伯爵令嬢と正邪の天秤

秋田こまち

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 顔なき天秤の女神が守護する王立裁判所の裁きの間。女神も匙を投げ出してうっかり天界へと出戻りたくなる様な惨事が繰り広げられていた。悲鳴と怒号で満ちた部屋は禍々しい空気で満ちている。



「セシリア嬢、絶対に目を開けるなよ。」
 そう言った皇太子に他のご婦人方と共に部屋の隅へと追いやられ、目を閉じて時が過ぎるのを待った。しかしながら、眼前で起こるあからさまな大騒ぎに目を開かずにはいられない。

 薄ぼんやりと開いた視界に飛び込んでくるのは、取っ組み合う人々と舞い散る赤である。それが何か気がついたセシリアは思わず息をのむ。
 しかしながら、劣勢なのはノルトライン公爵側らしい。公爵が指示を出す憲兵は悉くやられている。ーーー星将軍が4人もいれば当然だろう。ただ、気を遣わなければならないが大量にいるため思った以上にすんなりいかないようだ。



「セシリア・バイロイト、」
 捕縛しにかかった憲兵を下し、憎悪のこもった瞳でセシリアを見つめる。そのどす黒い感情を一身に受け、思わず後ずさる。自分達の方に剣が向けられているのに気がついた比較的若い貴族達が悲鳴をあげる。

「そもそも、貴様が関わりだしてから全てが狂ったんだ。あの日ーーー貴様が大人しく捕まっていれば何も変わらなかった。」
、、、逆恨みも良いところだ。まさかあのノルトライン公爵が三下の様な恨み言を吐くとは思っていなかった。しかし、牡羊座の星将軍に上り詰める程の実力はあるのだ。襲われたら一回の終わりである。


「ザイラス子爵の件か。それもお前が仕組んだんだろう?自業自得だな。」
「黙れ!、、妾の血筋が!」
「その妾の血筋よりも弱いお前は何様だ?ーー野良犬の方がよっぽどマシだな。」

 セシリアと公爵の間に白銀色が飛び込んでくる。何の飾り気もないシャツとズボンであるにも関わらず、彼女の姿は何処までも堂々として、眩しかった。
 一緒に避難していた女性達が感嘆の溜息を漏らすのを聞き、思わず呆けた顔になる。

 これ以上の対話は不要、と言わんばかりに公爵が駆け足になる。その顔は怒りで醜く歪んでいた。
 怒りに脳内を支配されつつ振り回すその剣先は歪んでおり、美貌の皇女の敵ではなかった。彼の手から弾き飛ばされた剣は床に突き刺さり、彼の方には琥珀細工の短剣が突き刺さっている。

 呻き声を漏らさなかったのは流石星将軍と言うべきか、肩を抑えながら歯を食いしばって膝をつく公爵をスカーレットは蹴り飛ばす。
 背中をついて天井を見上げる公爵の腹を踏みつけ、その碧眼でフィリップ・ノルトラインを見下ろす。


「よくもやってくれたな。」
 体重をかけると共に、公爵の喉からくぐもった声が漏れる。
「あと少しで貴様の首はとんでいた。」
「そうはならなかっただろう。」
 なぁ公爵、とスカーレットが微笑んでみせた。外面だけ見れば慈悲深く微笑んでいる様にすら見えるが、その瞳には怒りの色が浮かんでいる。

「私をこの様な目に合わせておいてタダで済むと思ってるのか?」
 表情と言葉の温度差に背筋が震えた。

「お前を断頭台へと送ったのは陛下だろう!」
「だが今の私が地獄へ叩き込んでやりたいのはお前だ。」
 なおも喚く公爵に、理不尽とすらもとれる論をぶつけたのはスカーレットだ。

「このまま殺してやりたいところだが、ご婦人方の前でそんな無粋な真似は出来ないな。」

 天秤の女神の如く慈悲深く微笑み、公爵に告げる。

「公爵、お前の墓場は此処じゃない。厳正なる天秤の将としてお前に正しい幕引きを与えてやらないとな。」

 そう言って、騒動で壊れた大扉の向こうに見える天秤の像に目を向ける。それからノルトライン公爵へと視線を戻し、王立裁判所の出口を指し示してみせる。その先には、処刑をひと目見ようと集まった野次馬が沿道に集まっていた。

