上 下
28 / 38

第28話 あーん

しおりを挟む
 次の日、僕は頑張って起きたけど、慶二はおはようと行ってきますのキスをさり気なく避けた。
 口調はいつも通り淡々として会話は続くけど、少し距離を置いている。
 まるで僕が、女装してる時みたいに。

「慶二……僕のこと、嫌いになった?」

 堪らなくなって、出掛けていく背中に問うと、甘やかな笑みが振り返った。

「誰がそんなことを言った? 愛してる、歩。十二時に迎えに来るから、平良にきちんとチェックして貰え」

 そう言い残して、慶二は出て行った。
 愛の言葉には、まだ慣れない。
 頬を火照らせて、僕は慶二のいい鼻にファンデーションの匂いがつかないように、お風呂に入って念入りに顔を洗うのだった。

    *    *    *

 平良さんに、ショッピングデートで注文したオーダー品を出して貰う。
 スーツと革靴だけじゃなく、ワイシャツもオーダーしたんだ。
 既製品は丁度良い長さのがなくて袖が少しだぶついたんだけど、オーダー品はやっぱりしっくりくる。
 なんてことないワイシャツなんだけど、その絶妙のフィット感に、思わずスタンドミラーで背中を映して浮かれてしまう。

「歩様。カフスボタンでございます」

 ジュエリーボックスを開けて渡されたのは、真っ黒な宝石で、マットにツヤツヤと光ってた。

「平良さん、これ、何て石ですか?」

「オニキスでございます。『着実に目標を実現させる為、安定した方向に導いてくれる』パワーストーンとして、ビジネスや正装にお使いになる方が、多ございます」

「ふぅん。真っ黒で、格好良いですね」

 正方形にカットされた男らしさに、僕は掌にそれを乗せて、ウットリと見入る。

「これ、何処につけるんですか? 僕でもつけられます?」

 カフスボタンなんて、何となく聞いたことはあったけど、実際に見たことはない。
 平良さんは一礼して、僕の掌の上から四角を取った。

「失礼致します」

 袖口に、合計四つのオニキスが収まる。
 僕はそれも、鏡に映して色んな角度から眺めて、ご満悦だった。

「歩様。お楽しみのところ申し訳ございませんが、間もなく十一時四十五分でございます。小鳥遊では、十五分前行動というのが徹底されておりまして」

「あ、もう、そんな時間ですか?」

 大変! 慶二にグズだって思われちゃう!
 僕は素早く、ネクタイを締めた。渡された、グレー地に細かい何かのロゴが散りばめられたものをつけたんだけど、何気なく裏返したら、グッチって書いてあった。
 汚せない……! 服着ただけで緊張しちゃうから、もうブランドは確認しない事にした。
 平良さんが広げてくれているジャケットに、腕を通す。

「ありが……」

「あ、お待ちを」

 正面に立って、平良さんはジャケットの肩の辺りの僅かなごわつきと、曲がったネクタイを直してくれる。

「出来上がりでございます。何処から見ても、立派な紳士でございますよ、歩様」

 僕は照れ隠しに謙遜する。

「平良さんのお陰です。ありがとう」

「慶二様と並んで歩いても、対等なパートナーに見えますな」

 慶二とは八歳違いだったから、僕が普段着を着てスーツの隣に並ぶと、学生にしか見えないだろうな、っていうのがちょっとした悩みだった。
 それが、久しぶりのスーツ、それもフルオーダーに、テンションが上がる。

 ――ヴィン……。

 微かな音だけど、聞き分けられるようになった。エレベーターが、最上階に着いた音だった。

「おかえり、慶二! 見て見て!」

 僕は腕を広げて、ダークグレー地にライトブルーの細かいストライプの入った、オーダースーツを見せびらかす。
 くるりと一回転すると、目尻に笑い皺が刻まれた。
 あ、それ、好き。

