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第三章
17 血にまみれた道
しおりを挟む激しい着弾音と同時に、望遠鏡の先で間欠泉みたいに赤茶けた土埃が大量に噴き上がるのが見えた。土埃の周りには、何人もの敵兵が血を流して倒れている。倒れた敵兵たちの中に、敵将の証である金色の兜をかぶった男が混ざっているのを確認して、ニアは唇を開いた。
「敵将に命中」
「宜しい。そのまま敵陣が更地になるまで砲弾をぶち込み続けろ」
フィルバートが無慈悲に告げる。ニアは望遠鏡を目元から外すと、自陣の砲弾兵に向かって手で合図をした。敵陣を指して、攻撃続行を示す。
直後、小高い丘に並べられた何十台もの砲台が一斉に轟音を立てた。放たれた砲弾がまっすぐ敵陣へと向かって飛んでいく。着弾と同時に、大地がドンッと大きく震えて、遠くから断末魔が響いてきた。風に乗って、濃い血臭が漂ってくるのを感じる。
「馬鹿共が。欲をかいて、他国の領地にまで手を出すからこういうことになる」
冷めた口調で、フィルバートが言う。ちらりと視線を向けると、地面に置かれた椅子に足を組んで腰掛けたフィルバートの姿が見えた。その白い軍服には土埃一つついていない。
小高い丘に設営された自陣から、フィルバートは敵陣の方を眺めていた。深い青色の瞳には、敵兵の命を奪っている罪悪感など欠片も浮かんでおらず、ただただ無機質だった。その眼差しを見て、ニアはかすかに背筋が怖気立つような感覚を覚えた。
ここ数年で、フィルバートの顔からは幼さが削ぎ落とされた。その美しい横顔には、少年から青年への過渡期特有の、触れると指先が切れるような、目を逸らせない危うさが滲んでいる。身長もぐんと伸びて、今ではニアと目線が並ぶほどだ。
――もう十七歳になられたのか。
ふとフィルバートの年齢を思い出す。初めて会ったときから四年が経過して、ニアも先日二十歳の誕生日を迎えた。
この四年の濃密すぎる歳月を思い出すと、ぐらりと足下が揺らぐような眩暈を覚えた。もう四年、されどまだ四年。
膝が崩れないように力を込めていると、フィルバートが敵陣を見据えたまま訊ねてきた。
「こちらの被害は」
「現時点ではゼロです」
即座に返答すると、フィルバートはうなずいた。斜め後ろに立つニアを振り返ると、柔く目を細める。
「お前が開発するように進言した遠距離型の砲台が役に立ったな」
「フィル様が援助してくださったおかげです」
「お前の手柄だ。よくやった」
短い賞賛の言葉に、ニアは黙って頭を下げた。
前の人生でも、この戦いは起こった事象だった。隣国が国境を越えて、エルデン王国の領土へ侵攻してきたのだ。国境近くの村を占拠し、自国の旗を掲げて、本来ここは隣国の領土であると声高々に馬鹿げた主張をしてきた。
前の人生でも、ニアは第二騎士団の一員としてこの戦闘に加わったが、血みどろな近接戦闘を繰り広げ、結果的に多大なる犠牲を払ってようやく敵軍を追い返したのだ。あのときに、騎士団の仲間の多くを失った。
そのときの記憶が残っていたからこそ、ニアは数年前から遠距離型の砲台の開発を進めるようにフィルバートに進言していた。それに対してフィルバートは二つ返事で「やれ。いくら掛かっても構わない」と答えた。
フィルバートの全面的な援助のもと、ニアは国中から優秀な技術者を集め、金に糸目をつけず開発に邁進した。そのおかげで新型砲台は完成し、自陣に一切の犠牲を出すことなく勝利を収めようとしている。
ほぼ壊滅状態になった敵陣をつまらなさそうに眺めてから、フィルバートが呟く。
「戦いが終わったら、すぐに賠償の交渉に入るぞ。我が国に攻め入ったことを後悔するぐらい毟り取ってやる」
「使者を送りますか?」
「こちらから送る必要はない。向こうから送ってくるまで攻撃の手を緩めるな。圧倒的な恐怖を与えた方が、話が早くつく」
言い切るなり、フィルバートが椅子から立ち上がって歩き出す。ニアも、その後ろに付き従った。
周囲を見やると、騎士たちが砲弾によって蹂躙される敵陣を呆然と眺めているのが視界に入った。出陣したのに、まさか一度も剣を抜くことなく勝利を収めるとは思ってもいなかったのだろう。
フィルバートが歩いてくるのを見て、騎士たちがザッと左右に分かれて通り道を作る。フィルバートを見る騎士たちの眼差しには、敬意だけでなくかすかな畏怖も混じっているように思えた。
フィルバートの後ろを歩いていると、ふと騎士たちの間から囁き声が聞こえてきた。
「エルデン王国の番犬」
