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69話
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露天風呂で気絶してしまった奏だったが、暫く夜風に当てていれば無事目を覚ました。
「わ、私先上がってるねっ!」
だが瑠華に裸で膝枕されていたという事実に気付き、また気絶してしまう前にと急いで走り去ってしまった。
「…騒がしいのぅ」
その後ろ姿を眺めて苦笑しつつ、瑠華は一人で温泉に浸かり直す。
「…血迷ったかの」
その場の雰囲気に呑まれていたのは、なにも奏だけでは無かった。改めて考えれば、何故あの様な暴挙に出てしまったのかと自責の念にかられる。
「はぁ……」
「瑠華様、どうかなさいましたか?」
「む…紫乃。他の者はどうしたのじゃ?」
「もう既に上がっておりますよ」
「そうか。御苦労じゃったの」
「いえ。…お隣、よろしいですか?」
「構わんぞ」
「では失礼いたします」
紫乃が水飛沫を立てぬよう静かに身体を湯へと滑り込ませ、瑠華と拳一個分程の間隔をあけて座る。
「…奏様と、何かございましたか?」
「ん? ……まぁあったと言えば、あったのぅ」
「……お聞きしても?」
「少しばかりの気の迷いじゃ。気にする事はない」
「……そうですか」
それっきり、紫乃は口を噤んだ。瑠華が話そうとしない事を無理に聞き出す程、命知らずでは無い。
その後も二人の間に会話は無く、静かに夜は更けていった。
◆ ◆ ◆
瑠華がお風呂から上がって部屋に戻れば、既に全員が布団にくるまって気持ち良さげに眠っていた。
起こさぬように間をすり抜け、向かったのはベランダへと通ずる大きな窓。
「…良い夜じゃの」
冷ややかな夜風が頬を撫で、瑠華が目を細める。ベランダには椅子と小さな机があり、折角だからとその椅子に腰掛けた。
「妾は……どうしたいのじゃろうな」
考えるのは奏とのやり取り。瑠華は当然、奏がどの様な感情を自分に対して持っているのかは理解している。その気持ちがどれだけ本気であるのかも。
(…凪沙や、茜も同じじゃ。しかし妾はその気持ちに応える資格が無い)
何時かは世界の管理者として戻る時が来る。そしてその時が人間の寿命までかは分からない。もしかすれば、明日にでも戻らねばならなくなる可能性すらあるのだ。
「……本来は今のこの身では許されぬ事じゃが、今日くらいは良いじゃろう」
そう誰に言い訳するでもなく口走って、机に出したのは一本の瓶と小さなグラス。
瓶からグラスに注いだ透明な液体を嚥下すれば、喉にほのかな熱さが通る。
「ふぅ…」
随分と久しぶりに飲んだものだが、悪くない。なにせ元はレギノルカに献上された貢物なのだから、その品質は折り紙付きだ。
「瑠華様。お酌致しましょうか?」
「ん…紫乃も飲むかえ?」
「……では失礼して」
他ならぬ瑠華からの誘いを断る選択肢は無い。グラスを受け取って、注がれたその清らかな液体を口に含み――――盛大に噎せた。
「ゲホッゲホッ…! …っ、喉が、痛い…っ」
「……すまん。そこまで酒精が強いとは思わなんだ」
思わず瑠華が眉根を寄せて困り顔になる。元々龍であるレギノルカの為に作られた酒なので、その酒精の強さは推して知るべしである。
「ほれ水じゃ。ゆっくり飲むと良い」
「すいませ…ゲホッ……」
喉が燃えるような熱さを訴え、それに紫乃が苦悶の表情を浮かべながらチマチマと水を口に含む。
「落ち着いたかの?」
「……はい、何とか…これを平然とお飲みになるとは凄まじいですね…」
「妾は感覚が他と違うでの。この程度ならば水も同然に感じてしまうのじゃよ」
