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36 なぞなぞ
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「自分で持ってるのに、持ってるってわからないの? しかも、1人じゃ捨てられないもの……ええー、何だろう」
アレンは、ぎゅうっと眉間にしわを寄せて、うんうん言いながら考えている。
その様子がおかしくて、笑ってしまいそうになる。もうこらえきれない、と思った時、アレンはポンと手を打った。
「タンス!」
「タンス?」
「うん、だって重くて1人じゃ捨てられないじゃん!」
「まあ、たしかに……でもね、アレン──」
「でしょ? でしょ? 当たり⁉︎」
そうと決まったかのように、アレンは堂々と胸を張った。私はとうとう吹き出してしまった。
「残念、はずれよ」
「えっ……えーっ⁉︎」
アレンは、さも悲しそうに眉を下げた。その顔が仔犬みたいにかわいらしくて、私は黒髪をクシャクシャとなでた。
「でも、一生懸命考えてたよね。偉かったね」
そう言うと、アレンは顔を赤くして、モゾモゾと膝をかかえた。
「で、でも間違ってたんでしょ。正解は?」
「正解はね、『思い込み』」
「ええっ!」
今度の叫びは不満たっぷりだ。アレンは思いきり頬をふくらませて、私の肩をペシペシ叩いた。
「難しいよー! ずるい、ずるい! タンスだって1人で捨てられないじゃないか!」
「だけど、自分ではなかなか気付けないものなのよ?」
「あ……そっか」
引き下がりはしたけれど、アレンはまだ不服そうだ。
「ていうかさ、思い込みなんてあるかどうか、誰にもわからないじゃん! おれはないけど」
「さあ……どうかしら」
《天使》の件といい、価値観の偏りはある気がする。そう思いながら曖昧に答えると、アレンは、むうっと口を尖らせた。
「何だよお。じゃ、アリスにはあるわけ?」
「そうね。少なくとも1つ、あったわ」
「あった?」
アレンは首をかしげて私を見つめてきた。
そんな彼を、私もまた見つめ返す。心に生まれた、確固とした芯を感じながら。
「だけど、あなたのおかげで捨てられたのよ」
「ふうん……?」
アレンは、よくわからない、と言いたげに天井を仰いだ。が、すぐににっこり笑って私を見た。
「よくわかんないけど、おれ、アリスの役に立ったんだね! アリス、おれのこと好きになった?」
ドキッとした。なんだか、以前の自分を見てるようだった。
アリスに嫌われたくない──笑顔の向こうから、すがりつくような怯えるような、アレンの思いが伝わってくる。
彼を安心させたくて、私は言った。
「役に立つとか立たないとか、関係ないわよ」
「本当に? でも……おれ、アリスに馬鹿とか言っちゃったし。嫌な思いしたよね」
「私だってひどかったわ。アレンが嫌がってるのに、しつこく《オスカー》のことを聞いたもの」
「ううん……おれの方がひどいよ。それに、馬鹿はおれだ。『雪』って言われた時、『月』って聞き間違えたんだよ」
「そのくらい、誰にでもあるわよ」
「それだけじゃないよ。アリスに教えてもらったことも、間違えてばっかりだし。失敗だらけのおれなんか、嫌われてもしょうがないもん……」
アレンの声から、どんどん力がなくなっていく。
言葉だけじゃ駄目なんだ。私はアレンの肩を抱き、彼の頭へ顔を寄せた。
やわらかな黒髪へ頬を押しつけ、強く告げる。
「アレン。私、アレンが好きよ。役に立たなくても、傷つけられても、失敗だらけでも、あなたが大好き」
「え……あ、う……」
アレンはモゴモゴ言いながら、さっきよりもっと顔を赤くして、袋の口を縛るみたいに、きゅうっと肩を縮こめた。
その様子を見て、ふと思った。
(この子がもし、夫のオスカーだったら)
ものすごく恥ずかしいことをしてしまった気がする。
まだ落ち着かなげなアレンの隣で、私もソワソワと膝の角度を変えながら、意味もなくあたりを見回した。
そして、倒れたタンスに目を留めた。
(そういえば、このタンス……どうして倒れたんだろう)
地震ではない気がする。腐りかけた柱は、何事もなく立っているのだから。
(じゃあ、誰かが倒した? ……誰が?)
子どもには無理だ。アレンにも、今は7歳の《オスカー》にも。それなら──。
「アレン、あのね。言いたくなかったらいいんだけど」
アレンの顔に、不安の陰が差す。それを取り除きたくて、私はなるべく明るく微笑んだ。
「アレンのお父さんって、どんな人?」
「父さんは……死んじゃった。1年くらい前に」
え、と短い声が、自分の口からこぼれた。
(じゃあ、この部屋を荒らしたのは……)
その時だった。
──どんっ!
