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第11話 恥じらい
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新聞に度々載っている、上野動物園にやってきた。僕はまだ信じられなくて、入り口に立ち竦んで辺りを見回す。
平日だったけど、ぱんだの赤ちゃんが公開されたのはつい最近だったから、随分と混んでいた。
僕はこんなに沢山の人混みに入った事もなかったから、戸惑って思わず政臣さんの肘に掴まる。すると、政臣さんは僕の手を取って、握ってくれた。
「混んでるから、はぐれないようにしなくちゃな。携帯、持ってないだろう?」
「あ、はい。携帯電話は、持っていません」
「はぐれたら、充樹を送り返せない。俺から離れるなよ」
「はい」
柔らかく握られた掌が、どきどきして脈打って、変に思われないだろうかと心配になったけど、政臣さんは僕の手を引いて歩き出した。
「じゃあ、まずパンダを見ようか」
入口からはみ出して、上野恩賜公園の方にまで続く行列に歩き出す。
『最後尾』と書かれた札を持っている職員さんに訊いたら、八十分待ちだった。
「それでも充樹は、見るだろう?」
「はい! 何時間でも待ちます!」
列は長かったけど、常にゆっくりと進んだから、退屈はしなかった。
並んでる間、政臣さんは色んな話をしてくれた。
僕が動物が好きだから、飼っていた動物の話を。
犬と猫と鳥を飼った事があって、犬は台風でも毎日散歩に行かなくちゃ行けなくて大変だったとか、猫はぱそこんを使っていると、きーぼーどの上に寝そべられていつも困ったとか、お兄さんの飼っていた鳥とは反りが合わなくて、いつの間にか覚えた「バカヤロウ!」という言葉で喧嘩ばかりしていたとか、わくわくするような話だった。
僕は大人に囲まれて独りきりで育ったから、同年代の、兄弟という存在が羨ましかった。
そこでふと、思い出す。『充樹』は、どうしているだろう。
本当は、政臣さんと結婚するのは、『充樹』だったんだ。僕ばかりがこんなに幸せで、良いんだろうか。
政臣さんを譲りたくはなかったけれど、罪悪感が棘となって、ちくりと心臓を刺す。
表情が陰る僕に目聡く気付き、政臣さんはやんわりと黒髪を撫でて促した。
「どうした? 気分でも悪いのか? これから幾らでもデート出来るから、無理に今日見なくても良いんだぞ?」
「あ、いえ。ぱんだは見たいです」
そこで、言葉に詰まった。僕が『予備』だった事は秘密だ。『兄弟』と言えずに、数瞬言葉を探して視線を彷徨わせた。
「ただ……『知り合い』が、最近倒れて。僕は連絡手段がないから、今どうしているのか、気がかりなんです。先代は厳しい人だから、ご神託以外に気を散らすのを、よく思いませんし」
「充樹は、優しいな。俺が調べてやろうか?」
「い、いえ! 政臣さんに、皇城の交友関係を教えたと先代に知られたら、僕も知り合いも叱られてしまいます。でも、ありがとうございます」
「そうか。治ってると良いな」
「はい」
僕じゃなく、僕の『知り合い』の話なのに、政臣さんは本当に心配そうに僕の顔を覗き込む。
涼しげな奥二重が、気遣わしげに歪んでた。
「……優しいのは、政臣さんです」
「ん?」
「知り合いの事を心配してくれて。洋服を買ってくれて。動物園に連れてきてくれて。僕、政臣さんのお陰で、知らなかった世界をいっぱい知れました」
僕の長い髪を、政臣さんがやんわりと撫でて、微笑む。
「これくらいで感動されたら、逆に困るな」
その時、列の先の方がざわざわと騒がしくなった。
「ほら、充樹。立ち止まっては見られないから、よく見ておくんだぞ」
「えっ、もう見られるのですか?」
八十分は、あっという間に経っていた。
可愛い! という女児の声が上がる。
やがて、硝子(がらす)で仕切られた檻の向こうに、白と黒の模様が可愛い、ぱんだのお母さんが見えた。笹を食べている。
「わ。可愛い! 政臣さん、赤ちゃん!」
それまで手を引かれていた僕は、思わず政臣さんの先に立って引っ張った。
お母さんぱんだも充分可愛かったけど、その足元に、もこもこで小さい白黒模様が転がってた。
覚束ない足取りでお母さんに近付き、揺れる笹の先にじゃれている。
「凄い!」
「立ち止まらないでくださーい」
「あっ、はい。すみません!」
僕はその景色を、目に焼き付けるように見入った。
八十分並んだけれど、見られたのはほんの数十秒だった。最後に、立ち上がろうとして、こてんと後ろに転げる赤ちゃんが見えた。
「あはは。可愛ーい」
「見えたか?」
「はい! 想像していたより、ずっと可愛かったです。もこもこで!」
「ふっ」
「え?」
僕は小首を傾げた。長い髪が揺れる。
見上げた政臣さんは、今まで見た中で、一番の笑顔だった。
「政臣さんも、赤ちゃんぱんだが見られて、嬉しいのですか?」
「ああ、可愛かったな。だけど」
ぽんぽんと頭に手が置かれる。
「喜ぶ充樹の方が、百倍可愛い」
「えっ……」
参拝者様に「綺麗」だと言われた事はあったけど、「可愛い」と言われた事はない。頬が火照った。
「照れる充樹も、可愛い」
顎を摘ままれて、頬に接吻された。
照れる? 僕が、照れてる?
