14 / 69
第二章
14 ロキとダイアナ
しおりを挟む執務室に戻るためにフィルバートと共に渡り廊下を歩いていると、ふと中庭から子供のはしゃいだ声が聞こえてきた。声の方へ視線を向けると、こちらへと猛烈な勢いで駆け寄ってくる小さな影が見える。
「ニア!」
そう叫んで、ニアの腰にしがみ付いてきたのはロキだった。息が上がっているせいか、柔らかそうな頬が赤く染まっている。
「ロキ様?」
「ニア! かたぐるましろ、かたぐるま!」
はやく、はやく! と言いながら、ロキが短い両腕を伸ばして、ぴょんぴょんと飛び跳ねる。その仕草を見て、ニアは困ったようにフィルバートを見やった。一人のときだったらいいのだが、今はフィルバートと一緒にいるから勝手な真似はできない。
フィルバートが緩く肩をすくめて言う。
「してやれ」
了承の言葉を聞くと、ニアはロキの小さな身体を持ち上げて肩の上に乗せた。途端ロキが、ふわあぁ、と嬉しそうな声をあげる。その様子に、ニアは思わず和やかな声を漏らした。
「ロキ様は元気ですねぇ」
「元気すぎる」
呆れたようなフィルバートの口調に、ニアは苦笑いを浮かべた。
バンケットの日まで、ニアは第二王子であるロキは病弱だと思い込んでいた。だが、蓋を開けてみれば、ロキは病弱どころか健康優良児そのものだった。むしろ有り余る体力のせいで、城内を走りまくり、暴れまくっている。
ニアが登城するようになってから、何度「ロキ様ぁ!」と叫んで走り回る従者やメイドを見たことか。そして、その叫び声の直後には、大体何かが倒れたり、壊れたりする音が聞こえてくるのだ。
「第二王子は、病弱という噂を聞いていたのですが……」
以前、ニアがそう訊ねると、フィルバートは苦い表情を浮かべて答えた。
「外に出すと暴れ回って手がつけられないから、王妃が命じて、表の場には出さないようにしたんだ。だから、病弱という噂が流れたんだろう」
だから、謁見の場にロキの姿がなかったんだなと納得する。
そんなロキは、あの夜からニアのことをいたく気に入って、会う度にこうやって遊び相手にしようとしてくる。ロキは確かに暴れん坊だが、子供らしい無邪気な性格をしていて純粋に可愛らしかった。何だか弟ができたみたいで、ほのぼのした気持ちになる。
肩の上に乗ったロキが、遠くを指さしながら言う。
「ニア、はしれっ! はやくにげろっ!」
「逃げろ?」
ニアが首を傾げたとき、ロキが走ってきた方から大きな声が聞こえてきた。
「待てえええぇ!!」
声の方を見やって、ニアはギョッと目を見開いた。パステルイエローのドレスを着たダイアナが、スカートを両手にひっつかんだまま全速力で駆けてきている。そのなりふり構わない全力疾走に、ニアは『はしたない!』と叱ることも忘れて唖然とした。
あの夜に、ロキに気に入られたのはニアだけではなかった。どうやらロキはダイアナに追いかけ回されるのが大層楽しかったらしく、こうやって時折ダイアナを遊び相手として城に呼び出すようになったのだ。
ロキに呼び出された日の夜のダイアナは大体機嫌が悪く、夕食の席でもむっすりと黙り込んでいる。だが、城にあがる度にダイアナのアクセサリー類が増えているところを見ると、一応対価として貰うものはちゃんと貰っているらしい。その辺り、我が妹ながらちゃっかりしている。
駆け寄ってきたダイアナは、ニアに肩車されているロキをキッと睨み付けた。そのドレスのスカートには、なぜだか盛大に泥がこびり付いている。
「降りてきなさいっ!」
「やーだよ、鬼ババッ!」
「鬼ババって言うなっ!」
ニアを挟んで、ロキとダイアナが言い合いを繰り広げる。年下といえども王族に対しての言葉遣いとは思えず、ニアはたしなめるような声を上げた。
