【完結&コミカライズ進行中】俺の妹は悪女だったらしい

野原 耳子

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第四章

32 好きなのは青い花じゃなくて

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 こちらを見つめるフィルバートを見返すことができず、ニアは深くうつむいた。途端、テーブルに並べられた菓子や紅茶が視界いっぱいに入ってくる。どれもフィルバートから先ほど贈られたものだ。

 それを見て、不意に気付いた。よくよく見ると、置かれた菓子も紅茶もすべて、ニアの好きなものばかりだ。


「これ」


 ぽつりと呟く。ニアの視線の先を見て、フィルバートが、あぁ、と小さく相づちを漏らした。


「以前食べたときにお前が美味いと言っていた菓子だ。違ったか?」


 問い掛けに、違わない、と緩く首を左右に振る。だが、フィルバートに対してわざわざ『この菓子が好きです』などと言った覚えはない。ニアが独り言のように漏らした『美味しい』という声を聞いて、ずっと覚えていてくれたということか。

 フィルバートはテーブルの中央に置かれた花瓶に目をやると、かすかに笑みを滲ませて呟いた。


「お前は青薔薇も好きだろう。城の庭園を歩いているときも、青い花ばかり眺めているから」


 フィルバートが片手を伸ばして、青薔薇の花弁に触れる。その柔らかな手付きを見た瞬間、不意に胸の奥から強い感情が込み上げてきた。身体の奥底に必死に押しとどめていたものが噴き出して、濁流のように激しく溢れてくる。


「違います」


 気付いたら、唇から勝手に声が零れていた。

 青薔薇へと視線を向けていたフィルバートが、ニアを見やる。その青い瞳を見つめたまま、ニアは続けた。


「好きなのは青い花じゃなくて――」


 青い花が好きなわけじゃない。その青色を通して、ニアが見ていたのはもっと愛しい何かだ。

 言い掛けた瞬間、頭の中でもう一人の自分が『言うな!』と叫んでいるのが聞こえた。


『こいつは俺や家族を処刑した! また首を斬り落とされたいのか!』


 ガンガンと頭の中で反響する声に、一気に体温が下がって指先が戦慄く。青ざめたニアを、フィルバートはただまっすぐ見つめている。その瞳には、ニアに対する深い愛情が宿っているように見えた。前の人生で処刑執行を命じた、氷のような瞳とは全然違う目だ。

 信じてもいいのだろうか。この人は、前の人生で俺を処刑した人とは違うのだと、俺のことを心から想ってくれていると信じていいのか。

 吐き出す息が震えて、鼓動が不規則に跳ねていた。頭の中はぐちゃぐちゃで、何一つとして思考がまとまらない。それなのにフィルバートの青い瞳を見ていたら、もう気持ちを押さえ切れなかった。


「俺は、貴方が好きです」


 そう口に出した瞬間、両目からぼろりと涙が溢れた。まるで決壊したように、ぼろぼろと大粒の涙が頬を伝って落ちていく。

 涙の理由は、自分でも上手く解らなかった。もう引き返せないのだという後悔と、彼の人生をめちゃくちゃにしてしまう罪悪感と、とうとう本当のことが告げられたという安堵が入り交じって、どうしても涙が止まらない。

 子供みたいにしゃくり上げながら、ニアは掠れた声で続けた。


「フィルバート様を、ずっとお慕いしていました」


 愛を告げているというのに、どうしてこんなに胸が苦しいのだろう。ひっく、とニアが小さくしゃくり上げるのと同時に、フィルバートが立ち上がった。傍らに寄って、ニアの頭を両腕で抱き締めてくる。


