上 下
34 / 47

第33話 ドライブ

しおりを挟む
 俺は綾人を見送ると、ゆっくり起き上がって、タオルで腹の上の二人分の精液を拭った。
 Ωは、レイプ犯罪に巻き込まれることが多い。多過ぎて、もはやニュースにもならないレベルだ。
 αやβにとっては、それは軽い交通事故か、犬に噛まれたと思って諦めるような出来事だった。
 綾人も、そう思っているんだろうか。
 
 身体を拭き終わると、抑制剤を二錠飲んだ倦怠感が、ドッと襲ってくる。
 俺はデスクの後ろの、これも高級な革張りの黒い椅子に、グッタリと沈み込んだ。
 抑制剤は効いたけど、Ωはネコやウサギと一緒で、発情期に性的刺激を受けると、間違いなく排卵する生き物だ。
 でも、挿(い)れなかったから、妊娠してるってことはないだろう。

 そう考えて、何だか少し寂しくなる。
 俺が妊娠したら、綾人を独り占め出来るんじゃないだろうか。一瞬その思いが脳裏を掠めたけど、でも、と頭(かぶり)を振る。
 生徒に手を出した罪で、綾人がクビになる。綾人のエリート人生を、踏み外させる訳には、いかない。

 綾人の椅子はフカフカで、酷く座り心地が良かった。
 ちょっと瞼を閉じたら、俺は誘われるようにウトウトと寝入ってしまった。

    *    *    *

「……き。四季」

 肩を緩く揺さぶられて、ぼんやりと覚醒する。抑制剤の副作用で、霞(かすみ)がかかったように、頭は鈍くしか働かなかった。

 「四季。起きろ」

「綾人……?」

 俺は茫洋と呟いた。

「もう夜だぞ。送ってやる」

「……何時?」

「九時半だ」

「……九時半!?」

 俺はようやっと、ことの重大さに気が付いた。門限は、どんなに遅くとも七時だ。
 母さん、心配してるだろうな。
 携帯はバイブにしてあって、七時過ぎから着信が二十件以上入ってた。

「ヤバい……!」

 俺が慌てて顔色を青くしていると、何かを決意したように、綾人が静かに促した。

「ご両親にはさっき、部活終わりに疲れ切って、部室で眠っているところを見つけたと連絡しておいた。心配は要らない」

「綾人……? 何でそんなに、優しくしてくれんだ」

 俺に気がないのなら、優しくなんかしないでくれ。期待してしまう。

「発情期に当てられたとはいえ、無責任に君を抱こうとしたのは、私の責任だ。その尻ぬぐいはするということだ」

 ああ。綾人が『私』に戻った。
 インテリ眼鏡のレンズの奥は、真意の知れない無表情だった。
 ここで優しくしなければ、俺がレイプされたって騒ぐと思ってるのかもしれない。
 俺の願いは、初めてを綾人に捧げることなのに。

    *    *    *

 外はもうとっぷりと日が暮れて、部活も終わって、所々に設置された街灯だけが、薄ぼんやりと光ってる。
 レイプの危険性から、夜遊び厳禁だった俺は、家族の同伴なしにこんなに遅く外を歩くことすら初めてだった。
 駐車場の例の高級車のところまでは無言で歩いたけど、綾人が助手席を開けて「乗れ」って呟くから、俺は驚いて声を上げる。

「え? 運転手は?」

「時間外労働だから、帰らせた」

 そうか。綾人って、育ちはボンボンじゃないんだっけ。
 普通なら自分で運転なんてする身分じゃないのに、残業をさせないなんて、常識人ぽくて少し好感度が上がった。まあ、今更上がったところで、状況が好転するわけじゃないけど。

 乗り込むとドアが閉められて、綾人が運転席に座る。
 慣れないシートベルトに苦戦していたら、綾人の左手が、俺の右肩の辺りの座席を掴んだ。
 発情期の心臓が、トクンと跳ねる。
 綾人は、振り返って目視で車をバックさせて駐車場から出し、流れるようなハンドルさばきで走り出した。

 ウチには今、車がない。北海道の田舎に住んでた時は必需品だったけど、だんだん都会へと転校を繰り返す内、交通の便が良いのと、俺の転校費用が大変で維持費が勿体ないという理由から、売ってしまった。
 勿論両親は後者の理由を俺に言って聞かせることはなかったけど、ある日些細な夫婦喧嘩の最中に、母さんが口を滑らせた。慌てて窘める父さんに、俺はテレビに夢中で聞こえないフリをした。
 俺たち家族は、『Ωである俺』を中心とした、共犯者だった。

 数年ぶりに乗る助手席は、綾人の隣で、身体の右半分がドキドキした。
 綾人、運転上手い。信号で停まる時も、少しもGを感じさせない滑らかさだった。
 否が応にも、綾人が『大人の男』だって強く意識して、俺なんか子供で相手にならないんだろうな、と思い知らされる。

『子供っぽい純愛なんて、こりごりだ』

 綾人は、そう言ってた。それは、本当なんだろう。

「俺なんか送って、華那が怒らねぇのかよ」

「華那は、浮気には寛容なんだ。華那だって、小さなハーレムを持っている」

 ああ、そんなこと言ってたっけ。
 不安定な俺は、必死に口元を覆って堪えたけど、涙が一粒零れ落ちた。小さくしゃくり上げてしまい、チラリと綾人がこちらを窺う。

「おい。これから送り届けようっていうのに、私が泣かせたみたいじゃないか」

「綾人が泣かせた、んだろ。俺とのことは、浮気だとか、言う、からっ」

 だけどそれきり綾人は何も喋らず、精悍な横顔を見せて運転し続け、ウチのマンションまでの短いドライブを終えたのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語

紅林
BL
『桜田門学院高等学校』 日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

俺の兄貴、俺の弟...

