【完結&コミカライズ進行中】俺の妹は悪女だったらしい

野原 耳子

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第二章

15 うちの妹は世界一可愛い

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 フィルバートに振り回されながらも、ニアの日々はめまぐるしく過ぎていった。フィルバートとともに悪徳貴族を次々と吊し上げつつ、己やダイアナの鍛錬も毎日変わりなく続け、合間合間にロキに呼び出されて遊び相手として連れ回される。忙しくて目が回る、とはこういう事かと思いながら、ニアはひたすら日々の業務に奔走した。

 はっきり言って、ニアにとってフィルバートは悪魔の化身だった。いつも平然と無理難題を押し付けては、愕然とするニアに対して「できないか?」と冷淡に訊ねてくるのだ。その度に負けん気が騒いで「できないなんて言ってませんが?」と言い返してしまう辺り、上手い具合にフィルバートに転がされているとは思う。

 前の人生の記憶さえなければ、ニアにとって純粋にフィルバートは厳しくも有能なボスだった。自分よりも三歳年下とは思えないほど博識で、行動も決断も尋常じゃないほど早い。そのうえ努力家で、ニア以上に己を痛めつけるように働いている。食事のときですら片手で食べられるものを選んで、書類を確認しながらもそもそと食(は)んでいるのだ。そんなフィルバートの隣に立つためにも、ニアも必死で走り続けるしかなかった。

 ガムシャラに働いているうちに、フィルバートと過ごす時間には少しずつ慣れてきた。フィルバートに対する潜在的な恐怖が完全に消えたわけではないが、そつなく受け答えしたり、軽口を返せるぐらいには気心が知れてきた気がする。


――このままフィルバートに重宝される部下であれば、何かあっても簡単に処刑されることはないはずだ。


 そう信じて、ニアはひぃひぃと悲鳴を上げながらも、フィルバートから任される膨大な量の業務をこなし続けた。


 そうして、更に半年が経過した。

 西方の河川敷工事の資料を片腕に抱えたまま、ニアはフィルバートの執務室へと足早に向かっていた。資料を探すのに、うっかり時間がかかってしまった。早く戻らないとフィルバートから「のんびりと茶でも飲んできたのか?」と嫌味を言われてしまう。

 早足で歩いていると、前方からこちらへと向かってくる人影が見えた。その顔を見た瞬間、ニアは思わずゲッと声をあげそうになった。先方もこちらに気付いた様子で、思いっきり顔を歪めている。


「ニア・ブラウン」


 憎々しげな声で呼んだのは、ヘンリー・ハイランドだった。ヘンリーに会うのは、バンケットの夜に気絶させて以来だった。あの後、ニアはヘンリーに謝罪に行こうとしたのだが、それをフィルバートが止めたのだ。


「どんな理由があろうが、あいつが俺を守れなかったのは事実だ。あいつ自身の過信から起きたミスに対して、お前が謝罪する必要はない」


 そう断言されると、流石にフィルバートの言葉を無視してヘンリーに謝りに行くことはできなかった。結局うやむやにしたまま半年が経ったが、まさかこんなところで出くわしてしまうとは。

 ずかずかと荒い足取りで近付いてくるヘンリーを見て、ニアはとっさに片手で胸に当てて敬礼の姿勢を取った。


「ヘンリー・ハイランド様、お久しぶりです」
「なにが久しぶりだ。よくも平然と挨拶などできたものだな、この卑怯者が」


 噛み付くような口調で言い放たれて、胸を思いっきり突き飛ばされる。ニアは数歩後ろにたたらを踏んでから、ヘンリーを鋭く見据えた。


「突然何をするんですか」
「突然何をするだって? お前こそ人の首をいきなり絞めておいて、よくそんなことが言えるな」


 嘲るようにヘンリーが片頬を歪める。その侮蔑と憎悪を滲ませた表情に、ニアはわずかに目を細めた。


「俺は最初にお願いしたはずです。妹がいるから、どうしても温室の中に入りたいと」
「嘘をつけ。どうせフィルバート様に取り入って、俺の座を奪うつもりだったんだろうが。ブラウン家は馬鹿力だけでなく、性根が腐っているところも取り柄だったのか」


 家のことまで小馬鹿にしてくるヘンリーに、ニアは思わず眉を顰めた。奥歯を噛み締めて、低い声で呟く。


「確かに、あの夜の俺は卑怯でした。気が済むまで俺を責めてくださって構いません。ですが、貴方は自分自身のことも省(かえり)みるべきではありませんか?」
「何だと?」
「もし俺が、フィル様の命を狙う敵だったらどうしたんですか?」


 そう問い掛けると、ヘンリーの目尻がヒクリと神経質に戦慄くのが見えた。睨み付けてくる眼差しをまっすぐ見返して、言葉を続ける。


「今回は俺が敵でなかったから良かったが、貴方の油断でフィル様は殺されていたかもしれない。そのときも『卑怯者に不意打ちされたせいだ』などと言い訳をされるつもりですか?」