小馬鹿にしているようにも思える言葉だが、その声音には賞賛と敬意が篭もっている。
その誇らしげな声が聞こえた瞬間、ニアはげんなりと肩を落としそうになった。フィルバートの耳にも届いていたのか、その背中が小さく揺れている。
「お前の二つ名もずいぶんと馴染んできたな」
「フィル様のせいじゃないですか……」
不貞腐れた声で返すと、フィルバートは悪戯めいた眼差しでニアを盗み見た。その目からも、フィルバートが反省している様子はない。
――第一王子が寵愛する大斧使い。わずか十六歳にして次期ロードナイトに選ばれた逸材。エルデン王国を守護する番犬。第一王子の敵を一刀両断する狂犬――
それがニアに与えられた数々の称号だ。呼ぶ方はいいかもしれないが、そんなあだ名で呼ばれる度に、ニアは恥ずかしくて穴に埋まりたくなる。そう呼ばれるようになってしまったのも、すべてフィルバートのせいだ。
前方を歩くフィルバートを、ニアは恨みがましい目で見つめた。
この四年間で、フィルバートは国から多くの悪徳貴族を追放した。代わりに優秀な人材には次々と爵位を与え、悪徳貴族から回収した領地を与え、要職に取り立てた。ある意味公明正大ではあるが、国を欺き、裏切った者を徹底的なまでに叩き潰すフィルバートのやり方は、ニアの目から見ても恐ろしいほどに無慈悲だった。
その結果、フィルバートは貴族たちからこう噂されるようになった。
――何があろうとこの方に逆らってはならない。逆らえば、容赦なく彼の番犬が首を噛み千切りに来る。血も涙もない、冷酷王子――
弱冠(じゃっかん)十七歳にして、フィルバートは全貴族たちから恐れられる存在になった。だが、まだ成人もしていない少年が悪徳貴族たちを次々と倒す姿が爽快なのか、民衆からはフィルバートはカリスマ的に慕われている。
だが、国ごとひっくり返すような内部粛正を良く思わない人間も大量にいて、フィルバートは一時期命を狙われまくった。まるで日替わりのごとく現れる暗殺者の相手をする羽目になったのは、もちろんニアだ。
あの頃は、毎日生きた心地がしなかった。ロードナイトに選ばれてからニアは城で寝泊まりするようになったが、頻繁に襲ってくる暗殺者のせいで当時はまともに睡眠もとれなかった。一時期は、斧を両手に握って立ったまま眠っていたほどだ。
更に勘弁してくれと思ったのが、暗殺者が来る度にニアだけではなくフィルバートまで剣を握って戦闘に参加してくるところだ。
「貴方はこの国の王位継承者ですよ! 戦わずに、逃げるか隠れるかしてくださいっ!」
ニアがそう叱り付けると、フィルバートは毎回不機嫌そうに眉を寄せるのだ。
「二人で戦った方が早いだろう」
「そう思うなら、もっと護衛の数を増やしてください!」
「駄目だ。お前以外は誰も信用できない」
フィルバートの言葉に、ニアは喚いていた口をピタリと閉じた。視線を逸らしたまま、フィルバートが呟く。
「お前も気付いているだろう。どうしてここまで暗殺者が潜り込めるのか」
「中に手引きしている人間がいるんですね」
ニアが即答すると、フィルバートは口角を嘲るように歪めた。
「暗殺者を拷問して命令した者を吐かせても、口に出すのは足切り用の貴族の名前ばかりだ。間違いなく裏ですべての糸を引いている人間がいるが、毎回巧妙に足跡を消されている」
思考を整理するように、フィルバートが淡々とした口調で言う。
「証拠がなければ、真犯人を捕えることもできない」
そう漏らした後、フィルバートは囁くような声で続けた。
「俺が信じられるのは、お前だけだ」
どこか盲目的にも思えるフィルバートの言葉に、ニアは息を呑んだ。その信頼が、ひどく息苦しかった。自分はフィルバートを守りたいのではなく、ただ処刑される運命から逃れたいだけなのだ。利己的な目的で傍にいる自分が、フィルバートの信頼を踏み躙っているように思えて居たたまれなかった。
結局この四年間、ニアとフィルバートは血にまみれた道を進み続けた。そうして、容赦なく敵を斬り捨てながら突き進む二人を見て、いつしか周りからは『冷酷王子』や『番犬』と呼ばれるようになってしまったのだ。
こっぱずかしいあだ名で呼ばれる度に『どうしてこんなことになってしまったんだろう』とニアは途方に暮れる。自分はただダイアナがフィルバートに恋するのを防げればよかったのに、いつの間にやら運命が予想外な方向に転がりまくっている。この運命が最後にはどこにたどり着くのか、ニアにはもう想像すらできない。
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