日向 ずい
BL
俺の兄貴、俺の弟... 登場人物 兄貴 成瀬 都和 (なるせ とわ) 27歳 身長 184cm 体重 67kg 弟 成瀬 尊 (なるせ たける) 17歳 身長167cm 体重 47kg 久我 子春 (くが こはる) 24歳 女性 都和の同僚で仕事仲間。 音海 恋 (おとみ れん) 18歳 男性 尊の同級生で腐れ縁。 阿澄 璃織 (あずみ りお) 17歳 女性 尊と恋と同じクラスの美女。 上城 志希 (かみじょう しき) 25歳 男性 都和の部下で頼れる友人。 物語内容 一言で言うとBLものです。 恋愛要素と笑い要素が入ったものになる予定ですが、言葉などは私の語彙力が足りないため少し見苦しいところが多々あると思いますが、良ければ読んでいただけるとありがたいです!

十七歳の心模様

須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない… ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん 柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、 葵は初めての恋に溺れていた。 付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。 告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、 その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。 ※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!

灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。 何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。 仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。 思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。 みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。 ※完結しました!ありがとうございました!

普通の学生だった僕に男しかいない世界は無理です。帰らせて。

かーにゅ
BL
「君は死にました」 「…はい?」 「死にました。テンプレのトラックばーんで死にました」 「…てんぷれ」 「てことで転生させます」 「どこも『てことで』じゃないと思います。…誰ですか」 BLは軽い…と思います。というかあんまりわかんないので年齢制限のどこまで攻めるか…。

その溺愛は伝わりづらい!気弱なスパダリ御曹司にノンケの僕は落とされました

海野幻創
BL
人好きのする端正な顔立ちを持ち、文武両道でなんでも無難にこなせることのできた生田雅紀(いくたまさき)は、小さい頃から多くの友人に囲まれていた。 しかし他人との付き合いは広く浅くの最小限に留めるタイプで、女性とも身体だけの付き合いしかしてこなかった。 偶然出会った久世透(くぜとおる)は、嫉妬を覚えるほどのスタイルと美貌をもち、引け目を感じるほどの高学歴で、議員の孫であり大企業役員の息子だった。 御曹司であることにふさわしく、スマートに大金を使ってみせるところがありながら、生田の前では捨てられた子犬のようにおどおどして気弱な様子を見せ、そのギャップを生田は面白がっていたのだが……。 これまで他人と深くは関わってこなかったはずなのに、会うたびに違う一面を見せる久世は、いつしか生田にとって離れがたい存在となっていく。 【続編】 「その溺愛は行き場を彷徨う……気弱なスパダリ御曹司は政略結婚を回避したい」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/962473946/911896785

【完結】運命さんこんにちは、さようなら

ハリネズミ
BL
Ωである神楽 咲(かぐら さき)は『運命』と出会ったが、知らない間に番になっていたのは別の人物、影山 燐(かげやま りん)だった。 とある誤解から思うように優しくできない燐と、番=家族だと考え、家族が欲しかったことから簡単に受け入れてしまったマイペースな咲とのちぐはぐでピュアなラブストーリー。 ========== 完結しました。ありがとうございました。

創作BL)相模和都のカイキなる日々

黑野羊
BL
「カズトの中にはボクの番だった狛犬の『バク』がいるんだ」 小さい頃から人間やお化けにやたらと好かれてしまう相模和都は、新学期初日、元狛犬のお化け・ハクに『鬼』に狙われていると告げられる。新任教師として人間に混じった『鬼』の狙いは、狛犬の生まれ変わりだという和都の持つ、いろんなものを惹き寄せる『狛犬の目』のチカラ。霊力も低く寄ってきた悪霊に当てられてすぐ倒れる和都は、このままではあっという間に『鬼』に食べられてしまう。そこで和都は、霊力が強いという養護教諭の仁科先生にチカラを分けてもらいながら、『鬼』をなんとかする方法を探すのだが──。 オカルト×ミステリ×ラブコメ(BL)の現代ファンタジー。 「*」のついている話は、キスシーンなどを含みます。 ※小説家になろう、カクヨムでも掲載しています。 ※Pixiv、Xfolioでは分割せずに掲載しています。 === 主な登場人物) ・相模和都:本作主人公。高校二年、お化けが視える。 ・仁科先生:和都の通う高校の、養護教諭。 ・春日祐介:和都の中学からの友人。 ・小坂、菅原:和都と春日のクラスメイト。

処理中です...