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56話

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 瑠華が鬼人を連れて【柊】に辿り着いたのは、空が白みだした時だった。

「ふぅ…」

 出掛けた時と同じ窓から中へと入り、一息吐いて姿を人間に戻す。そして普段使っているベッドに鬼人を寝かせると、労わるように額に手をのせた。

「鬼人としては若いのぅ…」

 少し傷んだ銀の髪を手櫛で梳いて、少し思案する。レギノルカの記憶が正しければ、鬼人とは鬼と呼ばれる種族が進化した姿だ。種族の進化は経験を積んだ個体に稀に起きる極めて珍しい事象であり、それ故に長く生きた個体に起きやすい。
 強さを誇りとする鬼であれば、鬼人となるのはその中でも最も経験を積んだ強い個体だ。しかし今瑠華の前にいる鬼人は、明らかに幼い女児である。

「……まぁそれは本人に聞けば良かろう。欲は発散出来たじゃろうしな」

 強さを誇りとし、闘うことを好む種族である鬼の進化として鬼人はある制約を持っている。それを“欲”と呼び、鬼人はその欲を発散しなければ自我を失ってしまう。
 そうならない為に、鬼人は常に強者との戦いを望むのだ。戦って始めて、己の存在意義が果たされるが故に。

「今はゆっくりと休むが良い」

 最後に優しく頭を撫でれば、ふにゃりと寝顔が緩んだ。それを確認して、部屋に結界を張りつつ外に出て下に降りる。そもそも睡眠を必要としない瑠華は、今からの時間はただ暇である。

「……普段ならば隣りに眠る子らを愛でるのじゃがな」

 思えば瑠華は【柊】に来てから一人で夜を過ごした事が無い。昔は当たり前であった一人が、今では少し寂しく感じてしまう自分に苦笑を零した。

「さて何をするか……確かパスタソースがもう無かったか? ならばそれを作るとするかの」

 眠る子達を起こさないように遮音結界を準備して、パスタソースを作る準備を始める。そうして久しぶりの瑠華一人の時間は、普段の昼間と変わらない様子で過ぎていった。


 ◆ ◆ ◆


 出来上がったパスタソースを小分けして道具を片付け始めたところで、起き出す存在に気が付いた。時計を見ればまだ午前七時。今日は日曜日であり、休日の【柊】の平均起床時間は午前十時だ。部活があるとも聞いていないので、瑠華は首を傾げた。

「おはよー……あれ、瑠華ちゃん料理してたの?」

「おはよう奏。今日は早いのう?」

 暫くして降りて来たのは、普段寝坊ばかりの奏であった。どういう風の吹き回しかと、瑠華が思わず訝しむ眼差しを向けてしまう。

「……瑠華ちゃんが何考えてるのか分かるけど、私だって起きる時は起きるんだよ」

「珍しい事もあるものじゃのぅ…」

「まぁ、ね…今日はちょっとランニングでもしよっかなって」

「ランニング?」

「うん。やっぱり瑠華ちゃんに追い付くには一朝一夕じゃ無理だしね。地道な事からコツコツ始めようと思って」

「そうか…良い心掛けじゃな。ならば朝餉は帰ってからにするかの?」

「そうする。じゃあ行ってくるね」

「うむ……あぁいや少し待つのじゃ」

「?」

 そのまま玄関で見送ろうとした瑠華が、ある事を思い出し奏を呼び止めた。

「此奴らの散歩も頼めるかの」

 その声と共に瑠華の影から飛び出す三つの影。瑠華が成り行きで契約してしまったケルベロスの睦月、如月、弥生である。

「わっ!? えっ、この子達どしたの!?」

「少し縁があっての。それぞれ睦月、如月、弥生という。まだ幼い個体のようでな、遊びたがりじゃから任せたいのじゃ」

 〈おさんぽ!〉

 〈ごほーび!〉

 〈まだー?〉

 まだ瑠華からご褒美を貰っていない事を覚えていた弥生達が、尻尾をブンブンと振って瑠華に擦り寄る。

「すっごい懐かれてるね」

「此奴らの思考回路はかなり単純じゃぞ…はぁ、奏と散歩を終えれば褒美をやるから行ってくるのじゃ」

 〈やくそくー!〉

 〈かなでー?〉

 〈あるじさまのにおいするー!〉

「わっ、擽ったいよぅ~」

 どうやら相性は良さそうだと胸を撫で下ろす。……ついでに流れで説明を省けた事にも安堵した。

「美影~、お友達だよ~! ……あれ?」

 奏が自分の影に呼び掛けるが、美影が出てこない。理由が分からず、奏が小首を傾げる。

「……弥生達に怯えておるのじゃろうな」

「えぇー! こんなにも可愛いのに…」

 奏が睦月の頭をわしゃわしゃと撫でるが、実際は奏や美影よりも強いモンスターだ。触れる事が許されているのは、奏が瑠華あるじのお気に入りである事を理解しているからでしかない。

「睦月、如月、弥生。妾が許可しない限り、攻撃行為を禁止する。反撃は許すが、命は奪うな。分かったか?」

 〈〈〈はーい!〉〉〉

 随分と緩い返事が返ってきたが、まぁこう言っておけばまず問題は起きないだろう。

「瑠華ちゃん…?」

「此奴らはモンスターじゃからの。何かあってからでは遅いじゃろ?」

「あっ…そっか。ただの犬じゃないんだ」

「まぁ奏を襲う事はまず無いから安心するのじゃ。では三匹を任せるぞ」

「分かった! じゃあ行こっか!」

 〈〈〈はーい!〉〉〉

 元気良く出掛けて言った一人と三匹を見送り、瑠華が自室へと戻る。すると既に鬼人は目を覚ましており、部屋に入ってきた瑠華にビクリと身体を跳ねさせた。

「調子はどうじゃ?」

「ぁ…ぇと…大、丈夫、です」

「ふむ、受け答えは問題なさそうじゃな」

 ベッド傍に椅子を持ってきてそれに腰掛け、威圧感を与えないよう柔らかな声色で尋ねる。

「名前は分かるかの?」

「えっと…紫乃しのと、申します」

「紫乃か。由来はその瞳かの?」

「あ、はい。そう、です」

 眠っている間は気が付かなかったが、紫乃は綺麗な紫の瞳を持っていた。

「紫乃、どこまで覚えておる?」

「覚えて…えと、祈祷を行った後、気が付けば洞窟の中に居て…その後は、あまり…」

「…成程のぅ」

 その言葉が正しいのであれば、紫乃はダンジョンで生まれた存在では無いという事になる。

(……殺すと姿を失うモンスター。もしや…)

「紫乃。もしやそなた、此方に身体ごと来た訳ではないのか……?」



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