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第3話 外の世界
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いつもはお勤めの間に行く為に左に曲がる廊下を、今日は先代に着いて、真っ直ぐ行く。
僕は初めて、今までの自分の領域から『外』に出た。
長い廊下を渡った先の小綺麗な部屋には、朱塗りのお膳が二膳、向かい合わせに給仕されていた。
下座(しもざ)に座るよう促され、正座すると、先代は出ていった。
間もなく、家人が一人の男性を連れてきた。上座(かみざ)に座る。
「藤堂政臣様。皇城充樹様でございます」
ああ、この人が政臣さんなんだな。
小柄な僕の頭ひとつ分くらい高く、白い狩衣と袴を着ていて体型は分からないけれど、袖口から覗く拳は血管が浮いていて男らしく逞しい。
歳は、二十代半ばだろうか。
そんな風に思って見詰めていたら、目が合って……思いがけず、微笑まれた。
今まで神子である僕に、そんな風に親しみを込めて、笑いかけてきた人など居なかった。
何だか心臓が、とくんとくんと音を立てるのを意識する。
「充樹さん。この日が待ち遠しかったです。私の事……覚えてはいませんよね」
政臣さんは、優しく声をかけてきた。
覚えてる? お勤めの好みを覚える為に、少しでも会った事がある人は全員覚えている筈だけど、政臣さんは知らない。
僕は、平伏して細く言った。
「申し訳ないです、政臣さん。覚えておりません」
政臣さんは、声を立てて朗らかに笑った。
「はは。謝る必要はありませんよ。貴方と一度だけ会った時、僕は八つで、未来のお嫁さんよ、と言われたのを嬉しく思ったものです。貴方は三つだったから、覚えていなくて当たり前ですよ」
お嫁さん? それは、許嫁っていう意味じゃないだろうか。僕は何も知らされてない。
でも、余計な事は話すなと言われたから、顔を上げて曖昧に微笑み返した。
「貴方は、どうですか? 顔も知らぬ男の妻になるのは、嫌ではありませんでしたか?」
「いいえ。貴方のような美丈夫の妻になれるなら、こんなに嬉しい事はありません」
自然と、言葉がすらすらと出てくる。半分は上手くやる為の方便だったが、半分は僕の本心だった。
「美丈夫、ですか。お世辞でも嬉しい言葉ですね」
「お世辞ではありません!」
ちょっとむきになって言い募ると、政臣さんはまた笑った。その笑みを見ると、心に行灯が点ったように、暖かくなる。
「では、素直に受け止めておきましょう。ありがとうございます、充樹さん。私も貴方のような綺麗な方と結婚出来ると思うと嬉しいです。頂きましょうか」
僕たちはお膳に両手を合わせ、夕餉を共に摂り始めた。
誰かと一緒に食事をするのなんて、初めてだった。
「充樹さんは、何が趣味ですか」
趣味? 僕は一日中あの部屋に居たから、趣味なんてものはない。
でも何か答えなくてはと、ひねり出した。
「ご神託の占いです。わたくしの役目ですから」
「これは、充樹さんは真面目なのですね。仕事が趣味だなんて」
「政臣さんの趣味は何ですか?」
「私は、沢山ありますよ。音楽鑑賞に映画鑑賞、ライヴ、ゲーム、カラオケ、ダーツ、ビリヤード……沢山です」
「羨ましいです。わたくしは、そのようなものに触れる機会がありませんでしたから」
「そうですか。皇城家の教育方針は、厳しいのですね。趣味を持つ暇もないとは」
ぱり、ぱり、と、政臣さんの白い歯が、香(こう)の物(もの)を噛む音が部屋に響く。
家人が二人隅に控えていたけれど、事実上二人きりの部屋で、こんな風に食事を共に摂るのは何だかお勤めよりも近しく触れ合っているような気がして、鼓動が騒いだ。
「……」
「……」
しばらく、無言で食事をする。
僕は初めてだから、この沈黙が良いのか悪いのか分からない。でも何か言わなくてはいけないような気がして、御味御汁(おみおつけ)を飲み干した後、おずおずと言った。
「最近は、いい天気ですね」
「ええ。今日も晴れて、良かったです」
――ぱり、ぱり。
その音が、何だか酷く官能的に聞こえる。
「桜が満開だと聞きました。見てみたいです」
「え? 見ていないんですか? ここの庭にも、ソメイヨシノが見事に咲いてましたが」
「は、はい。最近忙しくて、部屋にこもりっきりでご神託を占っていましたから」
政臣さんは、奥二重の涼しげな目を丸くした。
「そうなんですか。では、食事が終わったら、少し庭に出ませんか?」
「え……ええと」
僕が言い淀むと、政臣さんは声をひそめて少し顔を近付けた。
「私が我が儘を言った事にすれば、良いのです。今夜の私は、皇城家の客ですから」
そして声を少し高くして、僕に笑いかけた。
「夜桜が綺麗ですよ。是非、充樹さんと一緒に見たいです」
「そこまで仰るなら……お供します」
