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69 悲しい秘密④

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「君を心から愛したら、《彼女》への想いが消えてしまうかもしれない。おれの中からアレンの名残がなくなる。完全に《オスカー》となってしまう。
 そうしたら、周りの人たちを怒鳴りつけたり、ナイフを向けたりし始めるんじゃないか……想像して、怖くなったんだ」

 そこで言葉を切ったオスカーは、自分を嘲るように笑った。
 結婚初夜、「こんな男を好む女性なんかいない」と火傷跡をさらした時と、同じような笑い方だ。

「本当に馬鹿だよな、おれは」
「どうして?」
「だって……全部、無意味だったんだよ? 人生を《オスカー》へ捧げようと決めたことも、あいつに体を乗っ取られると心配したことも。
 あの夜、ベッドに座る君へ嘘をついて、心を傷つけたことも。何もかも無意味だった。間違いだったんだ。おれの、くだらない思い込みのせいで……」

 言葉の終わりは、本当に小さな声だった。オスカーの口元に、耳を寄せないと聞き取れないくらい。

「幻滅しただろ?」

 オスカーがぼそぼそと言った。私は「ううん」と答えた。

「幻滅なんかしないわ」
「だけどおれは、『どうせ金目当てなんだろう』って君をおとしめて、そのあとも引っ込みがつかなくて、また君に冷たくして……」
「お金がほしかったのは本当だけどね」

 冗談めかして笑ってみたけれど、オスカーは首を振った。

「お金だけが目当てだったなら、初めて会った時、僕を誘ったはずだ。ベリンダ・リースマンみたいに」
「初めて会った時って、あなたが助けてくれた夜会の日?」
「ああ。君はおれを誘うどころか、呆然としてたっけ。せっかく大富豪が目の前にいるのにさ」

 と言ったオスカーは、ほんの少しだけ笑った。

「本当に……ちょっと心配になったよ。ワイアット男爵領を救えるチャンスだっていうのに、おれが話を振るまで、ぽかんとしたまま黙ってただろ?」
「だ、だってあの時は、あなたが助けてくれるなんて思わなかったから。本当に格好よかったんだもの。おとぎ話の王子様みたいで、ドキドキした」
「……その王子の正体は、君を傷つける最低な男だったわけだ」

 ため息をついたオスカーの顔は真っ赤だ。こっちまで恥ずかしくなってしまう。
 気恥ずかしさをごまかしたくて、うつむいたままのオスカーを励ましたくて、私は彼の背中をさすりながら言った。
 
「私だって、あなたを傷つけたわ」
「いつ?」
「昔、《オスカー》のことをしつこく聞いた時。本当に申し訳なかった。あなたは泣き喚いて、床に突っ伏して……」

 そこで私は口をつぐんだ。オスカーが、両手で顔を覆ってしまったからだ。

「……思い出した。本当に、僕は最低野郎だな」

 オスカーは深々と息を吐き、頭をかきながら話を続ける。

「君を馬鹿呼ばわりした上、絵本を投げつけた時だろ?」
「そうだけど……でも、あの時あなたは子どもだったもの」
「子どもと言ったって、8歳だよ。やっていいことと悪いことの区別くらい、ついてしかるべきだ」
「8歳……そんなに小さかったのね」

 具体的な数字を聞くと、現実感が増す。
 服がなくて寒い、と毛布をかぶっていたアレン。おれを見て、と叫んでいたアレン。
 ひとりぼっちで、誰にも頼れなくて、いつも寂しさを抱えていたアレン……。

「辛かったね」

 考える前に言葉が出た。手が、ひとりでに彼の背中を抱いた。
 オスカーが、大きく息を吸い込む。再び話し出した彼の声は、何かをこらえるように震えていた。

「……どうして、君はそんなに優しいんだ? おれは……君に、嫌われても仕方ないのに」
「嫌いになんてならないわ。あなたのおかげで、大切なことに気付けたんだもの」

 私の思い込みを捨てさせてくれたあなたを、嫌いになるはずがない。

「おれは、何もしてない……君は、おれにたくさんのことを教えてくれたのに。何も返せてない。役立たずだよ。おまけに馬鹿馬鹿しい思い込みのせいで、失敗ばっかり……」

 なんだか、前にもこんなことをアレンに言われた気がする。私は彼の話を止めようと、少し声を張った。

「ねえ、オスカー。私、また同じことを言わなくちゃいけないの?」
「同じこと?」
「あ、そうか。あなたにとっては十数年が経ってるんだっけ。それは忘れるわよね。じゃあ、もう一度」

 私は、うなだれるオスカーの頭に頬を寄せた。そして言った。昔、8歳だった彼へそうしたように。
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