「歩はスタイルが良いから、シンプルなスーツが似合うな」

「慶二だって」

「俺の事はいい。今日のランチは、歩の為の時間だ。楽しんでくれ」

「う? うん」

    *    *    *

 久しぶりに平良さんの運転で、慶二と二人で出かける。

「何処に行くの?」

「渋谷だ」

「えっ、渋谷?」

 何か意外。慶二くらいの歳になったら、渋谷でランチなんかしなさそう。
 僕も渋谷なんて洒落たとこ、必要がないから滅多に行かない。

「あ、僕の為?」

「ああ。話題のパンケーキ店だ」

「でも渋谷で話題なんて、並んでない?」

「小鳥遊の人間が並んでる。ちゃんと前後の方に、入れ替わる事を了承して貰った」

 う。小鳥遊パワーは、ちゃんと筋を通すんだな。
 列の横に到着して僕らがロールスロイスから降りると、好奇心旺盛な若者たちの視線が、一斉に注がれた。
 年齢層は、十代半ばから、二十代前半。

 店はビルの二階で、列は階段の上に続いてる。真新しい革靴をカツカツと鳴らしながら上って、執事さんたち二人と、入れ替わって列に加わった。

「楽しみだろう、歩」

「うん。僕、生クリーム大好き!」

 店の前のポップには、パンケーキ三枚重ねに沢山のフルーツや流行りのタピオカと、文字通り山のように生クリームが乗った『お勧め』が載っていた。
 一番人気は『黒糖タピオカ』、二番目は『ベリーベリー』。
 どっちも美味しそう。

 それとは別に、店員さんがやってきて、全てのメニュー表が手渡される。

「うわぁ……」

 その写真付きのメニューの豊富さに、僕は感動して唸る。

「全部美味しそう!」

「全部頼んでも良いんだぞ」

「あ、慶二! イエローカード」

「サッカーがどうかしたか?」

「普通は全種類なんて頼まない。一人一品頼んで、違う味が食べたかったら、また来るんだよ」

「ああ……敵わないな」

 その時、僕らの番が来て、店内に通された。カラフルでポップな内装で、テーブルクロスやランチョンマット、コースターに食器まで、全部可愛くこだわってる。
 日本の『カワイイ』文化はグローバルスタンダードのようで、何組か外国人旅行客も居た。
 でも男女のカップルや女性同士ばかりで、男性同士、それもこんなフォーマルな格好の人は居なかったから、いわゆる『浮いてる』というやつになった。

「決まったか、歩」

「あの……」

「ん? 何だ、言ってみろ」

 申し訳なさそうな前髪越しの上目遣いに、慶二が耳を澄ませて応えてくれる。

「『黒糖タピオカ』と『ベリーベリー』、ど~してもっ! 両方食べたいから、この二つをシェアしない?」

 慶二の口角が、思わずといった風に上がる。

「勿論良いぞ。今日は、歩の為に来たんだから」

「ありがとう!」

「You’re welcome.」

 スラッと返すのが、気障だけど嫌味じゃなくて、慶二には似合ってる。
 格好良い……! なんて見とれてる内に、慶二はベルを鳴らして店員さんを呼び、オーダーを済ませた。
 飲み物は、アールグレイ。
 並んでるお店だから、どんどん焼いてるらしくて、すぐに大皿が二枚、テーブルに運ばれてくる。

「うわぁ……」

 僕は感動して、しばらく目を輝かせて眺めてた。生クリームが、山になってる。こんなの、テレビでしか見た事ない!
 フォークを持って横からツンツンと突くと、生クリームの山がぷるるんと揺れた。

「凄い!」

 慶二が拳で口元を押さえて、堪らないように噴き出す。

「歩。感動し過ぎだ。冷めない内に食え」

「あ、うん。あれ? 慶二は食べないの?」

 ゆったりと長い脚を組んだ慶二は、ナイフやフォークに手を伸ばさない。

「お前から食べろ。シェアするんだからな」

「え……一緒に食べようよ。誰かと一緒に食べると、百倍、美味しいんだから」

 また慶二は目元で笑んだ。
 今日の慶二、よく笑う。笑った顔、好き。

「そうか。じゃあ、食べるか」

 そう言って、ナイフとフォークを手にして、一口大にパンケーキを切る。

「ほら歩、あーん」

「へ?」

 フォークが、口元に差し出されていた。
 僕は悪い冗談だと思いながらも、頬が熱くなるのを止められない。

「な、何やってんだよ、慶二!」

「何って……『あーん』だが」

「ふざけるの、やめてよ!」

 だけど慶二は、いつもの真顔に戻って言った。

「真剣だが? 夫婦なんだ、恥ずかしいことは何もないだろう」

「え、え?」

 確かに慶二がこんな悪ふざけをするとは、考えにくい。でもただでさえ浮いてるのに、本気なら、もっと困っちゃう。

「恥ずかしい……」

「これくらいで恥ずかしがってちゃ、俺の妻は務まらないぞ?」

 慶二は声をひそめるでもなく、淡々と話す。
 隣の席の女の子二人組が、こそっと何か耳打ちした。
 う……僕と慶二じゃつり合わないのは、分かってる。お店中が僕を笑ってる気がして、僕は泣きそうになって俯いた。

