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第34話 歌(四)
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充樹の部屋に急ぎ、何食わぬ顔をして、上座のふかふかした座布団に座る。
この『何食わぬ顔』というのが、難しかった。
何しろ、充樹は笹川さんと長年の想いを遂げられるし、僕は政臣さんと結婚出来るし、これ以上ないほどの幸せを押し殺すのは、大変だった。
上がってしまう口角を袖口で隠していたら、先代がやってきた。
「充樹。頭は冷えたか」
え、何の話だろう。聞いてない。
僕は取り敢えず、深々と平伏した。
「はい」
「政臣さんが衣(きぬ)を裂いたのは、そういうお勤めの楽しみ方もあるという事だ。珠樹の奔放さに慣れてしまっていたから、つい荒々しくなってしまったんだろう。政臣さんにやんわりと、自分は珠樹と違って初めてだと伝えれば、もうあのような行為はすまい。男は、処女を好むものだ。珠樹の事を愛しているなどと口走ったそうだが、一度契れば、お前の具合の良さに夢中になるだろう。恐がっていないで、政臣さんに甘えてみせなさい」
そうか。充樹は、政臣さんが乱暴したから、恐がって契るのが嫌だと、駄々をこねていたのだろう。それはもっともな反応だった。
僕は、これから一生、『充樹』を演じなければいけない。
一度深呼吸し腹を据えて、顔を上げた。袖口で口元を覆って、目を逸らす。
「ですが先代……あのように気性の激しい方と、上手くやっていく自信がないのです」
「安心しなさい。政臣さんは、優しい方だ。優し過ぎる故に、珠樹なんぞに情けをかけている。あのようにものを知らない珠樹よりも、添えば利発な充樹の方が良いと気付いてくれる。身体を委ねて、お勤めをする喜びを感じなさい」
それを聞いて、つい先代はどうだったのだろう、という疑問が浮かんだ。
僕の悪い癖で、知らない事が多いから、分からない事はすぐに訊いてしまう。
真っ直ぐに先代を見て訊いた。
「先代は、母様と、お勤めをする喜びを感じておられましたか?」
じろりと、先代の眼差しが険しくなった。
「そのような事、親子で訊くものではない。はしたないぞ」
「すみません。わたくしが言いたかったのは、先代も母様を愛していらっしゃるかという事で……」
「ふん」
何故かその問いに、先代が鼻で笑った。
「お前も成人した。あれの事を話しても、よい頃だろう」
「母様のお話ですか?」
「ああ」
良かった、充樹も母様の事は知らないんだ。
大好きな母様の話が聞ける喜びに、僕はお行儀悪く身を乗り出した。
先代は、遠くを見るようにして話す。
「あれとは、ご神託の占いで契った。子を成すには吉と出たが、結婚生活は凶と出たから、種付けの時しか籍は入れていない。確かに今思えば、吉だ。皇城では双子は重宝される。予備の子が出来るからな。私もそれなりに情をかけた」
良かった。先代と母様は、僕と政臣さんみたいにご神託で出会ったけれど、心を通わせていたんだ。
これから始まる政臣さんとの生活を思って、心が弾む。
予備の子、って所は、少し胸が痛んだけれど。
「だが」
先代の声の調子が、忌まわしげに変わった。
「皇城の伝統を、あれは理解せんかった。双子が生まれた場合、一方を予備として育て、幼い頃からお勤めをさせる事を。毎日泣き暮らすあれには、うんざりした。充樹が六つの時に、あれとは手を切った。もう二度と、会う事はないだろう。そのつもりでいなさい」
母様……!
