伯爵令嬢と正邪の天秤

秋田こまち

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 至る所に星座が描かれ星を表すかの如く宝石で飾り立てられている廊下を、王宮の役人や貴族の令嬢たちが煌びやかな衣装を纏い優雅に闊歩する。
 庭には色とりどりの花々が咲き誇り、その香りが風にのって王宮内にまで届く。その香りにつられた蝶たちが鮮やかな羽をひらひらと動かして、これまた優雅に彼方此方を飛び回る。

 それがアルビオン王国の普段の王宮だ。本来ならば。今日はその限りでは無かった。
 廊下を慌ただしく役人が駆け回り、誰もが足を止めて庭を眺める暇もない。
 その理由は、早朝未明に東方国境の領地から隣国アルセーヌとの開戦が伝えられたためである。国境付近での揉め事は珍しくないとはいえ、今回はかなり規模が大きい為、王宮は朝から対応に追われていた。

 そして、運悪く王宮に居合わせてしまっていた年若い令嬢たちは普段と異なる様相に怯えている。ここ数年大きな争いごとは無かったため、一言で言えば慣れていないのだ。

 この日は王宮の小宮殿にある庭園で、小規模のお茶会が開かれていたのである。
 令嬢自身の自宅で開催される場合もあるのだが、訪問先で揉め事を起こしたり、格上の令嬢を招く際に設備の違いによる不手際があったりといった事例が存在する。そのため、王宮の庭を借り受けその場でお茶会が開かれることも時々あるのだ。
 
 今日のお茶会は、モロゾフ伯爵夫人の主催である。会議室や役人の書斎などが無い小宮殿には、その騒ぎは殆ど伝わってこなかったため、お茶会は朝から順調に開催されてしまっていた。








 
「とんでもないことになったわね。」
 アルセーヌと開戦、という話を聞いて隣にいたテティスが呟く。

 皇太子との婚約が決まった時は、大層驚かれたものだ。手紙で前触れが来たと思ったら、彼女はすぐにバイロイトに突撃してきたのだ。「どういうことよ!」と問い詰められたが、セシリアには説明のしようが無い。流れで、と答えたところ「どこに流れで皇太子妃になるご令嬢がいるのよ!」と言われてしまった。セシリアだってそう思う。
 その後に、ロベリアよりもとびっきり良い相手じゃない、といい笑顔で祝福してくれたのはありがたかった。

 不安そうな様子で落ち着かない令嬢たちを、モロゾフ伯爵夫人がたしなめる。さすが年長者、と云うべきか。1人でも冷静な人間がいると安心できるのだろう、ひとまず彼女たちも落ち着いた様子だ。

「アルセーヌって隣の国だよね?何で戦争になったんだろう。」
「前々から仲良くないとは聞いているけれど、、。」
 セシリアの疑問にテティスが答える。 

 (アルセーヌ?最近どこかで聞いたようなーーー)
 
 その時、セシリアは少し前の出来事を思い出した。確か、シシィがアルセーヌとの間者だと疑われていたはずだ。皇帝殺害未遂事件のせいで、アルセーヌとの疑惑についてはすっかり頭から抜け落ちていた。


「開戦ってことは、やっぱり戦争になるのよね。」
「そうなるでしょうね。」
 そのテティスの疑問に、モロゾフ伯爵夫人が答える。
「それにしても、アルセーヌと戦争だなんて久しぶりね。5年ぶりかしら。」
 割と非常時だと云うのに、夫人には狼狽える様子が無い。これが年長者の余裕か、とテティスと共に羨望の眼差しを送ると共に、何故ここまで落ち着いていられるのかという疑問が湧いてくる。

 いくらアルビオンが戦争に強いとはいえ、アルセーヌだってかなりの歴史と国力を誇る国だ。友好的な時期もあったそうだが、ここ数十年は運河の利権問題や領土の奪い合いで小競り合いが続いている。





「また5年前みたいなことが起こるのかしらね。」
「あの時は大変だったもの。見ている分には面白いけれど。」
「アルセーヌもお馬鹿さんよねぇ。あの悪魔にあれだけやられてまだ懲りないのかしら。」

 モロゾフ伯爵夫人と同年代のご婦人方が楽しそうに談笑している。会話内容は全く穏やかでは無いのだが。

「皆さん、何のお話をされていらっしゃるのですか、、?」
 控えめにテティスが尋ねると、彼女らはあらあらといった表情でセシリアたちの方へ顔を向けた。


「今の若い子たちは知らないのねぇ。5年前にアルセーヌと戦争があったのは知っているかしら?」
「はい。色々と大変だったと聞いています。」
「噂くらいは聞いたことがあるようね。」



 テティス同様、セシリアも5年前の戦争の時の事はよく覚えている。かなり酷い戦争だったようで、国中が落ち着かない雰囲気だったのを覚えている。結果自体はアルビオンの大勝利で終わった筈だ。
 確か、皇女が星将軍の天秤の座を勝ち取ったのもその頃だった記憶がある。

「大変だったのは、戦争が終わったあと。カナンのあたりだったかしら。戦地一体が焼け野原になってしまっていたから、軍人・憲兵あわせて後始末に奔走していたらしいわよ。」
 カナン、とはアルビオン帝国の東方国境付近の地名だった筈だ。焼け野原になる程の激しい戦争だったとは、国中が落ち着かない訳だ。




 
「貴方たち、カナンの悪魔という言葉をお聞きになったことはありまして?」

 セシリアはその言葉に聞き覚えは無い。悪魔、とは何とも物騒な名前だ。星座神話において、神々に仇名なす不届者として描かれていたはずだ。
 テティスも首を横に振るが、何人かは心当たりがあるようだ。

「相手が相手だから、大っぴらにそう呼ぶ人はいないでしょうね。ーーその『カナンの悪魔』がカナンを焼け野原に変えたのよ。そのお陰でアルビオンは救われたのだけれども。」
「その、カナンの悪魔ってどなたのことなんですか?」
 1人の令嬢が夫人たちに尋ねる。その顔は怯え半分恐怖半分、といったところだ。


「スカーレット・アルビオン、皇女殿下よ。」


 その返答に、尋ねた令嬢の顔色が悪くなる。恐れ多くも、夫人方は帝国の第一皇女を悪魔呼ばわりしていたことになる。
 確かに、皇女が色狂いだの悪魔だの噂されているのは聞いたことがある。悪魔とはまた物騒なと思っていたが、改めてそう呼ばれるとこちらの肝も冷える。


 スカーレットの日頃の振る舞いに、部下の頭が不毛の地になりそうだという話は聞いたことがあるが、実際にカナンまで不毛の地と化していたのは驚いた。
 ただ、スカーレットならばやりかねないと思ってしまう。


「殿下が駆逐したのは部下の毛根だけじゃ無かったんですね。」
 うっかり口から漏れ出た言葉に、テティスがセシリアの頭を小突く。
 まずい、と思ったが目の前のご婦人方は心底愉快そうに笑うだけだった。

 

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