 ニアの指摘に、ヘンリーが歯噛みするように頬を歪める。


「目の前にいる相手が誰だろうと決して気を抜かず、主君の命を守るのが我々の役目です。ご自身の油断を、他人のせいにしないでください」


 淡々とした口調でニアが続けると、ヘンリーは口角をピクピクと痙攣させた後、皮肉るように吐き捨てた。


「二番手にしかなれない家の人間が屁理屈をぬかすな」
「そうですね。貴方はその二番手の人間に、呆気なく気絶させられましたが」


 ニアを即座にそう返すと、ヘンリーは一瞬で顔を怒りに赤らめた。ヘンリーがこちらへと手を伸ばして、ニアの胸倉を掴もうとしてくる。それを見て、ニアはとっさに手に持った書類でヘンリーの手を叩き落とした。

 バヂッと鈍い音が鳴った直後、ヘンリーが忌々しげに叫ぶ。


「貴様、無礼だぞッ!」
「いきなり胸倉を掴もうとする方が無礼ではありませんか」


 冷たく言い返して、ヘンリーを見据える。屈辱に打ち震えるヘンリーに向かって、ニアは形ばかりの会釈を向けた。


「自分は業務が残っていますので、これで失礼いたします」


 一方的に言い切ると、ニアはヘンリーの横をスッと通り過ぎた。だが、数歩歩いたところで、背後から苦々しい声が聞こえてくる。


「ブラウン家は、兄妹そろって取り入るのが上手いんだな。お前の妹もあんな高慢ちきで不細工な面を晒して、よく平気で外を歩けるものだよ」


 嘲笑混じりの声が聞こえた瞬間、勝手に足が止まった。ゆっくりと振り返って、ヘンリーを見つめる。


「今、なんて言った」


 ひどく無機質な自分の声が聞こえた。顔面から一切の表情を消したニアを見て、ヘンリーがわずかに顔を引き攣らせているのが見える。だが、少しでも怯えを出すのが嫌なのか、ヘンリーはより小憎たらしい声をあげた。


「兄妹そろって尻軽な不細工だって言ってんだよ」


 その言葉が耳に入るのと同時に、全身が煮えたぎるような感覚を覚えた。腹の底から真っ赤に溶けたマグマが込み上げて、咽喉から一気に溢れ出す。

 次の瞬間、ニアは城中に響き渡るような大声で叫んでいた。


「うちの妹(ダイアナ)は世界一可愛いだろうがッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 ビリビリと大気が震えて、窓の外の木から驚いたように鳥が飛び立つのが見えた。ニアの怒号をまともに浴びたヘンリーは、目を白黒させたまま両手で耳を押さえている。

 その呆気に取られた顔を見据えたまま、ニアは感情のままに叫んだ。


「あんな天使みたいに可愛いダイアナに向かって不細工だなんて、貴方の目はどうかしているのかッ!! そもそも目玉があるのかッ!!??」


 自分でもらしくないぐらいギャンギャンと子供のように騒いでいる自覚はあった。だが、それでも歯止めがきかない。自分は何と言われても構わないが、ダイアナのことを言われるのは絶対に許せない。あんな可愛い子を不細工と言うなんて、もう正気を失っているとしか思えない。

 呆然とするヘンリーに向かって一方的に早口でまくしたてていると、不意に後ろから呆れた声が聞こえてきた。


「お前は何を騒いでいるんだ」


 振り返ると、フィルバートが自身の左腰に手を当てて立っていた。その姿を見て、怒り狂っていた脳味噌がわずかにだけ平静を取り戻す。

 ニアは胸に手を当てて敬礼を向けながら、唇を開いた。


「大変申し訳ございません。少しばかり気が荒ぶってしまいました」
「少しばかりだって?」


 フィルバートの半笑いの声を聞いて、ニアは思わず視線を逸らした。


「ほんの少し、やや多少、ちょっとだけ、腹が立ってしまいまして……」


 回りくどく言い訳を漏らすニアを見て、フィルバートが鼻で笑う。そのままフィルバートは、未だ呆然としているヘンリーへ視線を移した。寒々としたフィルバートの目に、ヘンリーの肩がピクリと小さく跳ねるのが見えた。


「お前の処断については既に話したはずだが、まだ何か言いたいことがあるのか」


 フィルバートの問い掛けに、ヘンリーは唇を小さく震わせた。


「な、納得できません……」


 足掻くようなヘンリーの言葉に、フィルバートが緩く肩をすくめる。その様を見つめて、ヘンリーは恨み言のように続けた。


「俺は、今までフィルバート様に誠心誠意尽くしてきましたし、職務をまっとうしてきました。こいつが卑怯な手を使わなければ、俺が負けることなんかありませんでした」


 訴えかけるようにヘンリーが言う。フィルバートは面倒臭そうに首を傾けた後、ふと何かを思い付いたようにニアに視線を向けた。その視線に、嫌な予感が走る。


「ニア」
「イヤです」
「まだ何も言っていない」
「言われる前から最悪な予感しかしません」
「ヘンリーと決闘しろ」
「ああ、やっぱり!」


 平然と告げられた言葉に、ニアは思わず天井を仰いで叫んでしまった。片手で頭を抱えるニアを見て、フィルバートが楽しげな声で言う。


「決闘をして勝った方が俺の付き人になる。それで良いだろう」


 フィルバートの言葉に、ヘンリーがこくこくと嬉しげにうなずく。その様子を横目で眺めて、ニアは大きくため息を漏らした。
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