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第16話 ほろ苦いキス

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「四季、会いたかった」

「綾人」

 木製の高級デスクから腰を上げ、綾人が近付いてくる。
 と思ったら、あっという間に、逞しい腕の中に閉じ込められた。

「ん……綾人」

 発情期は終わったから、気恥ずかしくて、思わず胸に手を着いて拒んでしまう。

「何だ。やっぱり四季は、ツンデレか」

「そうじゃないけど、恥ずかしいだろうが……部屋の前に、クラスの奴も居るし」

 頬を染めて俺が言うと、間近で綾人の目の色が変わった。

「何! ナベか?」

「あ、いや。女子」

「浮気は許さないぞ、四季」

「ア……」

 キスされそうになって咄嗟に顔を逸らしたら、耳朶(みみたぶ)を甘噛みされて、声が裏返る。
 そのまま耳の穴にぬめる舌が差し込まれて、俺は身悶えた。

「ヤ・だっ」

「お前のクラスの生徒は、全員把握してる。誰だ?」

「ん……ハシユカ」

「合気道部だな」

「ンッ」

 耳に口付けながらの会話に、俺はビクビクと肩を跳ねさせる。
 chu、とリップノイズを残して唇が離れ、俺は脱力して綾人の胸にグッタリと身を預けた。

「何でそのハシユカが、こんな所まで着いてくるんだ?」

「席替えで、俺の後ろになって……俺のことを好きな奴が居るから、って、嗅ぎまわってる」

「ふん。それは、十中八九、ハシユカがお前を好きなんだな」

「へ?」

「一緒に帰ろうと、待っているんだろう?」

「うん」

「友人がお前を好きなのだとしたら、ハシユカが四季と一緒に帰るなんて、許さないだろう」

 親指の腹が俺の涙ぼくろを撫でて、そこにキスされた。

「そんな面倒臭せぇの、俺だってやだよ。綾人、合気道部じゃなくて、空手部じゃ駄目か?」

「確かに、由々しき問題だな。だけどハシユカはバイで、以前好きだった女子の後を追って合気道部に入り、フラれて幽霊部員になった。他にも、文芸部、演劇部、テニス部に所属している。全て、好きになった生徒の後を追って、入ったものだ。四季が空手部に入れば、着いてくるだろう」

「どうしたら良いんだよ……」

 俺は途方に暮れて、綾人の胸に頬を擦り寄せる。
 顎を人差し指で引っかけられて、下唇が柔らかく吸われた。

「んっ」

「四季に、その気はないんだな?」

「当たり前だろ。俺は綾人が……」

 言いかけて、息を飲んで口を噤む。
 綾人が、悪戯っ子みたいな笑みを浮かべた。

「俺が?」

「う……うるせぇな。察しろよ」

「察しているから、聞きたいんだ」

「変態」

「聞き捨てならんな。恋人からの愛の言葉が聞きたくて、何処が変態だ」

「とにかく!」

 俺は話を逸らして、やや声を高くした。

「ハシユカが鬱陶しくて、合気道部に行く気にならねぇんだよ。何とかなんねぇか」

「分かった。何とかしよう。……四季」

「ん?」

 見上げて目を合わせると、内緒話をするように吐息で、でもハッキリと綾人は言った。

「キスしたい」

「う……」

 俺は真っ赤になった。

「して良いか?」

「訊くなよ」

「お前の許しが欲しい、四季」

 また、涙ぼくろを撫でられる。
 ゆっくりと、ソファに導かれて、綾人がインテリ眼鏡を外す。
 俺だけが知ってる、ワイルドな綾人が現れた。

「……する気満々なくせに」

 クスクスと、喉で転がすように綾人が笑う。このカオも、学校で知ってるのは俺だけなんだろうな。そう思うと、不意に愛しさがこみ上げた。
 項に手を回し、笑んでいる唇に、自分の唇を押し当てた。
 綾人が、目を眇めて驚く。ああ、出会った時から、こんな所も変わらない。

「積極的だな、四季。発情期は終わったんだろうな?」

「終わったよ。終わったら、ゆっくりキスするって約束した」

「ああ。覚えていたか」

「んんっ……」

 唇が深く奪われる。上顎の歯の付け根を舐められて、粘膜を探られる快感に目を瞑って耐える。
 唾液が注ぎ込まれるとやっぱり、独特の苦い味がした。

「ふ……」

 飲み込みきれない唾液が、顎を伝う。ワイシャツに染みを作る前に、綾人が後ろ髪を掴んで仰け反らせ、喉仏の辺りで舐め取った。

「綾、人……」

「ん?」

「コーヒー、飲んだ?」

「いや? 俺は紅茶党だ」

「じゃ……煙草、吸ってる?」

 心地良さにぼんやりと訊くと、整った眉尻がやや下がった。

「すまない。苦いか?」

「うん。でも、嫌いじゃないから、良い」

「そうか。でも、四季は吸うなよ」

「何でだ?」

「百害あって一利なし、だからだ」

 自分は吸ってるくせに。
 俺はちょっと噴き出して、愛しい人のほろ苦い唇に、もう一度唇を押し当てた。
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