「ダイアナ、その言葉遣いはよくない」
ニアに叱られた途端、ダイアナはくしゃりと顔を歪めた。
「だって、そいつが泥ぶつけてきたぁ!」
ロキを指さしながら、子供に戻ったみたいにダイアナが叫ぶ。
「これお気に入りのドレスだったのにぃ!」
最近大人びてきていたとはいえ、まだ十一歳の少女だ。ドレスを汚されたのがよっぽどショックだったのか、ダイアナがわんわんと声をあげて泣き出す。
その姿にニアがおろおろしていると、フィルバートの声が聞こえた。
「ロキ、降りて謝れ」
「え、やだよ! だって、おれは王子だぞ!」
「王子だから何だ」
フィルバートの冷え切った返答に、肩に乗せているロキの身体がわずかに強張るのを感じた。
「そんなものに意味はない。今すぐ、降りて、謝罪しろ」
聞き分けのない子供に言い聞かせるような口調で、フィルバートがゆっくりと言い放つ。
フィルバートに目線で促されて、ニアはゆっくりとロキの身体を地面に降ろした。ロキは不貞腐れた表情のまま押し黙っていたが、フィルバートに見据えられると仕方なく唇を開いた。
「……ごめん」
ロキの謝罪を聞いても、ダイアナは悲しげにしゃくり上げたままだ。すると、ロキは癇癪を起こしたように叫んだ。
「わかったよ! おまえがすきなドレス、ぜんぶ買ってやる!」
「本当?」
ロキの叫びを聞いた瞬間、ダイアナの表情がコロリと変わった。先ほどまで泣いていたのに、その瞳は今は期待にキラキラと輝いている。
「本当に好きなドレス全部?」
言質を取るようにダイアナが繰り返す。途端、ロキが『騙された』と言わんばかりに顔を歪めた。だが、前言撤回するわけにもいかないのか喚くように返す。
「ぜんぶだっ!」
「ネックレスも?」
さりげなくネックレスまで追加するとは、なかなか強欲だ。ここまで来たら引けないのか、ロキが自棄くそになったように叫ぶ。
「いいよっ!」
「やったぁ!」
ダイアナがはしゃいだ様子で、くるりとその場でターンをする。すると、フィルバートは呆れた口調でロキに言った。
「すべてお前の小遣いから買うように」
ロキが、うぐぐ、と小さなうめき声をあげる。
そのやり取りを見て、ニアはとっさに笑ってしまった。胸の奥が妙にくすぐったいような気がして、笑い声が勝手に込み上げてくる。
するとロキが、再びニアの腰にギュウッと抱き付いてきた。
「みんな、おれをいじめる! ニアは、おれの味方だよなっ」
「はい、もちろん味方ですよ」
ロキの頭を撫でながら答えると、ダイアナがずずいっと身を乗り出してきた。
「ニアお兄さまは、私の味方でしょう?」
「そうだな。ダイアナの一番の味方だ」
ニアが深くうなずくと、ダイアナは満足げに笑みを浮かべた。
だが、次の瞬間聞こえてきた声に、ニアはピキッと身体を硬直させた。
「いいや、ニアは俺の番犬だ」
平然とした口調で言うフィルバートを、ニアはげんなりと眺めた。
「ですから、そういう冗談はやめてください……」
「どうしてだ? 前置きに『可愛い』を付けなかったのが不服か?」
完全にニアをからかっている口調だ。ニアを見つめたまま笑みを浮かべるフィルバートを、ロキとダイアナが呆気に取られた表情で見つめている。
流石に子供の情操教育に良くない発言をたしなめようとしたとき、不意にたおやかな声が聞こえてきた。
「あら、ロキ?」
王妃の姿がそこにあった。若草色のドレスには百合の刺繍があしらわれており、シンプルだが清楚で優雅な印象を受けた。かすかに百合の香りのコロンも漂ってくる。王妃の後ろには、複数のメイドが並んでいた。