「人生最後の門出だ。皆がお前の幕引きを祝ってくれるさ。」









 騒ぎを聞きつけて壊れた扉を潜り抜け、法廷に足を踏み入れた憲兵達は総じて驚愕しているのが見て取れる。
 血生臭い室内に転がる己の同僚達、そして地に伏せ呆然とするノルトライン公爵。真っ青な顔でへたり込む紳士に卒倒して介抱されるご婦人方。




「こ、これはどういうことですか?」
 その反応を見るに、彼らは公爵の手先の者では無いのだろう。大惨事も良いところの室内を見回し、己らの局長を見つけて縋る様な視線を向ける。

「取り敢えず、お客様方の介抱をお願いね。医者を読んできてもらえるかしら?」
 赤の飛び散った手を拭いながらシャロン将軍は部下に告げる。



「エスターライヒ公爵、お怪我は?」
「問題ない。ーー我々は一度大使館へと帰った方が良さそうだな。」
「恥を晒すようで重ね重ね申し訳ありませんが、暫くはご内密にお願いします。」
 流石と言うべきか、テセウスに動じた様子は無い。軽く頷いた後、琥珀色の瞳で室内をぐるりと見回し、隣のアイザック大使に何事か囁いている。

「貴女の賭けに乗ったおかげで我が国は命拾いしましたよ。」
 セシリアに向けて、アイザック大使がおどけて笑ってみせる。
「国王陛下への報告はどうします?」
「取り敢えずアルビオン側がひと段落するまで待て。下手に情報が先行しても碌なことにならん。」
 それだけ告げると一礼し、2人は壊れた扉から外へと去る。勿論、現在進行形で大騒ぎになっている沿道を通るわけにはいかないので、シャロン将軍の指示を受けた憲兵に伴われ、裏から退散した。

「次はレユニオンにも遊びに来てくれ。」
 最後に、セシリアにとって叔父に当たる彼はそう言って珍しく微笑んでみせた。




「皇女殿下、まさかとは思うけど殺していないわよね?そいつにはまだまだ聞かなきゃならないことが沢山あるのよ。」
「まだ生きてる。」
「それはよかったわ。ーーージルドレッド宮殿の地下牢へ連れて行きなさい。」
 ルネ・シャロンの指示を受け、憲兵達は恐る恐る近寄る。
「おい、ルネ。」
 スカーレットの声に、側にいた憲兵達が肩を震わせる。彼らの顔は限界まで引き攣っていた。自分達憲兵が彼女の冤罪を肯定してしまっていたことを察したからだ。
「何かしら。」
「大罪人とはいえ、この国の誉れ高き星将軍だ。裏口からコソコソと連れ出すのは失礼だろう?」
 地面に転がる公爵に煽る様な視線を向けて呟く。


「勿論、堂々と正門から送り出してやるべきだ。」


 晒しものにしてやれ、という副音声が聞こえた気がする。
 本来スカーレットが浴びるはずだった罵声を浴び、石を投げられ、惨めに牢屋への道を歩めと。己の高貴なる血統に執着した気位の高い公爵には大層屈辱的であろう。

 公爵は何やら喚いていたが、忠実な憲兵達は彼を立ち上がらせると王立裁判所の正門へと連れていく。
 室内の怪我人や死人は憲兵によって連れ出され、貴族達は恐怖で顔を引き攣らせ、あるいは名残惜しそうに法廷から去る。



「感謝しろよ皇女様。カーミラちゃんを連れてきてやったのは俺だぜ。」
 ディアラ・エストレが階段の上から煽る様な表情でスカーレットを見下ろす。彼女が心底不愉快そうな表情へと変わっていくのを見て、セシリアの心臓は再び五月蝿く鳴り始める。、、今日だけで己の心臓は一体何日ぶんの働きをしたのだろうか。

「頼んだ覚えはないが。」
 そのスカーレットの顔を見て、エストレ将軍は大口を開けて笑った。憎らしい程に楽しそうだ。その行動にスカーレットの眉間の皺はどんどん深くなっていく。
「礼を言うぜセシリア嬢!俺はあの顔が見たかったんだよ。」
 頼むから今ここで自分の名前を出さないで欲しい。

(と言うか、将軍本当にその為だけに来たの?)

 煽るだけ煽って満足したのか、カーミラ・エイドリアンを連れて機嫌良く去っていく。後が怖いなぁと思いながら溜息をついた。
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