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38 出立前々日②
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「ナンシー! オスカーは、一旦屋敷へ戻るの?」
「そ、それはジェイク様に確認しませんと……」
「わかった、ちょっと聞いてくるわね」
と、気が急くままに席を立とうとした私の肩へ、ナンシーが手を置いた。
「お待ちください。私が行ってまいります。奥様はご昼食を召し上がっていてくださいな。それに、このお茶」
ナンシーは湯気の立つティーカップを見た。
「冷めてしまいますわよ。旦那様が奥様のためにお取り寄せになった、上質なものですのに」
「えっ、そうだったの?」
「そうですわ。まったく……旦那様も、ご機嫌取りみたいな真似をなさらないで、もっと奥様とお過ごしになればよろしいのに」
「えっと……そ、それじゃ走って行ってくるわ」
そう言ってまた立ち上がろうとすると、ナンシーは腰に手を当て、キッと眉を上げた。
「いけません! 階段でお転びになったら一大事です。それに、旦那様から言いつかっておりますもの。奥様がお怪我をなさらないよう、よく注意を払えと」
「……オスカーが、そんなことを?」
私は、戸惑いながら椅子へ座り直した。
「じゃあ……悪いけど、オスカーの予定を聞いてきてくれる?」
「ええ。それでは、少し失礼をいたします」
ナンシーは一礼して、部屋を出て行った。
私はカップを手に取り、紅茶を口に含んだ。
舌の上で転がすと、甘い香りが鼻の奥にふわっと広がる。のみ込むと、やわらかな渋みが喉を伝う。
(本当に、上質なお茶だわ。値段も張るんだろうな。オスカー、『しばらく贅沢は控えないと』って言ってたのに……)
ゆっくりと味わいながら、ナンシーの話を思い返す。
『旦那様が奥様のためにお取り寄せになった、上質なものですのに』
『奥様がお怪我をなさらないよう、よく注意を払えと言いつかっておりますもの』
カチャ、とソーサーにカップを置く。そうしないと紅茶をこぼしてしまう気がした。
「嬉しい」という気持ちと「どうして」という思いが、心の中で激しくぶつかり合って、手が震えてしまいそうだった。
オスカーは、私が思うよりもずっと、私を大切にしてくれる。なのに私を突き放して、距離を置こうとする。
事あるごとに《彼女》の話を持ち出すのに、その人と会うつもりはないという。
(オスカー、あなたは何を考えてるの? どうして、こんな矛盾したことをするの)
わからないことだらけだ。早くオスカーと話したい。
けれど、もう旅に出るのなら、あまり多くは聞けないだろう。それなら、彼はアレンなのか──せめてそれだけでも知りたい。
焦りが、じりじりと胸を灼く。それをこらえて、パンを、スープを口へ運ぶ。
食器が半分ほど空になった頃、ドアがノックされた。
「奥様、ナンシーです。お待たせいたしました」
「! ありがとう、入って」
部屋へ入ったナンシーは、小走りに駆け寄ってきた。急いでくれたのだろう、肩で息をしている。
「旦那様は、このままお屋敷へはお戻りにならずに、出立されるそうです」
「そんな……!」
「ただ、明後日の昼前でしたら、少しお時間が取れるかもしれないと。こちらから港へ向かえば、ですが」
どうするのか、と問うように、ナンシーは私を見つめてくる。私は、まっすぐナンシーを見つめ返した。
答えはもう、決まっていた。
「そ、それはジェイク様に確認しませんと……」
「わかった、ちょっと聞いてくるわね」
と、気が急くままに席を立とうとした私の肩へ、ナンシーが手を置いた。
「お待ちください。私が行ってまいります。奥様はご昼食を召し上がっていてくださいな。それに、このお茶」
ナンシーは湯気の立つティーカップを見た。
「冷めてしまいますわよ。旦那様が奥様のためにお取り寄せになった、上質なものですのに」
「えっ、そうだったの?」
「そうですわ。まったく……旦那様も、ご機嫌取りみたいな真似をなさらないで、もっと奥様とお過ごしになればよろしいのに」
「えっと……そ、それじゃ走って行ってくるわ」
そう言ってまた立ち上がろうとすると、ナンシーは腰に手を当て、キッと眉を上げた。
「いけません! 階段でお転びになったら一大事です。それに、旦那様から言いつかっておりますもの。奥様がお怪我をなさらないよう、よく注意を払えと」
「……オスカーが、そんなことを?」
私は、戸惑いながら椅子へ座り直した。
「じゃあ……悪いけど、オスカーの予定を聞いてきてくれる?」
「ええ。それでは、少し失礼をいたします」
ナンシーは一礼して、部屋を出て行った。
私はカップを手に取り、紅茶を口に含んだ。
舌の上で転がすと、甘い香りが鼻の奥にふわっと広がる。のみ込むと、やわらかな渋みが喉を伝う。
(本当に、上質なお茶だわ。値段も張るんだろうな。オスカー、『しばらく贅沢は控えないと』って言ってたのに……)
ゆっくりと味わいながら、ナンシーの話を思い返す。
『旦那様が奥様のためにお取り寄せになった、上質なものですのに』
『奥様がお怪我をなさらないよう、よく注意を払えと言いつかっておりますもの』
カチャ、とソーサーにカップを置く。そうしないと紅茶をこぼしてしまう気がした。
「嬉しい」という気持ちと「どうして」という思いが、心の中で激しくぶつかり合って、手が震えてしまいそうだった。
オスカーは、私が思うよりもずっと、私を大切にしてくれる。なのに私を突き放して、距離を置こうとする。
事あるごとに《彼女》の話を持ち出すのに、その人と会うつもりはないという。
(オスカー、あなたは何を考えてるの? どうして、こんな矛盾したことをするの)
わからないことだらけだ。早くオスカーと話したい。
けれど、もう旅に出るのなら、あまり多くは聞けないだろう。それなら、彼はアレンなのか──せめてそれだけでも知りたい。
焦りが、じりじりと胸を灼く。それをこらえて、パンを、スープを口へ運ぶ。
食器が半分ほど空になった頃、ドアがノックされた。
「奥様、ナンシーです。お待たせいたしました」
「! ありがとう、入って」
部屋へ入ったナンシーは、小走りに駆け寄ってきた。急いでくれたのだろう、肩で息をしている。
「旦那様は、このままお屋敷へはお戻りにならずに、出立されるそうです」
「そんな……!」
「ただ、明後日の昼前でしたら、少しお時間が取れるかもしれないと。こちらから港へ向かえば、ですが」
どうするのか、と問うように、ナンシーは私を見つめてくる。私は、まっすぐナンシーを見つめ返した。
答えはもう、決まっていた。
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