「お嬢さん」

 えっ! 不意に、慶二が隣の女の子たちに声をかける。

「今、何と言ったか、私の妻に聞かせてやってくれませんか」

 茶髪にリップグロスの光る今どきの女の子たちは、突然の慶二の声に浮かれてキャッと声を弾ませた。

「凄いイケメン同士のカップル、って話してたんです。あたしたちフリーだから、良いなあって」

 え……僕はこれ以上ないくらい俯いた。

「実は新婚なんだけど、妻は極端に照れ屋でね。『あーん』さえも、させてくれないんだ」

「奥さん、そんな事、新婚の内しか出来ないんだから、レッツチャレンジ!」

 キャアキャアと無責任に声が上がる。そのお陰で、本当に店の半分くらいの人が、僕らに注目する羽目になってしまった。
 顔を僕の方に向けて、もう一度、真面目に慶二が言った。

「歩。あーん」

 事の成り行きを見守って、「頑張って!」なんて声も聞こえてくる。
 僕は、押しに弱い。
 この状況なら、大人しく『あーん』されるか、お店を飛び出して二度と戻ってこない、の二択しか思い付かなかった。
 貧乏生活の長かった僕は、食べ物を残して出て行くなんて失礼なこと、出来ない。

「あ……あーん」

 パクリ。僕は慶二のフォークから、パンケーキを頬張った。
 瞬間、小さな歓声と控えめな拍手があちこちでわく。外国人旅行客が、「So cute!」なんて話してるのも聞こえてきて、僕は穴があったら入りたいって気分がよーく分かった。

 僕が食べたことで店内は落ち着いて、注目は逸れていった。
 慶二はまだ少し照れる僕を促して、二人で『あーん』し合って食べた。
 食べた事もない美味しいパンケーキだったけど、すっごく恥ずかしかった。

「歩、ついてるぞ」

 僕の口の端に親指の腹を当てて生クリームを取ってくれると、慶二はそのままそれをペロリと舐めた。

「……!!」

 何なんだよ慶二! 慶二って、ドSだったの!?
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

催眠アプリ(???)

あずき
BL
俺の性癖を詰め込んだバカみたいな小説です() 暖かい目で見てね☆(((殴殴殴

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

隠れSubは大好きなDomに跪きたい

みー
BL
⚠️Dom/Subユニバース 一部オリジナル表現があります。 ハイランクDom×ハイランクSub

【完結】かなしい蝶と煌炎の獅子 〜不幸体質少年が史上最高の王に守られる話〜

倉橋 玲
BL
**完結!** スパダリ国王陛下×訳あり不幸体質少年。剣と魔法の世界で繰り広げられる、一風変わった厨二全開王道ファンタジーBL。 金の国の若き刺青師、天ヶ谷鏡哉は、ある事件をきっかけに、グランデル王国の国王陛下に見初められてしまう。愛情に臆病な少年が国王陛下に溺愛される様子と、様々な国家を巻き込んだ世界の存亡に関わる陰謀とをミックスした、本格ファンタジー×BL。 従来のBL小説の枠を越え、ストーリーに重きを置いた新しいBLです。がっつりとしたBLが読みたい方には不向きですが、緻密に練られた(※当社比)ストーリーの中に垣間見えるBL要素がお好きな方には、自信を持ってオススメできます。 宣伝動画を制作いたしました。なかなかの出来ですので、よろしければご覧ください! https://www.youtube.com/watch?v=IYNZQmQJ0bE&feature=youtu.be ※この作品は他サイトでも公開されています。

目が覚めたら囲まれてました

るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。 燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。 そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。 チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。 不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で! 独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

処理中です...