31 / 40
第31話 生きていけない
しおりを挟む
ご神託を占うには、精神力と集中力が要る。僕はそれから丸一日、占いが出来なかった。
こればかりは、幾ら叱られても宥めすかされても、どうにもならなかった。
正体をなくしてぼんやりと、宙を舞う細かい塵をただ目で追う。
「珠樹。今日は、どうしても占って貰わなければいけない、大事なご神託があるのだ。珠樹、聞きなさい」
「……」
「……政臣さんと、そんなに会いたいか」
政臣さん……? 政臣さんとは、もうお勤め出来ない……僕は、予備の子で、穢れているから。
「分かった。次の逢瀬では、お前が政臣さんとお勤めをしなさい、珠樹」
「……え?」
「政臣さんとお勤めしなさい」
手前の塵に合っていた焦点が、急速に奥の先代の顔に合う。
僕は初めて、先代が来ている事を知った。
「お勤めですか……?」
「ああ。政臣さんと、お勤めする許可を出す」
「政臣さんと?」
会話が噛み合わない。それほど僕は、疲弊していた。
「まず、政臣さんとの次の逢瀬は、いつが吉か占いなさい。その日、お勤めを許可する」
喜びが、膝から胸、顎の先と、沸々とわき上がってきて笑みを形作る。
僕は勢いよく平伏した。
「ありがとうございます、先代! ただちに占います」
傍らにあった器を引き寄せ、玉砂利を掬って目線の高さに掲げ、集中する。
頭の中には、政臣さんの涼しげな奥二重、耳たぶを摘ままれる感触、長い髪を梳く逞しい拳ばかりが浮かんでいた。
――ぱらぱらぱら……。
文様を見て、僕は飛び上がりそうになった。
「今日です! 今宵!」
「分かった。すぐに政臣さんに連絡しよう。誰か!」
先代が大きな声を出して、人払いしてあった事も知る。
駆け付けた家人に、政臣さんに今宵の逢瀬を知らせるよう言って、また下がらせた。
「では、これを占いなさい」
そう言って、木枠越しに写真が二枚、渡された。一人は六十代の、貫禄のある恰幅の良い男性。もう一人は……五十代くらいに見える、綺麗にお化粧した女性だった。
「どちらが次期総理になれば吉となるか、占いなさい。大事なご神託だ、心してかかれ」
「はい」
それは、この国の運命を左右するご神託だ。何回かそのご神託は占ったけれど、今の所外れたという苦言は受けていない。
僕のご神託で、国は動いている。僕は以前のように、自分を誇らしく思う事が出来た。
今一度、玉砂利を両手で掬い、僕は神経を研ぎ澄ませた。
* * *
僕は先代の後を着いて、お勤めの間に向かっていた。
政臣さんと会える……! お勤めする事よりも、ただ会えるだけで、手を握り合うだけで良かった。
そんな心持ちは初めてで、やっぱり政臣さんは特別な人だと思う。
先代は前室の前までで、僕が入室するのを見届けて去っていった。
前室に入ると、笹川さんが座っていた。目を伏せている。
えっ? いつもは襖を引く為に、部屋の両端に控えている筈の家人が、居ない。
違和感を感じながらも、いつもの決まり事をしようと、鏡台の前に正座した。
「あっ……嫌・いやぁ……んんっ」
全身が総毛立った。それは、台詞は違うけれど、お勤めをしている時の、僕の声で。つまり、充樹の声だった。
先代に、騙された! 当初の予定通り、お勤めが終わった後、僕たちを入れ替えるつもりなのだろう。
笹川さんだけがその秘密を知っているから、前室の僕に控えている。
政臣さん……! 僕です、珠樹です。昨日契った、珠樹です。その子は、充樹。分からないのですか……?
心の中に、言の葉が渦巻くけれど、まるで唖者(あしゃ)になったみたいに口がぱくぱくするばかりで、言葉が出てこない。僕は青ざめて、喉を押さえた。
笹川さんが、僕が余計な事をしないか、目を光らせている。
「えっ、嫌、やだっ! ひい!」
急に、嬌声が悲鳴に変わった。
何が? 起きている?