それは各種耐性によるものだが、少なくとも口に含んだだけで喉に激痛が走る程の酒を水同然と評する瑠華に紫乃は言葉も出ない。
「して妾に何か用かの?」
「ぁ……その、何やら思い詰めていらっしゃるご様子でしたので」
「……そうか。そう見えたか」
瑠華が紫乃から視線を外し、夜空に浮かぶ月を見遣る。そしてグラスに残った酒をグイッと飲み干すと、ポツリと言葉を零した。
「妾は、完全に人として生きる事は出来ない存在じゃ。故に何時かは別れが来る。それが分かっていながら、妾は今を手離したくないと考えてしまっておる」
「………」
「奏や凪沙、茜といった子らの想いにも、当然気付いておる。じゃが…その想いに応えるのが果たして正しいのか分からぬのじゃ」
たった一時の関係。レギノルカからすれば瞬きの時間ですらない、極めて短い期間。それに甘んじる事が、果たして正しいのか。もしその選択を取ったとして、それがレギノルカの心に大きな歪みを引き起こす可能性は無いのか。
「……苦労なされているのですね」
「……そうじゃな。今までも別れは数え切れぬ程繰り返して来た。それを悲しんだ事も無論ある。じゃがそれは所詮他人だった。奏達の様に、親密な間柄では無かったのじゃよ」
だからこそ、今まではその相手が死んだとしてもさして心を痛める事は無かった。言ってしまえば、今の状況はレギノルカにとって未知数なのだ。
「…瑠華様は、どうされたいのです?」
「……どうすれば良いのじゃろうな」
「すれば良いではありません。瑠華様御自身は、どうお考えなのですか?」
「妾の…?」
レギノルカは確かに心を、自分の考えを持つ存在だ。しかしその身に宿す力の大きさが故に、その行動には一定の制限が伴う。それが前提であった為に、自分の心のまま好きなように動いた試しは今まで無い。
「瑠華様は確かに理を外れたお方です。その行動に大きな責任が伴う事も理解しております。しかし、それで自分の心を押さえ付け続けてしまえば、何時か心が壊れてしまいます」
「………」
「今までに無く思い悩むという事は、それだけ心に負担が蓄積している事の証左だと、私は思うのです」
「……負担、か」
思えばこうして弱音のようなものを吐くのも、初めての経験だ。紫乃の言う事は、案外的を射ているのかもしれない。
「それにもし瑠華様の選択が間違いだったとしても、それを正してくださるお方が居らっしゃるのでは?」
「…確かに居るのじゃ」
「であればそのお方が出てこない限り、瑠華様の選択は誤りでは無いという証明になるのではありませんか?」
「………そうか。そうじゃな。母君がそれを見逃すとも思えんしの」
新しくグラスに酒を注ぎ、口を潤す。その表情は、少し迷いが晴れたような気がした。
「紫乃、感謝するのじゃ」
「いえ。……瑠華様にも悩む事があるのだと知れて、少し嬉しいです」
「妾は別に完璧な存在では無いからの。意外と悩む事などは多くあるのじゃよ」
「そうなのですか?」
「うむ。まぁ悩むといっても、世界の調整に関してじゃがな。人の子らが環境を壊してしまった大陸を一度沈めて再生すべきかや、停滞化した文明を一度敢えて壊すかどうかの判断など、色々悩む事は多いのじゃ」
「……悩むの規模が違い過ぎますよ……」
―――――――――――――――――――――――――
『龍ノ涙』
レギノルカの為に作られた清酒。極めて高い度数を誇る。味見を担当した人間は、最後の方には喉が焼けて声が出せなくなった。流石にそれを哀れに思ったレギノルカが、献上された際にその人を治療してあげたという逸話がある。
具体的な度数は、七十を超えるくらい。そして瑠華はそれをストレートで飲んでる。紫乃が噎せたのも当たり前過ぎる。