柔らかな笑みをたたえたまま、王妃がロキを見つめて首を傾げる。
「母さまっ!」
王妃を見ると、ロキはパッと表情を明るくさせた。屈託のない様子で王妃へと駆け寄って、その手をぎゅっと握り締める。
「あらあら、今日は甘えん坊さんね。ちょうど午後のお茶にしようと思っていたの。ロキも一緒に行きますか?」
「行くっ!」
ロキが即答すると、王妃はその頭を優しく撫でた。その目が、流れるようにニアとダイアナへと向けられる。反射的に、ニアは手を胸に当てて敬礼を返した。
「ご挨拶が遅れました。ニア・ブラウンと申します」
「ダイアナ・ブラウンと申します」
口早に挨拶を述べると、王妃はにっこりと笑みを浮かべた。垂れた目尻からも、ふんわりと優しげな空気が漂ってくる。
「知っていますよ。ブラウン御兄妹ね。ロキは元気な子ですから、どうか良い遊び相手になってあげてくださいね」
そう言い残すと、王妃はロキの手を握って緩やかに歩き出した。
王妃の姿が見えなくなると、ダイアナがうっとりとした息を漏らした。
「王妃様って、とても優雅な方ね」
その言葉に、そうだな、と一言だけ返す。
振り返ると、フィルバートが遠くを眺めているのが見えた。その空虚な眼差しは、現実から目を背けているようにも思える。
そのとき、気が付いた。王妃は一度もフィルバートに視線を向けなかった。まるで、その場にいないものかのように完全に存在を無視していた。
気付いた瞬間、自分の唇が勝手に動いていた。
「フィル様」
ニアの呼びかけに、フィルバートが顔を向ける。感情をうかがわせない表情を見つめたまま、ニアは続けた。
「俺は犬ではありませんが……今は、貴方の味方です」
フィルバートが不思議そうに目を瞬かせる。それから、わずかに苦笑いを浮かべた。何だか困ったものを見るような眼差しだ。
「わざわざ『今は』とつけるとは、お前は馬鹿正直だな」
少し寂しげな声でそう呟くと、フィルバートはニアの肩を一度だけ叩いた。
1,878
お気に入りに追加
3,004
あなたにおすすめの小説

義兄の愛が重すぎて、悪役令息できないのですが…!
ずー子
BL
戦争に負けた貴族の子息であるレイナードは、人質として異国のアドラー家に送り込まれる。彼の使命は内情を探り、敗戦国として奪われたものを取り返すこと。アドラー家が更なる力を付けないように監視を託されたレイナード。まずは好かれようと努力した結果は実を結び、新しい家族から絶大な信頼を得て、特に気難しいと言われている長男ヴィルヘルムからは「右腕」と言われるように。だけど、内心罪悪感が募る日々。正直「もう楽になりたい」と思っているのに。
「安心しろ。結婚なんかしない。僕が一番大切なのはお前だよ」
なんだか義兄の様子がおかしいのですが…?
このままじゃ、スパイも悪役令息も出来そうにないよ!
ファンタジーラブコメBLです。
平日毎日更新を目標に頑張ってます。応援や感想頂けると励みになります♡
【登場人物】
攻→ヴィルヘルム
完璧超人。真面目で自信家。良き跡継ぎ、良き兄、良き息子であろうとし続ける、実直な男だが、興味関心がない相手にはどこまでも無関心で辛辣。当初は異国の使者だと思っていたレイナードを警戒していたが…
受→レイナード
和平交渉の一環で異国のアドラー家に人質として出された。主人公。立ち位置をよく理解しており、計算せずとも人から好かれる。常に兄を立てて陰で支える立場にいる。課せられた使命と現状に悩みつつある上に、義兄の様子もおかしくて、いろんな意味で気苦労の絶えない。
王子の片思いに気付いたので、悪役令嬢になって婚約破棄に協力しようとしてるのに、なぜ執着するんですか?
