消えてしまいたかった。

 なぜサクラの前で、ダイアナと恋人同士のように振る舞ったのか。まさか昔から、ニアではなくダイアナのことを想ってきていたのか。それなら、今までニアに吐いてきた甘い言葉は一体何だったのか。まさか自分は――ダイアナの代わりだったのか。

 普通に考えればそんなはずがないと解るのに、鬱々とした思考はどんどん悪い方向へと傾いていく。

 自身の胸倉を掴んだまま押し黙っているニアを見て、フィルバートがゆっくりと言い放つ。


「ニア、お前はしばらく城から離れろ」


 突然の命令に、ニアは脳天に雷が落ちたようなショックを受けた。半開きになった唇が震えて、掠れた声が漏れる。


「ど、うしてですか」


 ニアの問い掛けに、フィルバートは一瞬考え込むように視線を伏せた。


「聖女の出現によって、ここはしばらく荒れる。マルグリットを釈放しろと言い出す輩も現れるだろうし、押さえ込まれてきた貴族はここぞとばかりに俺の足元をぐらつかせようとするだろう」
「だったら、余計にお傍にいます。俺は、フィル様のロードナイトなのですから」


 ニアが即座に言い返すと、フィルバートは眉根を顰めた。その疎(うと)ましげな表情に、また胸が突き刺されたように痛む。


「ニア、これは命令だ」
「その命令はきけません」
「主君に逆らうつもりか」


 らしくないほど怒りを滲ませたフィルバートの声音に、ギリギリと心臓が締め付けられる。それでもニアは奥歯を噛み締めて、言い返した。 


「お伝えしたはずです。その命令は、死んでもきけないと。もし罰するのであれば、今ここで俺を斬り捨ててもらって結構です」


 頑ななニアの返答を聞くと、フィルバートは腹立たしげに目を細めた。かすかに憎悪が滲んだフィルバートの眼差しを見て、ニアは不意に声をあげて泣きたくなった。フィルバートが、そんな目でニアを見たことは今まで一度もなかったのに。

 フィルバートはしばらくニアを睨み付けた後、不意に踵(きびす)を返して歩き出した。ニアを置き去りにするみたいに足早に歩いていくフィルバートを見て、無意識に縋り付くような声が漏れる。


「俺が……邪魔になったんですか……」


 馬鹿げた愁嘆場みたいな自分の台詞に、いっそ笑いたくなってくる。口元が笑おうとかすかに戦慄くが、結局笑みは浮かべれられなかった。

 フィルバートが立ち止まって、肩越しに振り返ってくる。呆然と立ち尽くすニアを見ると、フィルバートは一瞬痛みに耐えるように眉を寄せた。


「今は――俺に近付くな」


 静かに告げられた言葉に、ビリビリと心臓の内側で何かが引き裂かれていくのを感じた。ずっと大切にしていた宝物が紙吹雪みたいに粉々に破られて、無惨に踏み躙られていく。

 フィルバートが去っていく。その後ろ姿を、ニアは言葉もなく見つめた。
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