瑠華は当然ザル。というか多分網目すら無い。
耐性切ったら酔えるけど、酔ったら確実に地図が変わるので流石に自制してた。
「わ、私先上がってるねっ!」
だが瑠華に裸で膝枕されていたという事実に気付き、また気絶してしまう前にと急いで走り去ってしまった。
「…騒がしいのぅ」
その後ろ姿を眺めて苦笑しつつ、瑠華は一人で温泉に浸かり直す。
「…血迷ったかの」
その場の雰囲気に呑まれていたのは、なにも奏だけでは無かった。改めて考えれば、何故あの様な暴挙に出てしまったのかと自責の念にかられる。
「はぁ……」
「瑠華様、どうかなさいましたか?」
「む…紫乃。他の者はどうしたのじゃ?」
「もう既に上がっておりますよ」
「そうか。御苦労じゃったの」
「いえ。…お隣、よろしいですか?」
「構わんぞ」
「では失礼いたします」
紫乃が水飛沫を立てぬよう静かに身体を湯へと滑り込ませ、瑠華と拳一個分程の間隔をあけて座る。
「…奏様と、何かございましたか?」
「ん? ……まぁあったと言えば、あったのぅ」
「……お聞きしても?」
「少しばかりの気の迷いじゃ。気にする事はない」
「……そうですか」
それっきり、紫乃は口を噤んだ。瑠華が話そうとしない事を無理に聞き出す程、命知らずでは無い。
その後も二人の間に会話は無く、静かに夜は更けていった。
◆ ◆ ◆
瑠華がお風呂から上がって部屋に戻れば、既に全員が布団にくるまって気持ち良さげに眠っていた。
起こさぬように間をすり抜け、向かったのはベランダへと通ずる大きな窓。
「…良い夜じゃの」
冷ややかな夜風が頬を撫で、瑠華が目を細める。ベランダには椅子と小さな机があり、折角だからとその椅子に腰掛けた。
「妾は……どうしたいのじゃろうな」
考えるのは奏とのやり取り。瑠華は当然、奏がどの様な感情を自分に対して持っているのかは理解している。その気持ちがどれだけ本気であるのかも。
(…凪沙や、茜も同じじゃ。しかし妾はその気持ちに応える資格が無い)
何時かは世界の管理者として戻る時が来る。そしてその時が人間の寿命までかは分からない。もしかすれば、明日にでも戻らねばならなくなる可能性すらあるのだ。
「……本来は今のこの身では許されぬ事じゃが、今日くらいは良いじゃろう」
そう誰に言い訳するでもなく口走って、机に出したのは一本の瓶と小さなグラス。
瓶からグラスに注いだ透明な液体を嚥下すれば、喉にほのかな熱さが通る。
「ふぅ…」
随分と久しぶりに飲んだものだが、悪くない。なにせ元はレギノルカに献上された貢物なのだから、その品質は折り紙付きだ。
「瑠華様。お酌致しましょうか?」
「ん…紫乃も飲むかえ?」
「……では失礼して」
他ならぬ瑠華からの誘いを断る選択肢は無い。グラスを受け取って、注がれたその清らかな液体を口に含み――――盛大に噎せた。
「ゲホッゲホッ…! …っ、喉が、痛い…っ」
「……すまん。そこまで酒精が強いとは思わなんだ」
思わず瑠華が眉根を寄せて困り顔になる。元々龍であるレギノルカの為に作られた酒なので、その酒精の強さは推して知るべしである。
「ほれ水じゃ。ゆっくり飲むと良い」
「すいませ…ゲホッ……」
喉が燃えるような熱さを訴え、それに紫乃が苦悶の表情を浮かべながらチマチマと水を口に含む。
「落ち着いたかの?」
「……はい、何とか…これを平然とお飲みになるとは凄まじいですね…」
「妾は感覚が他と違うでの。この程度ならば水も同然に感じてしまうのじゃよ」
それは各種耐性によるものだが、少なくとも口に含んだだけで喉に激痛が走る程の酒を水同然と評する瑠華に紫乃は言葉も出ない。