「ニア、泣くな」


 泣くなと言われても、涙が止まらないのだから仕方ない。ぐずぐずと鼻を鳴らしていると、涙で濡れた目蓋にフィルバートの唇が落ちてきた。


「泣くことなど何もない」


 嘘だ。三年後には、きっと自分はもっとひどい涙を流すことになる。この瞬間のことを心底後悔しながら『ちくしょう、大嘘吐きめ!』と無様に泣き喚く羽目になるのだ。

 それでも、抱き締めてくる腕を振りほどこうとは思えなかった。この腕の中にいることが、自分の幸せだと気付いてしまったから。

 フィルバートの背中に手を回して、ゆっくりと抱き締める。その胸に額を押し付けたまま、ニアは涙声で囁いた。


「どうか、お願いですから……俺を離さないでください」


 これは懇願というよりも祈りだ。まるで神に祈るように呟くと、フィルバートの腕がニアを強く抱き返してきた。


「お前を一生離さない」


 迷いなく答える声に、わずかに安堵の息が漏れた。

 まどろむように目を緩く瞬かせていると、ふとフィルバートがニアの足下に片膝をついた。フィルバートが自身の右手の薬指から、王家の紋章が刻まれた指輪を抜き取る。それからニアの左手を掴むと、フィルバートは指輪をニアの薬指にはめてきた。

 その光景にニアが目を見開いた直後、フィルバートが薬指の指輪に口付けて囁いた。


「私の命はお前のもの」


 それはニアとフィルバートが、ロードナイトの契約を結んだときの誓いの台詞だ。だが、四年前とは立場が逆転している。

 ニアが言葉を失っていると、フィルバートが顔を上げた。その眼差しが、続く言葉を促している。ニアは震える息を吐き出した後、ゆっくりと誓いの言葉を口に出した。


「貴方の命は私のもの」


 そう返した瞬間、フィルバートの口元が柔らかく綻んだ。まるで子供のような嬉しげな笑みを浮かべている。

 フィルバートの顔が近付いてきて、唇に柔い感触が触れた。まるで慰めるみたいに、何度も角度を変えて唇が押し付けられる。その温かく、優しい感触に、ニアは淡く息を吐き出した。

 至近距離で見るフィルバートの青い瞳に日射しが反射して、宝石みたいに鮮やかに輝いている。その光を美しいと思う。決して、この光を失いたくないと。


「貴方の目は、綺麗だ」


 無意識に唇から零れていた。口説き文句のようなニアの発言を聞いて、フィルバートが一瞬きょとんと目を瞬かせる。だが、すぐさまその口元に茶化すような笑みが滲んだ。


「目だけか? お前は、俺の顔すべてが好きだろう?」


 指摘されて、ニアは思わず頬を熱くした。片手でいい加減に自分の頬を撫でながら、フィルバートが呟く。


「妬(ねた)み嫉(そね)みも多く向けられる厄介な面(つら)だが、お前に好かれるのならこの顔に生まれてきて良かったんだろう」


 ふふ、と息を吐くようにしてフィルバートが笑い声を漏らす。

 ニアが赤面したままうつむいていると、フィルバートはふと思い出したように視線を屋敷の方へ向けた。


「ああ、そうだ。お前好みの顔に穴があく前に、向こうに手を振ってくれ」


 意味不明なフィルバートの言葉に、ニアは緩く首を傾げた。言われるがままにとりあえず片手を振りつつ、屋敷の方を見やる。だが、視線の先に見えた光景に、すぐさまニアはギョッと顔を引き攣らせた。

 屋敷二階のバルコニーから、ダイアナがこちらへと向かって弓を引き絞っている。今にも矢を放とうとしている様子だ。


「ダ、ダイアナッ!?」


 とっさに声を上げると、ダイアナが弓を引いた姿勢のまま大きな声で叫んだ。


「よくもニアお兄さまを泣かしたわねッ!」


 そう叫ぶダイアナに対して、フィルバートは緩くため息を一つ漏らした。


「ネックレスの賄賂ひとつでは足りなかったか。お前を泣かせたことまでは見逃してくれないようだ」
「わ、賄賂って……」


 そういえば先ほど、ニアとフィルバートに話し合いの場を設けるように進言したとき、ダイアナは大きなエメラルドのネックレスを首にかけていた。あれはフィルバートからダイアナへの賄賂だったということか。


「お兄さま、どいて! 頭をぶち抜けないッ!」
「まっ、待てッ! ぶち抜くんじゃないッ!」


 慌てて立ち上がって、両腕をぶんぶんと屋敷に向かって振る。直後、フィルバートの高らかな笑い声が聞こえた。心底おかしそうな笑い声を上げた後、ふとフィルバートが呟く。


「ニア、明日は狐狩りをするぞ。準備しておけ」


 そう告げるフィルバートの楽しげな声に、ニアはパチリと大きく目を瞬かせた。
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