上 下
4 / 138
過去

3

しおりを挟む

「今日はもう上がっていいよ」
 
 祖母からそう言われ、クーリアはカウンターから奥の部屋へと向かった。
 
 そこは従業員の休憩部屋のようなものだった。
 簡素なテーブルと椅子が置かれただけの小さな部屋。だが、いまさっきまで(クーリアが思う)最大の愛想を浮かべて接客していたので、疲れていたクーリアにとって、落ち着ける空間だった。
 
 椅子に座ると、テーブルの上に置かれたパンが目に入る。遅めの朝食兼昼食。所謂いわゆるブランチだ。
 クーリアは祖父が焼いたパンが大好きだった。特に甘いパンが。
 
 それを目にしたクーリアは一段と瞳を輝かせ、パンに手をのばした。
 そしていざ食べようとしたとき……ふいに扉が開いた。
 もう既にパンを咥えていたクーリアは、その状態のまま、入ってきた人物へと目線を向けた。
 
「あらあら。可愛らしい食べっぷりね」
 
 優しい笑みを浮かべながらそう言った人物。それは…
 
「ふぁふぁ!(ママ!)」

 そう。クーリアの母だった。
 パンを咥えたまま、そう叫ぶクーリアに笑みを向けつつ、はしたないと咎めるのを忘れないあたり、立派な母親であった。
 
「んぐ…どうしたの?」
 
 口に入れていたパンを飲み込み、クーリアがそう尋ねた。クーリアが疑問に思うのも仕方ない。クーリアの母は普段、食堂で働いているのだ。
 故に今は働いている時間帯であり、ここに来ることはないはずなのだ。
 
「ちょっとお話したいことがあってね…今いいかしら?」
 
 いつになく真剣な様子で母が尋ねてきたことにより、クーリアは思わず姿勢を正して、続きを促した。
 
「…クーは、ママが再婚するって言ったら、賛成してくれる?」
 
 クーリアは一瞬、何を言っているのか分からなかった。
 だが、直ぐにその事を理解すると、難色を示した。
 
「…その人はいい人?」
 
 クーリアにとって、父親といえば自身を罵って暴力を振るってきたあの人物しか知らないのだ。
 故に頭では分かっていても、父親とは皆そういうものなのではないかと考えてしまうのだ。
 
「そうね。とってもいい人ね」
 
 そう言う母の顔は、恋する乙女そのものだった。
 そんな顔をされて言われてしまっては、母が大好きなクーリアは賛成せざるを得ない訳で……
 
「…ずるいや」
 
 思わずそんな言葉が零れる。
 
「ママがそんなに嬉しそうなら、私は賛成するしかないじゃない」
 
 これまた親しい人にしか分からないふくれっ面でクーリアはそう言った。
 
「ふふっ。ごめんなさいね。だけど、大丈夫。あなたも好きになると思うわ」
 
 そう言って母は去っていった。
 1人残されたクーリアはしばらく悩んでいたが、目の前のパンを見て全て吹っ飛んで行った。
 
 
 
 クーリアにとって、母の恋より食い意地の方が大事であった……
 
 
 
 
 
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

好きでした、さようなら

豆狸
恋愛
「……すまない」 初夜の床で、彼は言いました。 「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」 悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。 なろう様でも公開中です。

愛していました。待っていました。でもさようなら。

彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。 やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。

【完結】6歳の王子は無自覚に兄を断罪する

土広真丘
ファンタジー
ノーザッツ王国の末の王子アーサーにはある悩みがあった。 異母兄のゴードン王子が婚約者にひどい対応をしているのだ。 その婚約者は、アーサーにも優しいマリーお姉様だった。 心を痛めながら、アーサーは「作文」を書く。 ※全2話。R15は念のため。ふんわりした世界観です。 前半はひらがなばかりで、読みにくいかもしれません。 主人公の年齢的に恋愛ではないかなと思ってファンタジーにしました。 小説家になろうに投稿したものを加筆修正しました。

《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。

友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」 貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。 「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」 耳を疑いそう聞き返すも、 「君も、その方が良いのだろう?」 苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。 全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。 絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。 だったのですが。

毒を盛られて生死を彷徨い前世の記憶を取り戻しました。小説の悪役令嬢などやってられません。

克全
ファンタジー
公爵令嬢エマは、アバコーン王国の王太子チャーリーの婚約者だった。だがステュワート教団の孤児院で性技を仕込まれたイザベラに籠絡されていた。王太子達に無実の罪をなすりつけられエマは、修道院に送られた。王太子達は執拗で、本来なら侯爵一族とは認められない妾腹の叔父を操り、父親と母嫌を殺させ公爵家を乗っ取ってしまった。母の父親であるブラウン侯爵が最後まで護ろうとしてくれるも、王国とステュワート教団が協力し、イザベラが直接新種の空気感染する毒薬まで使った事で、毒殺されそうになった。だがこれをきっかけに、異世界で暴漢に腹を刺された女性、美咲の魂が憑依同居する事になった。その女性の話しでは、自分の住んでいる世界の話が、異世界では小説になって多くの人が知っているという。エマと美咲は協力して王国と教団に復讐する事にした。

【完結】元婚約者の次の婚約者は私の妹だそうです。ところでご存知ないでしょうが、妹は貴方の妹でもありますよ。

葉桜鹿乃
恋愛
あらぬ罪を着せられ婚約破棄を言い渡されたジュリア・スカーレット伯爵令嬢は、ある秘密を抱えていた。 それは、元婚約者モーガンが次の婚約者に望んだジュリアの妹マリアが、モーガンの実の妹でもある、という秘密だ。 本当ならば墓まで持っていくつもりだったが、ジュリアを婚約者にとモーガンの親友である第一王子フィリップが望んでくれた事で、ジュリアは真実を突きつける事を決める。 ※エピローグにてひとまず完結ですが、疑問点があがっていた所や、具体的な姉妹に対する差など、サクサク読んでもらうのに削った所を(現在他作を書いているので不定期で)番外編で更新しますので、暫く連載中のままとさせていただきます。よろしくお願いします。 番外編に手が回らないため、一旦完結と致します。 (2021/02/07 02:00) 小説家になろう・カクヨムでも別名義にて連載を始めました。 恋愛及び全体1位ありがとうございます! ※感想の取り扱いについては近況ボードを参照ください。(10/27追記)

令嬢キャスリーンの困惑 【完結】

あくの
ファンタジー
「あなたは平民になるの」 そんなことを実の母親に言われながら育ったミドルトン公爵令嬢キャスリーン。 14歳で一年早く貴族の子女が通う『学院』に入学し、従兄のエイドリアンや第二王子ジェリーらとともに貴族社会の大人達の意図を砕くべく行動を開始する羽目になったのだが…。 すこし鈍くて気持ちを表明するのに一拍必要なキャスリーンはちゃんと自分の希望をかなえられるのか?!

余命半年のはずが?異世界生活始めます

ゆぃ♫
ファンタジー
静波杏花、本日病院で健康診断の結果を聞きに行き半年の余命と判明… 不運が重なり、途方に暮れていると… 確認はしていますが、拙い文章で誤字脱字もありますが読んでいただけると嬉しいです。

処理中です...