「して妾に何か用かの?」
「ぁ……その、何やら思い詰めていらっしゃるご様子でしたので」
「……そうか。そう見えたか」
瑠華が紫乃から視線を外し、夜空に浮かぶ月を見遣る。そしてグラスに残った酒をグイッと飲み干すと、ポツリと言葉を零した。
「妾は、完全に人として生きる事は出来ない存在じゃ。故に何時かは別れが来る。それが分かっていながら、妾は今を手離したくないと考えてしまっておる」
「………」
「奏や凪沙、茜といった子らの想いにも、当然気付いておる。じゃが…その想いに応えるのが果たして正しいのか分からぬのじゃ」
たった一時の関係。レギノルカからすれば瞬きの時間ですらない、極めて短い期間。それに甘んじる事が、果たして正しいのか。もしその選択を取ったとして、それがレギノルカの心に大きな歪みを引き起こす可能性は無いのか。
「……苦労なされているのですね」
「……そうじゃな。今までも別れは数え切れぬ程繰り返して来た。それを悲しんだ事も無論ある。じゃがそれは所詮他人だった。奏達の様に、親密な間柄では無かったのじゃよ」
だからこそ、今まではその相手が死んだとしてもさして心を痛める事は無かった。言ってしまえば、今の状況はレギノルカにとって未知数なのだ。
「…瑠華様は、どうされたいのです?」
「……どうすれば良いのじゃろうな」
「すれば良いではありません。瑠華様御自身は、どうお考えなのですか?」
「妾の…?」
レギノルカは確かに心を、自分の考えを持つ存在だ。しかしその身に宿す力の大きさが故に、その行動には一定の制限が伴う。それが前提であった為に、自分の心のまま好きなように動いた試しは今まで無い。
「瑠華様は確かに理を外れたお方です。その行動に大きな責任が伴う事も理解しております。しかし、それで自分の心を押さえ付け続けてしまえば、何時か心が壊れてしまいます」
「………」
「今までに無く思い悩むという事は、それだけ心に負担が蓄積している事の証左だと、私は思うのです」
「……負担、か」
思えばこうして弱音のようなものを吐くのも、初めての経験だ。紫乃の言う事は、案外的を射ているのかもしれない。
「それにもし瑠華様の選択が間違いだったとしても、それを正してくださるお方が居らっしゃるのでは?」
「…確かに居るのじゃ」
「であればそのお方が出てこない限り、瑠華様の選択は誤りでは無いという証明になるのではありませんか?」
「………そうか。そうじゃな。母君がそれを見逃すとも思えんしの」
新しくグラスに酒を注ぎ、口を潤す。その表情は、少し迷いが晴れたような気がした。
「紫乃、感謝するのじゃ」
「いえ。……瑠華様にも悩む事があるのだと知れて、少し嬉しいです」
「妾は別に完璧な存在では無いからの。意外と悩む事などは多くあるのじゃよ」
「そうなのですか?」
「うむ。まぁ悩むといっても、世界の調整に関してじゃがな。人の子らが環境を壊してしまった大陸を一度沈めて再生すべきかや、停滞化した文明を一度敢えて壊すかどうかの判断など、色々悩む事は多いのじゃ」
「……悩むの規模が違い過ぎますよ……」
―――――――――――――――――――――――――
『龍ノ涙』
レギノルカの為に作られた清酒。極めて高い度数を誇る。味見を担当した人間は、最後の方には喉が焼けて声が出せなくなった。流石にそれを哀れに思ったレギノルカが、献上された際にその人を治療してあげたという逸話がある。
具体的な度数は、七十を超えるくらい。そして瑠華はそれをストレートで飲んでる。紫乃が噎せたのも当たり前過ぎる。
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