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第四章

28 結婚したいのは

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 鍛錬場に行くと、武術教師であろう無骨な顔立ちの男性と剣を打ち合わせるダイアナの姿が見えた。上下ともにピッタリとした動きやすそうな服を着ており、髪の毛もポニーテールに結われている。

 ダイアナは両手に握った剣で、武術教師から繰り出される攻撃を上手く打ち返していた。すでに長時間戦っているのか、ダイアナの額からは滝のような汗が流れている。だが、それをダイアナが気にする様子はない。

 そのストイックな姿を、ニアは鍛錬場の端に立ったままじっと見つめた。向かってくる剣をまっすぐ見据えるダイアナの眼差しは、少女らしくないほど鋭く尖っていた。だが、その険しい眼差しは、荒野を駆ける野生の獣のように生命力に満ちている。今のダイアナからは、無駄なものが削ぎ落とされた、純粋な美のようなものを感じた。

 しばらくその姿に見惚れていると、不意にギィンッと金属音を立てて、ダイアナが握っていた剣が地面に叩き落とされた。とっさにダイアナが剣を拾おうと手を伸ばすが、その前に武術教師の剣の切っ先が眼前に突き付けられる。途端、ダイアナは悔しそうに顔を歪めた。


「負けました」
「剣を振るときに、グリップの握りが甘くなる癖がある。もっと握力を鍛えるように」
「はい、解りました」
「宜しい。今日はここまでだ」


 言い切るなり、武術教師が手のひらでニアの方を示した。その仕草に、ダイアナがこちらへ視線を向ける。ニアと目が合うと、途端ダイアナはパッと表情を明るくした。


「ニアお兄さまっ!」


 子供みたいにはしゃいだ声をあげて、ダイアナがこちらへと駆け寄ってくる。そのままダイアナは、勢いよくニアに抱き付いてきた。その衝撃に腰が悲鳴を上げたが、グッと足を踏ん張って倒れるのを我慢する。

 ニアに抱き付いたまま、ダイアナが破顔してこちらを見上げてくる。先ほど剣を振るっていたときとは違う、無邪気な笑顔だ。


「お兄さまが家に帰ってくるなんて珍しいわね。どうしたの?」
「少しお休みを貰えたんで帰ってきたんだ」


 汗で湿ったダイアナの頭を、よしよしと丁寧に撫でながら答える。二人の横を、武術教師が会釈をして通り過ぎていくのが見えた。軽く会釈を返してから、ニアはダイアナの顔をもう一度見下ろした。


「驚いたよ。ダイアナ、すごく強くなったな」
「でも、負けちゃったわよ」


 唇を尖らせて、不貞腐れた声でダイアナが答える。


「それは体格やリーチの差もあるから、まだ仕方ないだろう。槍や弓の方が向いてるんじゃないのか?」
「槍とか弓も習ってるけど、剣だって一番強くなりたいもん」


 子供っぽい口調だが、言っていることはストイックを通り越してやや物騒だ。数年前までは「運動なんて嫌い! もう歩きたくないから、ここまで馬車を連れてきてっ!」と喚き散らしていたのに、いつの間にこんなに逞(たくま)しくなったのだろうか。

 ニアがしみじみと感慨に耽っていると、ダイアナがニアの両腕を掴んで軽く前後に揺さぶってきた。


「ね、せっかくだからお兄さまも一緒に模擬戦しましょうよ」


 おねだりしてくるダイアナに、ニアはかすかに苦笑いを浮かべた。


「ごめんな。今日は少し体調が悪いんだ」
「えっ、大丈夫なの?」
「ああ、ちょっと腰を痛めただけだから」


 反射的に、バカ正直に答えてしまった。怪訝そうなダイアナの視線を見て、途端ハッとする。


「五十キロの荷物を担いで、十キロ以上平気で走れるお兄さまが腰を痛めたって?」


 疑念を口に出すダイアナの姿に、ニアは慌てて口を開いた。


「いや、俺ももう歳だから」
「まだ二十歳じゃない」
「最近、朝晩寒くなってきたせいかなぁ」


 いい加減なことを言って、ははは、と空笑いを漏らすと、ダイアナはますますじっとりとした目を向けてきた。変な汗が滲みそうになりつつ、ニアは話題を逸らすように言った。


「今日は模擬戦に付き合えそうにないから、お茶でもしないか。久々に二人でゆっくり話したいし」


 ニアがそう告げると、ダイアナは疑心に満ちていた顔に弾けるような笑顔を浮かべた。


「あのね、ちょうどおいしいお菓子を取り寄せてたの! お兄さまにも食べて欲しいって思ってたから嬉しいっ!」


 すぐに着替えてくるから中庭で待っててね! と言い残して、ダイアナが屋敷の方へ走っていく。首の後ろでポニーテールが弾むように揺れているのを見て、ニアは思わず口元を綻ばせた。







 中庭に作られた東屋でのんびり待っていると、使用人たちによって次々とアフタヌーンティーセットが運ばれてきた。丸テーブルに純白のクロスがかけられ、その上に色とりどりの焼き菓子や紅茶ポットが並べられていく。

 準備が完璧に整った頃、深緑色のワンピースに着替えたダイアナがやってきた。乱れていた巻き髪も綺麗にとかれて、ハーフアップにまとめられている。髪を結んでいるリボンは、鮮やかな赤色をしていた。

 ダイアナはニアの前まで来ると、スカートの裾を両手で摘んで、華麗なお辞儀をした。淑女らしい、慎ましやかな仕草だ。お辞儀の後、ダイアナがチラとニアを見て、おしゃまな笑みを浮かべる。