荒々しく布を裂く、びりりという音が響いた。
「嫌っ、恐い、やめて! 笹川、笹川!!」
笹川さんが思わずといった風に、立ち上がった。
「充樹様!」
襖が開けられた。
暴れる充樹に馬乗りになり、政臣さんが狩衣を破いて押さえ付けていた。
「笹川、助けてっ!!」
「藤堂様、無体を働かれますな! 充樹様は、お勤めに慣れてらっしゃいません!」
しゅっとした背広の政臣さんが振り返った。目が合う。奥二重が、決意を持って真摯に瞬いた。
二間を隔てていた襖は開けられてしまった。充樹と、珠樹が、同時に存在する。
お勤めの間に控えていた家人は、こぼれ落ちそうに目を丸くしていた。
「珠樹」
「政臣さん!」
ふいと充樹から退いて、政臣さんは僕に駆け寄ってきた。逞しい胸に抱き締められて、体温を感じて、生きている喜びを実感する。
僕は政臣さんなしでは、もう生きていけないのだと悟った。
嬉し涙の滲む視界の隅に、笹川さんと充樹も抱き合っているのが見えた。
こればかりは、幾ら叱られても宥めすかされても、どうにもならなかった。
正体をなくしてぼんやりと、宙を舞う細かい塵をただ目で追う。
「珠樹。今日は、どうしても占って貰わなければいけない、大事なご神託があるのだ。珠樹、聞きなさい」
「……」
「……政臣さんと、そんなに会いたいか」
政臣さん……? 政臣さんとは、もうお勤め出来ない……僕は、予備の子で、穢れているから。
「分かった。次の逢瀬では、お前が政臣さんとお勤めをしなさい、珠樹」
「……え?」
「政臣さんとお勤めしなさい」
手前の塵に合っていた焦点が、急速に奥の先代の顔に合う。
僕は初めて、先代が来ている事を知った。
「お勤めですか……?」
「ああ。政臣さんと、お勤めする許可を出す」
「政臣さんと?」
会話が噛み合わない。それほど僕は、疲弊していた。
「まず、政臣さんとの次の逢瀬は、いつが吉か占いなさい。その日、お勤めを許可する」
喜びが、膝から胸、顎の先と、沸々とわき上がってきて笑みを形作る。
僕は勢いよく平伏した。
「ありがとうございます、先代! ただちに占います」
傍らにあった器を引き寄せ、玉砂利を掬って目線の高さに掲げ、集中する。
頭の中には、政臣さんの涼しげな奥二重、耳たぶを摘ままれる感触、長い髪を梳く逞しい拳ばかりが浮かんでいた。
――ぱらぱらぱら……。
文様を見て、僕は飛び上がりそうになった。
「今日です! 今宵!」
「分かった。すぐに政臣さんに連絡しよう。誰か!」
先代が大きな声を出して、人払いしてあった事も知る。
駆け付けた家人に、政臣さんに今宵の逢瀬を知らせるよう言って、また下がらせた。
「では、これを占いなさい」
そう言って、木枠越しに写真が二枚、渡された。一人は六十代の、貫禄のある恰幅の良い男性。もう一人は……五十代くらいに見える、綺麗にお化粧した女性だった。
「どちらが次期総理になれば吉となるか、占いなさい。大事なご神託だ、心してかかれ」
「はい」
それは、この国の運命を左右するご神託だ。何回かそのご神託は占ったけれど、今の所外れたという苦言は受けていない。
僕のご神託で、国は動いている。僕は以前のように、自分を誇らしく思う事が出来た。
今一度、玉砂利を両手で掬い、僕は神経を研ぎ澄ませた。
* * *
僕は先代の後を着いて、お勤めの間に向かっていた。
政臣さんと会える……! お勤めする事よりも、ただ会えるだけで、手を握り合うだけで良かった。
そんな心持ちは初めてで、やっぱり政臣さんは特別な人だと思う。
先代は前室の前までで、僕が入室するのを見届けて去っていった。
前室に入ると、笹川さんが座っていた。目を伏せている。
えっ? いつもは襖を引く為に、部屋の両端に控えている筈の家人が、居ない。
違和感を感じながらも、いつもの決まり事をしようと、鏡台の前に正座した。
「あっ……嫌・いやぁ……んんっ」
全身が総毛立った。それは、台詞は違うけれど、お勤めをしている時の、僕の声で。つまり、充樹の声だった。
先代に、騙された! 当初の予定通り、お勤めが終わった後、僕たちを入れ替えるつもりなのだろう。
笹川さんだけがその秘密を知っているから、前室の僕に控えている。
政臣さん……! 僕です、珠樹です。昨日契った、珠樹です。その子は、充樹。分からないのですか……?