いりん
恋愛
婚約者の王子が好きだったが、
たまたま付き人と、
「婚約者のことが好きなわけじゃないー
王族なんて恋愛して結婚なんてできないだろう」
と話ながら切なそうに聖女を見つめている王子を見て、王子の片思いに気付いた。
私が悪役令嬢になれば、聖女と王子は結婚できるはず!と婚約破棄を目指してたのに…、
「僕と婚約破棄して、あいつと結婚するつもり?許さないよ」
なんで執着するんてすか??
策略家王子×天然令嬢の両片思いストーリー
基本的に悪い人が出てこないほのぼのした話です。
勇者召喚に巻き込まれて追放されたのに、どうして王子のお前がついてくる。
イコ
BL
魔族と戦争を繰り広げている王国は、人材不足のために勇者召喚を行なった。
力ある勇者たちは優遇され、巻き込まれた主人公は追放される。
だが、そんな主人公に優しく声をかけてくれたのは、召喚した側の第五王子様だった。
イケメンの王子様の領地で一緒に領地経営? えっ、男女どっちでも結婚ができる?
頼りになる俺を手放したくないから結婚してほしい?
俺、男と結婚するのか?
聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい
金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。
私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。
勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。
なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。
※小説家になろうさんにも投稿しています。

イケメンチート王子に転生した俺に待ち受けていたのは予想もしない試練でした
和泉臨音
BL
文武両道、容姿端麗な大国の第二皇子に転生したヴェルダードには黒髪黒目の婚約者エルレがいる。黒髪黒目は魔王になりやすいためこの世界では要注意人物として国家で保護する存在だが、元日本人のヴェルダードからすれば黒色など気にならない。努力家で真面目なエルレを幼い頃から純粋に愛しているのだが、最近ではなぜか二人の関係に壁を感じるようになった。
そんなある日、エルレの弟レイリーからエルレの不貞を告げられる。不安を感じたヴェルダードがエルレの屋敷に赴くと、屋敷から火の手があがっており……。
* 金髪青目イケメンチート転生者皇子 × 黒髪黒目平凡の魔力チート伯爵
* 一部流血シーンがあるので苦手な方はご注意ください
【完結】愛執 ~愛されたい子供を拾って溺愛したのは邪神でした~
綾雅(ヤンデレ攻略対象、電子書籍化)
BL
「なんだ、お前。鎖で繋がれてるのかよ! ひでぇな」
洞窟の神殿に鎖で繋がれた子供は、愛情も温もりも知らずに育った。
子供が欲しかったのは、自分を抱き締めてくれる腕――誰も与えてくれない温もりをくれたのは、人間ではなくて邪神。人間に害をなすとされた破壊神は、純粋な子供に絆され、子供に名をつけて溺愛し始める。
人のフリを長く続けたが愛情を理解できなかった破壊神と、初めての愛情を貪欲に欲しがる物知らぬ子供。愛を知らぬ者同士が徐々に惹かれ合う、ひたすら甘くて切ない恋物語。
「僕ね、セティのこと大好きだよ」
【注意事項】BL、R15、性的描写あり(※印)
【重複投稿】アルファポリス、カクヨム、小説家になろう、エブリスタ
【完結】2021/9/13
※2020/11/01 エブリスタ BLカテゴリー6位
※2021/09/09 エブリスタ、BLカテゴリー2位

BL世界に転生したけど主人公の弟で悪役だったのでほっといてください
わさび
BL
前世、妹から聞いていたBL世界に転生してしまった主人公。
まだ転生したのはいいとして、何故よりにもよって悪役である弟に転生してしまったのか…!?
悪役の弟が抱えていたであろう嫉妬に抗いつつ転生生活を過ごす物語。
社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈
めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。
しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈
記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。
しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。
異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆!
推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる