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第四章
34 罪人共
しおりを挟むニアはハリーを見据えると、確かめるような口調で問い掛けた。
「王子殿下の命令に逆らうつもりか、ハリー・ハイランド」
低い声で訊ねるが、ハリーが引く様子はない。
ニアは細く息を吐き出すと、ゆっくりと前に進み出た。大斧を両手に握り締めたニアを見て、ハリーが憎々しげに目を細める。
「私に勝てるとでも思っているのか?」
嘲るような問い掛けに、ニアは何も答えなかった。もうこの男と言葉を交わす必要性も感じない。
無言のまま詰め寄ってくるニアの姿に、ハリーがかすかに口角を引き攣らせて呟く。
「馬鹿力しか取り柄のない二番手貴族が生意気な……ッ!」
そう吐き捨てた直後、ハリーが右手の剣を袈裟懸けに振り下ろしてきた。剣の軌跡を見据えて、ニアは斧を斜め上へと向かって一気に振り上げた。次の瞬間、ギィンッと鈍い金属音があがって、斧に弾かれた剣が高い天井へと突き刺さる。
だが、すぐさまハリーが左手に握った剣を、ニアの心臓めがけて突き出してくる。ニアは大斧の遠心力に任せるようにして、ぐるりと身体を一回転させてその突きを避けた。同時に斧を握る腕に力を込めて、狙った場所へと向かって一気に振り切る。
直後、斧にぐにゃりとしたものにぶつかる鈍い衝撃とともに、ギャアッ! という鋭い悲鳴が聞こえた。左頬に血が飛び散る感触の直後、斧を振り薙いだ方向にドッと音を立てて何かが転がり落ちるのが視界の端に映る。
視線を向けると、右肘から先が失くなったハリーの姿が見えた。ハリーは床に膝を落としたまま、切り落とされた右腕から大量の血を噴き出している。
「あ、あぁ、ぁ……私の腕……腕が……」
うめき声を漏らすハリーを見下ろしてから、ニアは後方で立ち尽くす騎士たちへと向かって言い放った。
「罪人共を連れて行け」
途端、騎士たちがぎくしゃくとした動きで動き始めた。ニアを避けるようにしてハリーに近付き、その身柄を取り押さえようとする。だが、騎士たちの手が触れる直前、扉の方から悲痛な声が聞こえてきた。
「父さんッ!」
振り返ると、そこに立っていたのはヘンリー・ハイランドだった。どこか呆然とした表情で、捕らえられそうになっている父親を見つめている。
その姿を見て、ニアは思わず舌打ちを漏らしそうになった。おそらく外に追い出した使用人の誰かが、ヘンリーに状況を報告したのだろう。それで慌ててここまでやってきたのだろうが、何にしても最悪のタイミングだ。
ぐったりとしていたハリーが、わずかに顔を上げる。扉前で立ち尽くすヘンリーの姿を見ると、途端ハリーは濁っていた瞳をカッと見開いて叫んだ。
「殺せッ! ヘンリー、全員殺すんだッ!」
その叫び声を聞いた瞬間、ニアはとっさに「クソ野郎が」と小声で漏らしてしまった。
これだけ多勢に無勢な中、ヘンリーひとりで勝てるわけがない。ハリーの発言は、自分の息子を道連れにする愚かなものでしかなかった。
狼狽しながらも、ヘンリーが父の言いつけ通りに自身の両腰に付けられた双剣へと手を伸ばす。その手が剣を掴む前に、ニアは鋭い声を放った。
「ヘンリー・ハイランドッ!」
ヘンリーがビクッと身体を震わせる。その顔をまっすぐ見据えて、ニアは強い口調で続けた。
「よく考えろ! お前の選択で、家族が全員道連れになるんだぞ! 踏みとどまれ!」
ニアの言葉に、ヘンリーは迷子になった子供みたいに唇を戦慄かせた。今にも泣き出しそうな顔をしたヘンリーに向かって、ハリーが怒声を張り上げる。
「何をしている、馬鹿者がァ! どうせこれでハイランド家は滅亡だッ! 己(おの)が命を捨てても、嫡子として一矢報えッ! ハイランド家の誇りを示せぇッ!」
まるで呪いの言葉だ。ヘンリーの身体の震えがますます激しくなる。
ハリーが次の言葉を吐こうと口を大きく開く。だが、次の言葉を吐き出す前に、ボゴッと大きな音が聞こえて、ハリーの頭が上下に跳ねた。途端、意識を失ったのかハリーの頭がガックリと垂れ下がる。
「クソ、お前も石頭か」
粗雑に吐き捨てて、フィルバートが緩く右手を上下に振っている。ハリーの頭を思いっきり殴り飛ばしたせいか、その拳がかすかに赤く腫れているのが見えた。
その光景にニアが唖然としていると、フィルバートがゆっくりとヘンリーを見据えた。
「両手を下ろせ」
命令というよりも、子供をなだめるような静かな声音だった。フィルバートの言葉に、ヘンリーが顔を泣きそうに歪めたまま、剣に伸ばしていた両手をそっと下ろす。
それを見て、フィルバートは淡々とした口調で続けた。
「ハイランド家にも取り調べを入れる。だが、今回の件がハリー・ハイランドの独断だったのであれば、家族までは処罰しない。爵位は下げるが、ハイランド家を取り潰すことはしない」
フィルバートの沙汰を聞くと、ヘンリーは全身を震わせながらもその場に片膝を付いた。頭を垂れて、掠れた声で言う。
「王子殿下の寛大な処断に、心から感謝いたします」
ヘンリーの返答に、フィルバートは小さく首肯を返した。すぐさまヘンリーから視線を逸らして、ソファに腰掛けたまま微動だにしないマルグリットを横目で見据えて呟く。
「あれも連れて行け」
命令を聞いて、騎士たちがマルグリットに近付く。だが、マルグリットは騎士たちの手が触れる前に、すっと立ち上がった。
「自分で歩けます。誰も私に触れるんじゃありません」
ともすれば気丈にも聞こえるマルグリットの声に、騎士たちが躊躇うように手を止める。だが、すぐさまフィルバートが冷たい声で言い放った。
「俺は反逆者を捕らえろと言ったんだ。自らの意志で歩かせるな。引き摺って行け」
お前には自分の足で歩くことすら許されない、と告げるような冷酷な口調だった。
フィルバートの言葉に、マルグリットが憎しみの篭もった視線を向けてくる。だが、その視線を無視して、フィルバートは軽く片手を振った。すぐさま騎士たちがマルグリットの両腕を掴んで、強引に引き摺って行く。
フィルバートの横を通り過ぎるとき、マルグリットが笑い声混じりに囁いた。
「いつか、私を殺さなかったことを後悔しますよ」
まるで予言のようなその台詞に、フィルバートは視線も向けずに答えた。
「お前にもまだ役割がある。生かすのはそのためだ」
フィルバートの返答に、マルグリットは一瞬怪訝そうに眉を顰めた。だが、すぐさま騎士たちに引っ張られていく。
全員の姿が消えると、ようやくニアは全身から力を抜いた。大きく息を吐き出していると、背中を軽く叩かれる。
「よくやった」
振り返ると、フィルバートが穏やかな表情でニアを見つめていた。その柔らかな眼差しに、ニアもかすかに笑みを返した。
「手はご無事ですか?」
「手?」
「ハリー・ハイランドの頭をぶん殴ってたじゃないですか」
言いながら、フィルバートの右手をそっと掴む。一瞬氷かと思うぐらい冷たい手だ。その指の根本辺りが赤く腫れているのを見て、ニアは掌で優しく撫でた。
「赤くなっています」
「あぁ、あいつはクソみたいな石頭だった」
「言い方が下品ですよ」
「お前だって『クソ野郎』って言っていただろう」
小声で吐き捨てた言葉を聞かれていたのか。ニアがバツが悪そうに唇を引き結ぶと、フィルバートは小さく噴き出した。そのまま、声を上げて笑い出す。普段のフィルバートからは想像もつかないぐらい、屈託のない笑い声だ。その声につられて、ニアも思わず笑い声をあげた。
二人して子供みたいに笑っていると、ふとフィルがニアの肩を抱いて囁いた。
「お前がいれば、俺は化物にならない」
その言葉に、ニアは大きく目を瞬かせた。どうしてだか一瞬泣き出したいような心地が込み上げてきて、顔が泣き笑うようにくしゃりと歪む。
「では、ずっとお傍にいます」
「そうだな。そうしてくれ」
茶化すような声で続けて、フィルバートがニアの手を掴んで歩き出す。フィルバートの冷たい掌が、じわじわとニアの体温を吸って温かくなっていく。それが泣きたくなるぐらい嬉しかった。
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