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オスの三毛猫しらぬいの診療カルテ 終 ⑩ 新しい世界へ

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ピーピーピーとコーヒーメーカーから音がして美樹はハッと我に返った。
不知火の手術から7日後、3週間前の夜のことを思い返していたのだった。

あの日、美樹は約束通り深夜の2時に不知火を連れてあの公園へ行き、彼の行く末について青島達が出した結論を聞いたのだ。

その日の先導役は黒髪の青年ではなく、タキシードを着た50過ぎの男性だった。

「センセイ、お迎えに上がりました。」

「ポッ君、ごくろうさま。もう準備は出来てるわ。」

美樹はキャリーバッグの蓋を少し開けて、大丈夫よ、と不知火に言った。

「さあ行きましょうか」

 公園につくと木の影から和服姿の青島が現れた。今日は若い女も連れている。

(センセイ、こちらは瀬戸と申します)

瀬戸と呼ばれた若い女は深々とお辞儀をしたので美樹もお辞儀をした。

「不知火君、出よっか」

キャリーバッグをベンチに乗せ、蓋を開けた。

不知火はピョン、とベンチに飛び降りると
背伸びをしてから青島の方へ向いた。

 (不知火、体の具合はどうじゃ)
 「んにゃ!」
 (センセイ、この不知火を助けていただいて感謝の言葉もございません。わたくし青島と一族すべてがあなたさまに感謝しております)

 青島が地面に膝をつこうとしたので美樹は止めた。

「もとはと言えば人間の業のなしたこと。なんとか助けられてよかった。」

「んにゃにゃなあ!んなあああ!!」
 (そうか。良くしてもらったか。わたしの願いはただひとつ。そなたがそなたの望むように生きることだ。さあ不知火よ、望みを言うがいい。)

 不知火はぴょんとベンチから降り、尾を上げて美樹の周りをくるりと回り、足に額を一度擦り付けると顔を見あげて鳴いた。

 「にゃおん」

そして青島のもとへゆっくりと歩いて行った。

美樹は静かに目を閉じ大きく息をついた。
それが不知火の出した答えなのだ。やはり人によって傷つけられた心は癒せないのか。青島のもとで残された生を全うするのもいいだろう。

「みんなは怒るだろうなあ・・・」特に堂島は。

蓋が開いたままの空っぽのキャリーバッグが目に入り閉じようと手を伸ばした時に

「にゃおーん!」と不知火が駆けてきてキャリーバッグに入った。

「!?不知火君?」

(センセイ、佐伯美樹さま。)

「青島さん?不知火君は・・・」

(不知火が決めたことでございます)

「ホントに、ホントにそれでいいのですか?」

返事の代わりに青島と瀬戸が深々とお辞儀をした。

木の幹にもたれかかっているタキシードの男に目をやると緑の眼でウインクしてきた。

美樹はにじんだ涙を人差し指でぬぐうとキャリーバッグの蓋を閉めた。

「確かに。お預かりしました。」

美樹は顔を上げずに病院へ歩いた。キャリーバッグの重さがとても愛しく哀しく思った。

※※※

「病める時も健やかなるときもこの子を永遠に裏切らないと私に誓いますか?」

「ハイ誓います!俺が全責任を持って」

パチパチパチ

事情があって病院に預けられた動物を里親さんへと譲り、送り出すときの恒例行事だ。

院長の佐伯美樹が入院室にいた不知火を抱っこしてきて、身体ごと松本に近づくと不知火は自分から前足を出して松本の腕の中に収まった。カシャカシャカシャ!スマートホンのシャッター音が鳴った。

「元気でね。」

美樹は不知火の頭をゴシゴシとなでた。院長が眼鏡を外して涙をぬぐったせいで一瞬静かになった。

「名前、新しい名前をつけてもいいですか。実は俺、ずっと考えてて」

沈黙を破るように松本が言った。

「えええ~!!!聞きたい聞きたい!新しい名前」
「そうだね。今日からこの子の家族になるんだから松本先生が決めたら良い。」
「大地ってどうですか?」
「うわあ~良かったー!!!変な名前じゃなくてえええ!!!」さくらの後輩看護師の恵比寿ルリが茶化す。

黙って松本の腕に収まっていた不知火はもぞもぞ動き出しピョンと処置台の上に飛び降り、うーん!と背伸びしてあくびをしたらチョコンと座った。

「じゃあ松本大地君、バイバイ。またね。」

美樹は不知火の首筋から背中をゆっくりとさするとひょいっと抱き上げ、キャリーバッグに入れてパチンと蓋を閉める。

松本は受付の福島からキャットフードの包みを受け取るとキャリーバッグを持ち、病院前に横付けしていた車に乗り込んだ。

運転席の窓を開け、ぺこりと会釈してから松本の車は夜道を走り去った。

病院の影から尾の無い三毛猫がじっと見ていたが、車が見えなくなるとやがてくるりと踵をかえし夜の闇に消えていった。


「じゃ、みんなも早く終わってください。」
松本を見送った後、さくらとルリの2人が受付の福島を誘って飲みに行くと言っていたので早めにみんなを帰らせた。

美樹は、いつものようにコーヒーメーカーに粉と水をセットし、カルテの山を横にどけて椅子に浅く腰掛けた。


「これで良かった、のよね・・・」

美樹は誰もいない窓の外へ視線をやった。遠くで「にゃおん」と青島の声がしたような気がした。
眼鏡を外し小さく息をつくと、眠気が襲ってきて眠ってしまった。

真っ白だった不知火のカルテの表紙には
名前 大地、飼い主 松本浩司、品種 MIX(三毛)オス(クラインフェルター症候群)、と記載されていた。

※※※

マンションの5階のとある部屋。
夕暮れの空にコウモリがひときわ多く飛び回っている。
窓辺に座った大きな黒猫が空をじっと見つめているとひときわ大きなコウモリが窓のそばまで来て綺麗な円を2回描いた。

「お姉ちゃん!ポポー来たよ!依頼だ!」

大きなコウモリが綺麗な円を3回描いた。

「3時だって!」

「分かった。行きましょ」

いちごは窓に右の前足を付けて鳴いた。

「ヴヴヴヴヴ~!!!にゃああああ!」

ポポーがハートの軌跡を描いて飛んでいった。

「さて、脱走の準備ね」

ざくろの眼がルビー色に光った。

≪オスの三毛猫しらぬいの診療カルテ 終わり≫
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