僕は、密かに胸を高鳴らせていた。桜。白黒の新聞でしか見た事のない花。庭。障子越しでない、外の空気。
何もかもが、変わろうとしていた。
僕は初めて、今までの自分の領域から『外』に出た。
長い廊下を渡った先の小綺麗な部屋には、朱塗りのお膳が二膳、向かい合わせに給仕されていた。
下座(しもざ)に座るよう促され、正座すると、先代は出ていった。
間もなく、家人が一人の男性を連れてきた。上座(かみざ)に座る。
「藤堂政臣様。皇城充樹様でございます」
ああ、この人が政臣さんなんだな。
小柄な僕の頭ひとつ分くらい高く、白い狩衣と袴を着ていて体型は分からないけれど、袖口から覗く拳は血管が浮いていて男らしく逞しい。
歳は、二十代半ばだろうか。
そんな風に思って見詰めていたら、目が合って……思いがけず、微笑まれた。
今まで神子である僕に、そんな風に親しみを込めて、笑いかけてきた人など居なかった。
何だか心臓が、とくんとくんと音を立てるのを意識する。
「充樹さん。この日が待ち遠しかったです。私の事……覚えてはいませんよね」
政臣さんは、優しく声をかけてきた。
覚えてる? お勤めの好みを覚える為に、少しでも会った事がある人は全員覚えている筈だけど、政臣さんは知らない。
僕は、平伏して細く言った。
「申し訳ないです、政臣さん。覚えておりません」
政臣さんは、声を立てて朗らかに笑った。
「はは。謝る必要はありませんよ。貴方と一度だけ会った時、僕は八つで、未来のお嫁さんよ、と言われたのを嬉しく思ったものです。貴方は三つだったから、覚えていなくて当たり前ですよ」
お嫁さん? それは、許嫁っていう意味じゃないだろうか。僕は何も知らされてない。
でも、余計な事は話すなと言われたから、顔を上げて曖昧に微笑み返した。
「貴方は、どうですか? 顔も知らぬ男の妻になるのは、嫌ではありませんでしたか?」
「いいえ。貴方のような美丈夫の妻になれるなら、こんなに嬉しい事はありません」
自然と、言葉がすらすらと出てくる。半分は上手くやる為の方便だったが、半分は僕の本心だった。
「美丈夫、ですか。お世辞でも嬉しい言葉ですね」
「お世辞ではありません!」
ちょっとむきになって言い募ると、政臣さんはまた笑った。その笑みを見ると、心に行灯が点ったように、暖かくなる。
「では、素直に受け止めておきましょう。ありがとうございます、充樹さん。私も貴方のような綺麗な方と結婚出来ると思うと嬉しいです。頂きましょうか」
僕たちはお膳に両手を合わせ、夕餉を共に摂り始めた。
誰かと一緒に食事をするのなんて、初めてだった。
「充樹さんは、何が趣味ですか」
趣味? 僕は一日中あの部屋に居たから、趣味なんてものはない。
でも何か答えなくてはと、ひねり出した。
「ご神託の占いです。わたくしの役目ですから」
「これは、充樹さんは真面目なのですね。仕事が趣味だなんて」
「政臣さんの趣味は何ですか?」
「私は、沢山ありますよ。音楽鑑賞に映画鑑賞、ライヴ、ゲーム、カラオケ、ダーツ、ビリヤード……沢山です」
「羨ましいです。わたくしは、そのようなものに触れる機会がありませんでしたから」
「そうですか。皇城家の教育方針は、厳しいのですね。趣味を持つ暇もないとは」
ぱり、ぱり、と、政臣さんの白い歯が、香(こう)の物(もの)を噛む音が部屋に響く。
家人が二人隅に控えていたけれど、事実上二人きりの部屋で、こんな風に食事を共に摂るのは何だかお勤めよりも近しく触れ合っているような気がして、鼓動が騒いだ。
「……」
「……」
しばらく、無言で食事をする。
僕は初めてだから、この沈黙が良いのか悪いのか分からない。でも何か言わなくてはいけないような気がして、御味御汁(おみおつけ)を飲み干した後、おずおずと言った。
「最近は、いい天気ですね」
「ええ。今日も晴れて、良かったです」
――ぱり、ぱり。
その音が、何だか酷く官能的に聞こえる。
「桜が満開だと聞きました。見てみたいです」
「え? 見ていないんですか? ここの庭にも、ソメイヨシノが見事に咲いてましたが」
「は、はい。最近忙しくて、部屋にこもりっきりでご神託を占っていましたから」
政臣さんは、奥二重の涼しげな目を丸くした。
「そうなんですか。では、食事が終わったら、少し庭に出ませんか?」
「え……ええと」
僕が言い淀むと、政臣さんは声をひそめて少し顔を近付けた。
「私が我が儘を言った事にすれば、良いのです。今夜の私は、皇城家の客ですから」
そして声を少し高くして、僕に笑いかけた。
「夜桜が綺麗ですよ。是非、充樹さんと一緒に見たいです」
「そこまで仰るなら……お供します」
僕は、密かに胸を高鳴らせていた。桜。白黒の新聞でしか見た事のない花。庭。障子越しでない、外の空気。
何もかもが、変わろうとしていた。
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