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第7章

紅は金と混じり合う

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 穏やかな陽の光がサーニャの横顔を照らし、その眩しさに眠りから覚醒し重い瞼を開ける。床で寝ていたはずの父親の姿はもう無い。その事から寝過ごしたと思ったサーニャが急いで起き上がり、身嗜みを整える間もなく扉へと駆け出した。
 頼りない木の扉を開ければ眩しい陽の光に一瞬目を細め、明るさに目が慣れると父親の姿を探す。

「ふっ! ふっ!」

 サーニャの父親は木の剣を持って素振りをしている最中だった。
 龍として今まで生を歩んできた彼にとって、剣を使って戦うという事は文字通り生まれて初めてだった。故にその振りは、マリーナの戦いを見てきたサーニャの目から見て、お世辞にも綺麗とは呼べなかった。

「おはようございます、お父さん」

「……あぁサーニャか。おはよう」

 額に伝う汗を袖で拭い、父が剣を置く。その見るからに傷が付いて使い古した剣を見て、サーニャが口を開いた。

「その、こちらに来てからずっと?」

「そうなるな。龍としての能力を封印されて気付いたが、わたしにはその能力に頼らない“力”という物が無い。だからこそこうして武器を手に取ったが…ままならないものだな」

 彼自身も自らの型が力任せに振るっているだけである事には気付いていた。だが師となる存在もいない現状、それをどうにか修正する術が無いので半ば諦めていた。

「すまないな。朝食にしようか」

「あっ、なら朝食はわたしが用意します。お父さんは休んでいてください」

「そうか? ならその言葉に甘えよう」

 ドカッと地に腰を下ろした父の姿を後目に、サーニャが小屋へと戻り朝食の用意を始める。と言っても大した物を作れる程食材も持ち合わせてはいないので簡素な物だ。
 マジックポーチからパンや買っていたスープ等を取り出して机に並べていくと、ふと自らの腰のポーチに“何か”が干渉した様な感覚がサーニャに伝わった。

「なんでしょう…?」

 手を入れて“違和感”を探れば、その手にぶつかったのは少し固めの物体。ソレを掴んで取り出せば、それは一冊の本だった。
 サーニャは驚きに目を見開いて、その表紙に刻まれた文字を指でなぞる。

「これ…」

「サーニャ? どうした?」

「あっ、お父さん! その…これ」

 小屋に入ってきた父に、サーニャがその本を手渡す。その意味を図りかねる様に首を傾げながらも父が受け取り、その本の題名に目を通した。

「これは…一体どうして」

「恐らく…マリーナ様が御用意してくださったのだと思います」

 サーニャのマジックポーチに送り付けられた本。その内容は──剣の指南書。
 基本的な型から有効的な反復練習法。実践に対する心得など様々な事が記載されたその本は、今のサーニャの父親にとって最も必要とする知識を与えてくれる物だった。

「何故今になって送られたのかは分かりませんけれど……多分、お父さんの為に用意したんだと思います」

 マリーナが何処からどうやって見ていたのか、それは考えるだけ無駄である事はサーニャが良く知っていた。マリーナに関しては諦めが肝心なのだ、と。
 受け取った本を暫し眺め、少ししてサーニャの父親がはぁ…と息を吐いた。

「敵わないな…」

「ですね。さぁ、今は朝食を食べてしまいましょう」

「ああ、そうだな」

 二人で食卓を囲み、穏やか食事を楽しむ。その久しぶりの行為に、サーニャの頬が少し緩んだ。

 ◆ ◆ ◆

「さて。では今日はサーニャの特訓に付き合おう」

「え、でも…」

 サーニャが机の上に置かれた本へと視線を向ける。折角贈られた物なのだから、早く活用した方がいいのでは無いかとサーニャは思う。だが、サーニャの父親は苦笑を浮かべて答えた。

「元より時間は多くあるのだ。急ぐものでは無い。それよりも早くサーニャが神龍様の元へ戻れるよう力を貸すべきだろう?」

「…ありがとう、ございます」

 罰を受けている状態のサーニャの父親は、この場から離れるまでの時間はたっぷりとある。その間幾らでも特訓が出来る自身とは違い、神龍様マリーナと共に旅をする仲間であるサーニャは出来る限り早く戻るべきだ、とサーニャの父親は思う。
 朝食の後片付けをして二人が小屋を出ると、緑の匂いを纏った風が吹き抜け、サーニャが心地良さげに目を細めた。

 特訓、と言っても、サーニャの父親がする事はあまり無い。強いて言えば、サーニャが魔力の調子を整えている間に周辺の警戒をしたり、魔法を使う際の魔力の流れを視て、無駄がないかを確認する程度だ。

「すぅー…はぁー…」

 サーニャが深く息を吐き、自身の魔力に集中する。目指すのは昨日の結界。だが、昨日と違うのはソレに隠蔽の意思を込める事。

(何時までもマリーナ様に頼る訳にはいきません…!)

 昨日はマリーナが結界の魔力を隠蔽してくれたが、今日もしてもらう訳にはいかない。感覚はある程度掴んでいる。多少荒くはなるだろうが、出来ない事は無いはずだとサーニャは自身を鼓舞する。

(魔力の込めすぎが原因っぽいですよね)

 マリーナを傷付けない為に気合が入りすぎたのが原因の一端では無いかと予想を立て、昨日よりも魔力を抑えて結界を纏う。そして、その“性質”を変化させていく。

「……ここまでとは」

 サーニャの父親が思わず言葉を零す。龍の瞳から視ても殆ど誤差が無い程身体に密着した結界は、彼からして十分に賞賛に値する魔法だった。
 そして、彼の視界に映る紅い結界は、次第にその“色”を失い周囲に溶け込んでいく。

(消えた…? いや、これは…)

 魔力の隠蔽はサーニャの父親にも心得がある。だが、それでも龍眼を欺ける程のものでは無い。しかし、目の前のサーニャの結界は確かにそこにある筈なのに、彼の視界には映らない。

「……か」

 龍はその膨大な力を持つが故に、近くの生き物に多少なりとも影響を与える。一日二日程度ではそう変わらないが、何日も行動を共にすれば、それは顕著に現れる。
 神龍であるマリーナとの邂逅は、歪な力を持つサーニャにとって僥倖だったのかもしれないと、彼は一人息を吐いた。






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