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第26話 スカウト

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 衣装を脱いで、孝太郎さんの元へ戻ったら、パチパチと拍手をして出迎えてくれた。

「歩さん、とても良かった。演技も見事じゃが、一番綺麗じゃったぞ」

「恥ずかしいです……立ってるだけで良いって言われたのに、出過ぎた真似をしてしまって」

 僕は自分のしでかしたことの大胆さに、恐縮してペコペコ頭を下げる。
 帝央大学の演技研究部と言ったら、芸能事務所も目を光らせてる、本格派集団だ。
 そんな中で、代役で入った素人が、見よう見まねでアドリブ芝居をしたなんて。

 そこへ、三沙くんも衣装を脱いでやってくる。
 長い黒髪はウィッグだったんだ。明るいミルクティー色にカラーリングされた、ショートボブのような髪型をしている。
 ブラックジーンズに、髪の色と合わせたようなベージュのVネックセーターを着ていた。

「あゆちゃん、お疲れ~」

 うっ。髪の色からして、チャラい!
 苦手なタイプだ。ちょっとこめかみに汗を浮かべながら、作り笑顔で応える。

「お疲れ様でした……」

「父さん、どうだった?」

 三沙くんは、拭き取るタイプのクレンジングで、濃いアイラインを落としながら訊く。

「うむ。これなら人前に出しても、恥ずかしくないの。約束通り、新宿バードランドのアトラクション係から始めて、いずれアミューズメント部門とエンターテイメント部門の、トップにしてやろう」

 うわ。コネクションの典型的な例を見てしまった。
 でも……孝太郎さん、「人前に出しても、恥ずかしくない」って言ったな。

 確かに三沙くんの演技は、相手役として共演してて、思わず台詞が出ちゃうくらい見事に、無骨で真面目なシーシアスになりきってた。実際はチャラいのに。
 そんなシーシアスを、僕もヒポリタとして愛した。
 親の七光りではなく、三沙くんの才能と努力の結果の配属なのかもしれない。

 そう言えば、慶二も部下任せにしないで、忙しく働いてるよな。
 小鳥遊の後継は、実力で掴むものなんだろうか。
 何より孝太郎さんの佇まいが、馬鹿息子に跡目を継がせる考えなしの総帥には、見えなかった。

「やったね。あゆちゃんは今、仕事何してるの?」

「慶二さんと結婚して、働いていた職場を辞めたので、今は無職です」

「え~? あゆちゃんまさか、専業主婦になっちゃうの? 勿体ないよ。僕と一緒に、新宿バードランドで働かない?」

「え……」

 昨日も孝太郎さんに言われて、胸が高鳴った言葉を三沙くんが言い始める。
 でも、そうしたら、毎日お化粧するから、慶二と何も出来ない。
 僕は夢を諦めて、断ろうとした。
 だけど、思わぬ強力な推薦が上がってしまう。

「そうじゃな。ワシもそう思っとった所じゃ。歩さん、再就職先を探してると言ってたね。一度、三沙と新宿バードランドに、下見がてら行ってみればいい」

「え……でも……あの」

 ヒポリタじゃないけど、心の底では嬉しい言葉で、何と言って断ったらいいか、一瞬詰まる。

「まあ堅苦しく考えず、一度、三沙と遊びに行くことじゃな」

 そう言われれば、断る術もなく。僕はかろうじて、メイクしない方向で話を進めた。

「私普段、メイクもしないし、胸もないし、男の子みたいですけど、それでも良ければ」

「あゆちゃんは素材が良いから、スッピンでもいけると思う。俺、気にしないよ」

「ありがとう」

 ホッ。出来ればもう、メイクしたくない。慶二が嫌がるから。

「次の祝日、空いてる? 祝日はお客さんが多い代わり、社員も精鋭部隊を出してるから、楽しめると思うよ」

「はい。あの……バイトの方は居ないんですか?」

 ずっと気になってた事を口にする。バイトなら、一回やってみて合いませんでした、でも許される気がして。
 何となく思ったことで、実際に新宿バードランドで、女性として働くことは出来ないけど。

「小鳥遊のあらゆる部門、バイトは居ないよ。試用期間はあるけどね。全員社員。福利厚生、各種手当て、寮完備、どう?」

「これ、三沙。無理強いはよしなさい」

「はーい」

 間の抜けた返事を上げる。絵に描いたような末っ子の奔放さを、三沙くんは持っていた。
 やがてメイクを落とし終わると、三沙くんは立ち上がる。

「あゆちゃん、じゃあ祝日に、新宿南口でね」

「あ、お花屋さん、分かりますか。その前だと、分かりやすいんですけど」

「ああ、うん。了解。十三時に。じゃあ父さん、これからバラシだから。あゆちゃん、ありがとね!」

 小さく手を振って、三沙くんは甘い笑顔で舞台袖に入っていった。
 モテるんだろうなあ……。

「歩さん、お茶でもしていかんかね」

「あ、はい。喜んで」

    *    *    *

 連れてきて貰ったのは、代官山のお洒落なカフェだった。でも隠れ家的なお店らしく、看板は何処にも出ていない。入り口は普通の家のようにも見える作りだったけど、中に入ると、塀に囲まれた庭の緑が鮮やかな、明るい空間だった。
 BGMに、ジャズピアノが細く流れてる。

「歩さん、もし小鳥遊で働くことになったら……何かワシに言うことが、ありゃせんかね?」

 紅茶を頼んで、今まで僕が『紅茶』って呼んでたティーパックとは全く違う、本場の香りに幸せを噛み締めていたら、孝太郎さんが訊いてきた。

「え?」

 何を訊かれているのか分からなくて、キョトンとしてしまう。
 孝太郎さんは口髭を撫でながら、優しく促す。

「慶二が女性と結婚したと思った時は、そりゃ嬉しかったんじゃが……勘違いで、気を回させてしまったようじゃの。ワシは、歩さんが気に入ったんじゃ。何を告白されても、驚きゃせんよ」

 僕は激しく焦った。
 え、え? これって……僕が男ってバレてる? 何で? いつから?

 お行儀悪くソーサーにカチャンと音を立ててティーカップを置き、青ざめて口元を覆うと、孝太郎さんが柔和に気遣ってくれた。

「大丈夫かの? 責めてる訳じゃないんじゃ。歩さんの口から聞きたいと、思っとるだけなんじゃ」

「あの……私……いえ、僕……」

 勇気を出して上目遣いに見上げると、孝太郎さんは目尻に笑い皺を刻んでた。
 その甘やかさに、心配が安心にすり替わる。

「騙して、すみませんでした……僕が歩(あゆみ)なんて名前だから、お父様が女性だと思ってると知って……男だってバレたら、慶二さんと別れろって言われると思って……恐くて、嘘を吐きました」

「良いんじゃよ。小鳥遊の男は、代々男好きが多くてのう。慶二も、女性には見向きもせんかった。だから、おかしいと思うべきじゃった」

「あの、それ以外は嘘吐いてません! 出会ったのも婚活パーティだし、慶二さんと出会うまでサラリーマンやってたのも、ホントです」

「そうか、そうか。安心したわい。歩さんは、ワシの自慢の息子じゃ。慶二は昔から女性が苦手じゃから、女装したら嫌がるじゃろう?」

「はい、あの……お化粧の匂いで、気分が悪くなるみたいです」

「すまんかったのう。そんな状態じゃ、新婚気分を味わうどころじゃなかったろうに。これからは、自然な姿でよいからの」

「ありがとうございます……!」

 ホッとしたら、何だか目頭が熱くなった。グス、と洟をすすると、着物の袂からスマートに白いハンカチが差し出される。渋い紺の刺繍糸で『K.T.』とあった。
 慶二も『K.T.』だ。初めて会った時を思い出す。
 慶二はシトラスの香りだったけど、孝太郎さんは和風なお香の香りだった。

「ありがとうございます」

 僕は心遣いを遠慮なく受け取って、滲む涙を押さえる。

「実は、慶二が女性と結婚するなんておかしい、と言ったのは、三沙での。兄弟というのは、どんなに疎遠になっても、分かり合う所があるらしい。だから、今度の日曜の約束に男の姿で行っても、三沙は動じないと思うんじゃ。問題は、創じゃが……」

「あ、創さんは僕が男だって、知ってます」

「おお、そうか。創には嫁をとらせたが、男遊びをやめてないらしくてのう。注意してくれたまえ」

 まさか、もう襲いかかられましたとも言えずに、僕は曖昧に頷く。

 その時、失礼します、と横から声がかかって、人懐こい笑みを浮かべた四十代くらいの小太りの男性が、スッと孝太郎さんに名刺を差し出した。

「私、アネモネプロダクションの川崎(かわさき)と申します。先ほどの舞台、拝見させて頂きました。こちらは、お嬢さんでしょうか? 是非、スカウトさせて頂きたいのです。お時間、少々よろしいですか?」

 えっ。アネモネプロと言ったら、美少女ナンバーワンコンテストなんかやってる、女の子の憧れの芸能事務所だ。
 一瞬信じられない幸運に心が騒ぐけど、僕は男! 女装すると、心まで女性思考になっちゃうんだな。

 孝太郎さんは、涼しい声で断ったけど……度肝を抜かれるような断り方だった。

「彼女は、小鳥遊財閥の人間じゃ。今度エンターテイメント部門で大きなプロジェクトがあるから、追々事務所所属を考えて貰う。余所様(よそさま)には、渡す訳にはいきませんな」

 ……初めて聞くんですけど!
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