心の中に、言の葉が渦巻くけれど、まるで唖者(あしゃ)になったみたいに口がぱくぱくするばかりで、言葉が出てこない。僕は青ざめて、喉を押さえた。
笹川さんが、僕が余計な事をしないか、目を光らせている。
「えっ、嫌、やだっ! ひい!」
急に、嬌声が悲鳴に変わった。
何が? 起きている?
荒々しく布を裂く、びりりという音が響いた。
「嫌っ、恐い、やめて! 笹川、笹川!!」
笹川さんが思わずといった風に、立ち上がった。
「充樹様!」
襖が開けられた。
暴れる充樹に馬乗りになり、政臣さんが狩衣を破いて押さえ付けていた。
「笹川、助けてっ!!」
「藤堂様、無体を働かれますな! 充樹様は、お勤めに慣れてらっしゃいません!」
しゅっとした背広の政臣さんが振り返った。目が合う。奥二重が、決意を持って真摯に瞬いた。
二間を隔てていた襖は開けられてしまった。充樹と、珠樹が、同時に存在する。
お勤めの間に控えていた家人は、こぼれ落ちそうに目を丸くしていた。
「珠樹」
「政臣さん!」
ふいと充樹から退いて、政臣さんは僕に駆け寄ってきた。逞しい胸に抱き締められて、体温を感じて、生きている喜びを実感する。
僕は政臣さんなしでは、もう生きていけないのだと悟った。
嬉し涙の滲む視界の隅に、笹川さんと充樹も抱き合っているのが見えた。
0
お気に入りに追加
24
あなたにおすすめの小説
神子様の捧げ物が降らす激雨の愛
岡本
BL
雨の神に愛された一族の神子様として生まれたルシュディー。ある日突然、彼は転生前の記憶を思い出す。
転生前の記憶を思い出したからか、それ以前の記憶を覚えておらず、困惑する。
それでも自由気ままに、転生前の趣味に没頭していると、国中に雨を降らすことが自分の仕事と判明し、雨乞いの儀式をすることに。
態度の悪い使用人との軋轢も絶えない日々の中、ルシュディーを神子として国に縛り付ける為、側室に迎え入れた第二王子とも仲は良くなくて――。
自分の事も、力の事も何も分からないルシュディーの、全てを捧げたお話。


寮生活のイジメ【社会人版】
ポコたん
BL
田舎から出てきた真面目な社会人が先輩社員に性的イジメされそのあと仕返しをする創作BL小説
【この小説は性行為・同性愛・SM・イジメ的要素が含まれます。理解のある方のみこの先にお進みください。】
全四話
毎週日曜日の正午に一話ずつ公開

社畜サラリーマン、異世界で竜帝陛下のペットになる
ひよこ麺
BL
30歳の誕生日を深夜のオフィスで迎えた生粋の社畜サラリーマン、立花志鶴(たちばな しづる)。家庭の都合で誰かに助けを求めることが苦手な志鶴がひとり涙を流していた時、誰かの呼び声と共にパソコンが光り輝き、奇妙な世界に召喚されてしまう。
その世界は人類よりも高度な種族である竜人とそれに従うもの達が支配する世界でその世界で一番偉い竜帝陛下のラムセス様に『可愛い子ちゃん』と呼ばれて溺愛されることになった志鶴。
いままでの人生では想像もできないほどに甘やかされて溺愛される志鶴。
しかし、『異世界からきた人間が元の世界に戻れない』という事実ならくる責任感で可愛がられてるだけと思い竜帝陛下に心を開かないと誓うが……。
「余の大切な可愛い子ちゃん、ずっと大切にしたい」
「……その感情は恋愛ではなく、ペットに対してのものですよね」
溺愛系スパダリ竜帝陛下×傷だらけ猫系社畜リーマンのふたりの愛の行方は……??
ついでに志鶴の居ない世界でもいままでにない変化が??
第11回BL小説大賞に応募させて頂きます。今回も何卒宜しくお願いいたします。
※いつも通り竜帝陛下には変態みがありますのでご注意ください。また「※」付きの回は性的な要素を含みます
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる