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52 逃亡①

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 私は、引き出しの中から天使の人形を手に取った。

「あなたがいた部屋から、持って来てしまったものなんだけど」

 人形を手のひらに乗せ、オスカーに見せる。
 これで信じてくれるはずだ。私が《彼女》なのだと。そう思ったのに。

(えっ?)

 一瞬にして、オスカーの顔色が変わる。いや、「変わった」なんてものじゃない。

 青とも白とも言える顔に、紫色の唇。かたく握った拳がブルブルと震え、ひたいや首筋には汗の粒が浮かんでいる。
 
「怒って、いるのか……?」
「え?」

 突飛な質問に聞き返したものの、私へ尋ねたのではないとすぐに気付く。
 天使の人形を見ていたオスカーは、部屋のあちこちへ視線を向けていく。

「こんなに魔除けを置いたのに、まだ追いかけてくるのか……アリスまで、から奪うつもりか……!」
「オスカー、どうしたの? 落ち着いて!」

 なだめようとしたけれど、オスカーは私の手を振り払い、身をひるがえして、寝室を飛び出してしまった。
 急いで私も廊下に出ると、仕事部屋の方で、バタン! とドアの閉まる音がした。

「オスカー、オスカー!」

 仕事部屋のドアを何度叩いても、返事はない。ただ、バタバタとせわしない物音だけが聞こえてくる。
 
(……駄目だ、開けてくれない。いつかは出てくるだろうから、その時に話をしよう)

 ノックをやめ、赤くなった手をさすりながら、1階へ降りた。
 使用人たちは火消し用の土を片付け終え、朝食……というより昼食の準備に追われている。行き交う彼らの間をすり抜け、ジェイクに声をかけた。

「オスカーは今、仕事部屋にいるみたいなの。彼が出てきたら、教えてくれる? 私は自分の部屋にいるから」

 ついでに何か手伝えることがないか聞いてみたけれど、案の定断られてしまった。

 自室へ引っ込んだものの、手持ち無沙汰になってしまった。意味もなく、書き物机の引き出しを開けてみる。

「あ……」

 そこには、何枚かのメモ書きが入っていた。どうやってアレンへ字を教えようか──試行錯誤の跡だ。

(これ、最後の授業のメモだわ。そういえばあの時、アレンと約束したんだっけ)

 別れ際、アレンはこう言っていた。

『次は、宝探しして遊ぼう』

 現在のアレン──オスカーは、あの約束をもう忘れただろう。彼にとっては、十数年前のことなのだから。

(でも、なんとなくすっきりしないし……一度、誘ってみようかな。もういい大人だから、宝探しなんて興味ないかしら)
 
 ああしよう、こうしようと考えながら、30分ほど経った時。部屋のドアが激しく叩かれた。

「奥様! いらっしゃいますか!」

 ナンシーだ。どうしたんだろう。
 ドアを開けると、顔面蒼白のナンシーが、息を切らせて立っていた。

「お、奥様! 旦那様が……! 先程、何があったのでございますか⁉︎」
「何って……どういうこと? オスカーがどうかしたの?」
「どうもこうも、ございません!」

 ナンシーは拳をつくり、声を裏返らせて訴えた。

「旦那様が、荷物をまとめて屋敷を出られたのです。『アリスがいる間は、もうここへは戻らない』とおっしゃって!」
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