僕は、青くなって俯いた。
母様は、毎日座敷牢に会いに来てくれたけれど、僕がお勤めをしだしてから、暗い表情を見せるようになった。
笑って欲しくて、誉めて欲しくて、お勤めが上手になったと話したけれど、母様は悲しげに笑って「そう」と言うだけだったのを思い出す。
息子が性奴隷にされている事を知って、喜ぶ母親は居ないだろう。僕が、母様を追い詰めたんだ。
「充樹は、子の事は心配せず、政臣さんと上手くやりなさい。珠樹で種付けは済んでおる。ご神託の才能を受け継いだ子が、出来るだろう。よいな。政臣さんと契るのだぞ」
「……はい……」
僕は、乱れた心地のまま、だけどしおらしく平伏した。
先代は、満足して出ていった。
入れ違いに、笹川さんが戻ってきて、部屋の隅に控える。
目が合うと、軽く頷いた。
良かった。一先ず、入れ替わりは成功だ。
笹川さんが居るから、充樹と連絡を取り合う事も出来る。
そうだ。『珠樹』は、歌が詠めて、解説も出来なくちゃいけない。何かの時の為に、一首丸暗記しておくと良いだろう。
そう思い付くと、後は速かった。
硯で墨をすって、充樹の帳面に筆で詠む。
憂(う)し覚え
面影のごと
幼生(をさなお)ひ
たちかへりかの
人に会はばや
『辛い記憶が、幻のように思える、幼い頃の生い立ちです。もう一度、あの方――母様――に会いたいものです』
短歌の下に、解説も書きつけた。
その一枚を丁寧に破り取って、笹川さんを呼ぶ。
「笹川。近くに」
「は」
僕は顔を寄せて、そっと囁いた。
「これを、充樹に。いざという時の為の、短歌です」
「畏まりました」
笹川さんが出ていく。
僕は政臣さんとの未来を胸に描いて、充樹の帳面の最後の方に、こっそりともう一首詠むのだった。
春霞(はるがすみ)
立てるやいづこ
恋ひごとし
我らの行く末
おぼつかなけれ
『春霞が立ちこめているのは、何処なのだろう。まるで、この恋のようだ。私たちの将来は、ぼんやりとしている』
季節はもう春の終わりにさしかかり、濡れ縁から入ってくる風が心地良かったけれど、僕たちの運命は、春の霞のように儚いものだと思うのだった。
この『何食わぬ顔』というのが、難しかった。
何しろ、充樹は笹川さんと長年の想いを遂げられるし、僕は政臣さんと結婚出来るし、これ以上ないほどの幸せを押し殺すのは、大変だった。
上がってしまう口角を袖口で隠していたら、先代がやってきた。
「充樹。頭は冷えたか」
え、何の話だろう。聞いてない。
僕は取り敢えず、深々と平伏した。
「はい」
「政臣さんが衣(きぬ)を裂いたのは、そういうお勤めの楽しみ方もあるという事だ。珠樹の奔放さに慣れてしまっていたから、つい荒々しくなってしまったんだろう。政臣さんにやんわりと、自分は珠樹と違って初めてだと伝えれば、もうあのような行為はすまい。男は、処女を好むものだ。珠樹の事を愛しているなどと口走ったそうだが、一度契れば、お前の具合の良さに夢中になるだろう。恐がっていないで、政臣さんに甘えてみせなさい」
そうか。充樹は、政臣さんが乱暴したから、恐がって契るのが嫌だと、駄々をこねていたのだろう。それはもっともな反応だった。
僕は、これから一生、『充樹』を演じなければいけない。
一度深呼吸し腹を据えて、顔を上げた。袖口で口元を覆って、目を逸らす。
「ですが先代……あのように気性の激しい方と、上手くやっていく自信がないのです」
「安心しなさい。政臣さんは、優しい方だ。優し過ぎる故に、珠樹なんぞに情けをかけている。あのようにものを知らない珠樹よりも、添えば利発な充樹の方が良いと気付いてくれる。身体を委ねて、お勤めをする喜びを感じなさい」
それを聞いて、つい先代はどうだったのだろう、という疑問が浮かんだ。
僕の悪い癖で、知らない事が多いから、分からない事はすぐに訊いてしまう。
真っ直ぐに先代を見て訊いた。