「ふふ、どうかしら?」
「淑女の見本みたいだ」
「どこに出しても恥ずかしくない淑女、でしょう?」
「しかも、世界一美しい」
「そんなの言わなくても解ってるわ」


 得意げな口調で言いながら、ダイアナが向かい側の椅子に腰掛ける。紅茶を注ごうと近付いてきた使用人を片手で制して、ダイアナが声をあげた。


「あとは自分たちでやるからいいわ。お兄さまとゆっくり話したいから、みんな屋敷に戻ってくれる?」


 穏やかな口調でダイアナが告げると、使用人たちは把握したようにススッと離れていった。そのダイアナの落ち着いた対応にも、ニアは目を丸くした。

 ダイアナが紅茶ポットを掴んで、ニアと自身のカップに紅茶を注いでいく。淡く立ち上った湯気から、涼しげなミントの香りが漂ってきた。


「ありがとう」
「ううん。ほら、お菓子も食べて。それ、すっごくおいしいのよ」


 ダイアナが皿の上に盛られたお菓子を視線で示す。赤や緑や青といった鮮やかな色をした丸いお菓子を手に取って、一口かじる。サクッとした触感の後に、ジャムとバタークリームが混ざったような甘い味が広がった。


「美味しいな」
「でしょう? 全部違う味がするの。いっぱい食べてね」


 ダイアナが嬉しげに言う。ニアは促されるままに、次々とお菓子を口に運んだ。

 ダイアナはまるで甲斐甲斐しい母親みたいに、ニコニコと微笑ましそうにニアを見つめている。何だか年齢が逆転してしまったみたいで、ニアはかすかな照れくささを覚えつつ唇を開いた。


「ダイアナは、最近気になる人とかいたりしないのか?」


 どう切り出していいかが解らず、馬鹿丸出しな直球で訊ねてしまった。唐突なニアの問い掛けに、ダイアナは驚いたように目を丸くした直後、すぐさま膨れっ面を浮かべた。


「お父さまとお母さまから何か言われたんでしょう」


 ニアが両親の差し金で動いていると、完全に気付いた様子だった。不貞腐れた口調で、ダイアナが続ける。


「どうせ、声を掛けてきた男を叩きのめしてるとか、婚約を申し込まれても『一対一で戦って、私に勝てたら婚約する』なんて馬鹿なことを答えてるとか言われたんでしょう」
「えっ、そんなことを答えてるのか?」


 ニアが危惧していた通り、本当に力ですべてを解決する狂戦士(バーサーカー)になってしまっている。確かにダイアナに強くなって欲しかったが、ニアが望んでいた方向からは完全に逸れてしまっている。可愛い子猫を育てていたつもりが、ライオンにまで育ってしまったような気持ちだ。

 ニアが唖然としていると、ダイアナはミントティーを一口飲んでから素っ気なく答えた。


「ニアお兄さまほどはいかなくても、最低限私より強くなくちゃ話にならないわ。私、弱い男に興味ないの」


 続けられた言葉に、ニアは困ったように眉尻を下げた。ニアの表情を見て、ダイアナが少しだけ不安げな口調で訊ねてくる。


「お兄さまも、私が結婚した方がいいって思ってるの?」


 その問い掛けに、ニアはわずかに首を傾げた。

 この国では、貴族の少女は年頃になれば、どこかの家門に嫁いでいくのが当然だ。前の人生では、ニアだってダイアナが嫁ぐことを当たり前だと思っていた。だが、前の人生でダイアナが婚約者であるフィルバートに殺されたことを思うと、結婚することが一概に幸せだとは思えなかった。

 しばらく黙った後、ニアはダイアナを見つめて言った。


「ダイアナの好きなように生きたらいい。ダイアナが幸せだったら、どんな生き方を選んでも、何があっても、俺は一生お前の味方だよ」


 そう告げると、ダイアナは途端ほっとしたように表情を緩めた。


「私だって、別に何があっても結婚したくないってわけじゃないのよ。ただ、ちゃんと自分が結婚したいって思える相手じゃなきゃイヤなだけ。それなのにお父さまとお母さまは、勝手に私のことを『男嫌い』だなんて決めつけて」


 ブツブツとダイアナが両親に対する愚痴を呟く。ニアは朗らかに笑みを浮かべたまま、それをうんうんと聞いていた。

 だが、ふと昨夜のパーティーのことを思い出した。先ほど母は、ダイアナがダンスに誘ってきた男性を叩きのめしたと言っていたが、昨夜のパーティーではダイアナは自分からフィルバートをダンスに誘っていた。それは、つまりダイアナはフィルバートに好意を抱いているということではないのだろうか。

 そう思った瞬間、皮膚の下がスゥッと冷たくなるような感覚を覚えた。


「ダイアナは――」


 無意識に唇から声が漏れていた。ダイアナが言葉を止めて、不思議そうにこちらを見つめてくる。その顔を見つめたまま、ニアは強張った声で訊ねた。


「ダイアナは、フィル様となら結婚したいと思うか?」


 自分で口に出しておきながら、吐き気にも似た自己嫌悪が込み上げてくるのを感じた。自分は一体何を訊ねているのか。今まで必死に、ダイアナとフィルバートが結ばれないように画策してきたくせに。

 顔が苦々しく歪みそうになる。奥歯を噛んで堪えていると、ダイアナが盛大に呆れた声をあげた。


「何をトンチンカンなこと言ってるの? フィルバート様と結婚したいのはお兄さまでしょう?」


 ダイアナの口から出てきた言葉に、ニアは一瞬ぽかんとした表情を浮かべた。だが、すぐさま猛烈な勢いで羞恥が込み上げて、火がついたように顔面が熱くなる。
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