先代が、恥じらって見せなさいと言っていた。奇しくも、意識せずにそれはどんどん叶っていく。
僕が政臣さんを好きなのと、関係あるのかもしれない。
平日だったけど、ぱんだの赤ちゃんが公開されたのはつい最近だったから、随分と混んでいた。
僕はこんなに沢山の人混みに入った事もなかったから、戸惑って思わず政臣さんの肘に掴まる。すると、政臣さんは僕の手を取って、握ってくれた。
「混んでるから、はぐれないようにしなくちゃな。携帯、持ってないだろう?」
「あ、はい。携帯電話は、持っていません」
「はぐれたら、充樹を送り返せない。俺から離れるなよ」
「はい」
柔らかく握られた掌が、どきどきして脈打って、変に思われないだろうかと心配になったけど、政臣さんは僕の手を引いて歩き出した。
「じゃあ、まずパンダを見ようか」
入口からはみ出して、上野恩賜公園の方にまで続く行列に歩き出す。
『最後尾』と書かれた札を持っている職員さんに訊いたら、八十分待ちだった。
「それでも充樹は、見るだろう?」
「はい! 何時間でも待ちます!」
列は長かったけど、常にゆっくりと進んだから、退屈はしなかった。
並んでる間、政臣さんは色んな話をしてくれた。
僕が動物が好きだから、飼っていた動物の話を。
犬と猫と鳥を飼った事があって、犬は台風でも毎日散歩に行かなくちゃ行けなくて大変だったとか、猫はぱそこんを使っていると、きーぼーどの上に寝そべられていつも困ったとか、お兄さんの飼っていた鳥とは反りが合わなくて、いつの間にか覚えた「バカヤロウ!」という言葉で喧嘩ばかりしていたとか、わくわくするような話だった。
僕は大人に囲まれて独りきりで育ったから、同年代の、兄弟という存在が羨ましかった。
そこでふと、思い出す。『充樹』は、どうしているだろう。
本当は、政臣さんと結婚するのは、『充樹』だったんだ。僕ばかりがこんなに幸せで、良いんだろうか。
政臣さんを譲りたくはなかったけれど、罪悪感が棘となって、ちくりと心臓を刺す。
表情が陰る僕に目聡く気付き、政臣さんはやんわりと黒髪を撫でて促した。
「どうした? 気分でも悪いのか? これから幾らでもデート出来るから、無理に今日見なくても良いんだぞ?」
「あ、いえ。ぱんだは見たいです」
そこで、言葉に詰まった。僕が『予備』だった事は秘密だ。『兄弟』と言えずに、数瞬言葉を探して視線を彷徨わせた。
「ただ……『知り合い』が、最近倒れて。僕は連絡手段がないから、今どうしているのか、気がかりなんです。先代は厳しい人だから、ご神託以外に気を散らすのを、よく思いませんし」
「充樹は、優しいな。俺が調べてやろうか?」
「い、いえ! 政臣さんに、皇城の交友関係を教えたと先代に知られたら、僕も知り合いも叱られてしまいます。でも、ありがとうございます」
「そうか。治ってると良いな」
「はい」
僕じゃなく、僕の『知り合い』の話なのに、政臣さんは本当に心配そうに僕の顔を覗き込む。
涼しげな奥二重が、気遣わしげに歪んでた。
「……優しいのは、政臣さんです」
「ん?」
「知り合いの事を心配してくれて。洋服を買ってくれて。動物園に連れてきてくれて。僕、政臣さんのお陰で、知らなかった世界をいっぱい知れました」
僕の長い髪を、政臣さんがやんわりと撫でて、微笑む。
「これくらいで感動されたら、逆に困るな」
その時、列の先の方がざわざわと騒がしくなった。
「ほら、充樹。立ち止まっては見られないから、よく見ておくんだぞ」
「えっ、もう見られるのですか?」
八十分は、あっという間に経っていた。
可愛い! という女児の声が上がる。
やがて、硝子(がらす)で仕切られた檻の向こうに、白と黒の模様が可愛い、ぱんだのお母さんが見えた。笹を食べている。
「わ。可愛い! 政臣さん、赤ちゃん!」
それまで手を引かれていた僕は、思わず政臣さんの先に立って引っ張った。
お母さんぱんだも充分可愛かったけど、その足元に、もこもこで小さい白黒模様が転がってた。
覚束ない足取りでお母さんに近付き、揺れる笹の先にじゃれている。
「凄い!」
「立ち止まらないでくださーい」
「あっ、はい。すみません!」
僕はその景色を、目に焼き付けるように見入った。
八十分並んだけれど、見られたのはほんの数十秒だった。最後に、立ち上がろうとして、こてんと後ろに転げる赤ちゃんが見えた。
「あはは。可愛ーい」
「見えたか?」
「はい! 想像していたより、ずっと可愛かったです。もこもこで!」
「ふっ」
「え?」
僕は小首を傾げた。長い髪が揺れる。
見上げた政臣さんは、今まで見た中で、一番の笑顔だった。
「政臣さんも、赤ちゃんぱんだが見られて、嬉しいのですか?」
「ああ、可愛かったな。だけど」
ぽんぽんと頭に手が置かれる。
「喜ぶ充樹の方が、百倍可愛い」
「えっ……」
参拝者様に「綺麗」だと言われた事はあったけど、「可愛い」と言われた事はない。頬が火照った。
「照れる充樹も、可愛い」
顎を摘ままれて、頬に接吻された。
照れる? 僕が、照れてる?
先代が、恥じらって見せなさいと言っていた。奇しくも、意識せずにそれはどんどん叶っていく。
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