「先代は、母様と、お勤めをする喜びを感じておられましたか?」
じろりと、先代の眼差しが険しくなった。
「そのような事、親子で訊くものではない。はしたないぞ」
「すみません。わたくしが言いたかったのは、先代も母様を愛していらっしゃるかという事で……」
「ふん」
何故かその問いに、先代が鼻で笑った。
「お前も成人した。あれの事を話しても、よい頃だろう」
「母様のお話ですか?」
「ああ」
良かった、充樹も母様の事は知らないんだ。
大好きな母様の話が聞ける喜びに、僕はお行儀悪く身を乗り出した。
先代は、遠くを見るようにして話す。
「あれとは、ご神託の占いで契った。子を成すには吉と出たが、結婚生活は凶と出たから、種付けの時しか籍は入れていない。確かに今思えば、吉だ。皇城では双子は重宝される。予備の子が出来るからな。私もそれなりに情をかけた」
良かった。先代と母様は、僕と政臣さんみたいにご神託で出会ったけれど、心を通わせていたんだ。
これから始まる政臣さんとの生活を思って、心が弾む。
予備の子、って所は、少し胸が痛んだけれど。
「だが」
先代の声の調子が、忌まわしげに変わった。
「皇城の伝統を、あれは理解せんかった。双子が生まれた場合、一方を予備として育て、幼い頃からお勤めをさせる事を。毎日泣き暮らすあれには、うんざりした。充樹が六つの時に、あれとは手を切った。もう二度と、会う事はないだろう。そのつもりでいなさい」
母様……!
僕は、青くなって俯いた。
母様は、毎日座敷牢に会いに来てくれたけれど、僕がお勤めをしだしてから、暗い表情を見せるようになった。
笑って欲しくて、誉めて欲しくて、お勤めが上手になったと話したけれど、母様は悲しげに笑って「そう」と言うだけだったのを思い出す。
息子が性奴隷にされている事を知って、喜ぶ母親は居ないだろう。僕が、母様を追い詰めたんだ。
「充樹は、子の事は心配せず、政臣さんと上手くやりなさい。珠樹で種付けは済んでおる。ご神託の才能を受け継いだ子が、出来るだろう。よいな。政臣さんと契るのだぞ」
「……はい……」
僕は、乱れた心地のまま、だけどしおらしく平伏した。
先代は、満足して出ていった。
入れ違いに、笹川さんが戻ってきて、部屋の隅に控える。
目が合うと、軽く頷いた。
良かった。一先ず、入れ替わりは成功だ。
笹川さんが居るから、充樹と連絡を取り合う事も出来る。
そうだ。『珠樹』は、歌が詠めて、解説も出来なくちゃいけない。何かの時の為に、一首丸暗記しておくと良いだろう。
そう思い付くと、後は速かった。
硯で墨をすって、充樹の帳面に筆で詠む。
憂(う)し覚え
面影のごと
幼生(をさなお)ひ
たちかへりかの
人に会はばや
『辛い記憶が、幻のように思える、幼い頃の生い立ちです。もう一度、あの方――母様――に会いたいものです』
短歌の下に、解説も書きつけた。
その一枚を丁寧に破り取って、笹川さんを呼ぶ。
「笹川。近くに」
「は」
僕は顔を寄せて、そっと囁いた。
「これを、充樹に。いざという時の為の、短歌です」
「畏まりました」
笹川さんが出ていく。
僕は政臣さんとの未来を胸に描いて、充樹の帳面の最後の方に、こっそりともう一首詠むのだった。
春霞(はるがすみ)
立てるやいづこ
恋ひごとし
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おぼつかなけれ
『春霞が立ちこめているのは、何処なのだろう。まるで、この恋のようだ。私たちの将来は、ぼんやりとしている』
季節はもう春の終わりにさしかかり、濡れ縁から入ってくる風が心地良かったけれど、僕たちの運命は、春の霞のように儚いものだと思うのだった。
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