壁が大きな音を立てた。アレンと私は飛び上がって、互いにしがみつき合った。
「な、何? 何の音?」
誰に言うでもない私の呟きに、アレンのひとりごとが返ってくる。
「母さん……」
「お母さん?」
聞き返した直後、耳に金切り声が突き刺さる。
「オスカー! オスカー‼︎ どこにいるの? 返事をしてちょうだい!」
さっき音が鳴った方だ。続いてまた、荒々しい音が響く。それだけで、暴虐な振る舞いが手に取るようにわかる。
家具を引き倒し、布を裂き、陶器を床へ叩きつける……隣室の状況が、鮮明に目の前へ浮かぶ。
アレンの母親が、そうしているというのだろうか。
それなら、この部屋を荒らしたのもアレンの母親なのか。なぜ、そんなことを。
そう思ったけれど、震え続けるアレンには尋ねられない。彼の肩を、ただ抱きしめるしかなかった。
黒髪に顔をうずめていると、遠くから別の声が聞こえてきた。
「……様、奥様! 起きてください」
ハッと目を開けると、私は椅子に腰かけていた。
腕の中にアレンはいない。正面には書き物机。そして、左隣にはナンシーが立っていた。
アレンは、ぎゅうっと眉間にしわを寄せて、うんうん言いながら考えている。
その様子がおかしくて、笑ってしまいそうになる。もうこらえきれない、と思った時、アレンはポンと手を打った。
「タンス!」
「タンス?」
「うん、だって重くて1人じゃ捨てられないじゃん!」
「まあ、たしかに……でもね、アレン──」
「でしょ? でしょ? 当たり⁉︎」
そうと決まったかのように、アレンは堂々と胸を張った。私はとうとう吹き出してしまった。
「残念、はずれよ」
「えっ……えーっ⁉︎」
アレンは、さも悲しそうに眉を下げた。その顔が仔犬みたいにかわいらしくて、私は黒髪をクシャクシャとなでた。
「でも、一生懸命考えてたよね。偉かったね」
そう言うと、アレンは顔を赤くして、モゾモゾと膝をかかえた。
「で、でも間違ってたんでしょ。正解は?」
「正解はね、『思い込み』」
「ええっ!」
今度の叫びは不満たっぷりだ。アレンは思いきり頬をふくらませて、私の肩をペシペシ叩いた。
「難しいよー! ずるい、ずるい! タンスだって1人で捨てられないじゃないか!」
「だけど、自分ではなかなか気付けないものなのよ?」
「あ……そっか」
引き下がりはしたけれど、アレンはまだ不服そうだ。
「ていうかさ、思い込みなんてあるかどうか、誰にもわからないじゃん! おれはないけど」
「さあ……どうかしら」
《天使》の件といい、価値観の偏りはある気がする。そう思いながら曖昧に答えると、アレンは、むうっと口を尖らせた。
「何だよお。じゃ、アリスにはあるわけ?」
「そうね。少なくとも1つ、あったわ」
「あった?」
アレンは首をかしげて私を見つめてきた。
そんな彼を、私もまた見つめ返す。心に生まれた、確固とした芯を感じながら。
「だけど、あなたのおかげで捨てられたのよ」
「ふうん……?」
アレンは、よくわからない、と言いたげに天井を仰いだ。が、すぐににっこり笑って私を見た。
「よくわかんないけど、おれ、アリスの役に立ったんだね! アリス、おれのこと好きになった?」
ドキッとした。なんだか、以前の自分を見てるようだった。
アリスに嫌われたくない──笑顔の向こうから、すがりつくような怯えるような、アレンの思いが伝わってくる。
彼を安心させたくて、私は言った。
「役に立つとか立たないとか、関係ないわよ」
「本当に? でも……おれ、アリスに馬鹿とか言っちゃったし。嫌な思いしたよね」
「私だってひどかったわ。アレンが嫌がってるのに、しつこく《オスカー》のことを聞いたもの」
「ううん……おれの方がひどいよ。それに、馬鹿はおれだ。『雪』って言われた時、『月』って聞き間違えたんだよ」
「そのくらい、誰にでもあるわよ」
「それだけじゃないよ。アリスに教えてもらったことも、間違えてばっかりだし。失敗だらけのおれなんか、嫌われてもしょうがないもん……」
アレンの声から、どんどん力がなくなっていく。
言葉だけじゃ駄目なんだ。私はアレンの肩を抱き、彼の頭へ顔を寄せた。
やわらかな黒髪へ頬を押しつけ、強く告げる。
「アレン。私、アレンが好きよ。役に立たなくても、傷つけられても、失敗だらけでも、あなたが大好き」
「え……あ、う……」
アレンはモゴモゴ言いながら、さっきよりもっと顔を赤くして、袋の口を縛るみたいに、きゅうっと肩を縮こめた。
その様子を見て、ふと思った。
(この子がもし、夫のオスカーだったら)
ものすごく恥ずかしいことをしてしまった気がする。
まだ落ち着かなげなアレンの隣で、私もソワソワと膝の角度を変えながら、意味もなくあたりを見回した。
そして、倒れたタンスに目を留めた。
(そういえば、このタンス……どうして倒れたんだろう)
地震ではない気がする。腐りかけた柱は、何事もなく立っているのだから。
(じゃあ、誰かが倒した? ……誰が?)
子どもには無理だ。アレンにも、今は7歳の《オスカー》にも。それなら──。
「アレン、あのね。言いたくなかったらいいんだけど」
アレンの顔に、不安の陰が差す。それを取り除きたくて、私はなるべく明るく微笑んだ。
「アレンのお父さんって、どんな人?」
「父さんは……死んじゃった。1年くらい前に」
え、と短い声が、自分の口からこぼれた。
(じゃあ、この部屋を荒らしたのは……)
その時だった。
──どんっ!
壁が大きな音を立てた。アレンと私は飛び上がって、互いにしがみつき合った。
「な、何? 何の音?」
誰に言うでもない私の呟きに、アレンのひとりごとが返ってくる。
「母さん……」
「お母さん?」
聞き返した直後、耳に金切り声が突き刺さる。
「オスカー! オスカー‼︎ どこにいるの? 返事をしてちょうだい!」
さっき音が鳴った方だ。続いてまた、荒々しい音が響く。それだけで、暴虐な振る舞いが手に取るようにわかる。
家具を引き倒し、布を裂き、陶器を床へ叩きつける……隣室の状況が、鮮明に目の前へ浮かぶ。
アレンの母親が、そうしているというのだろうか。
それなら、この部屋を荒らしたのもアレンの母親なのか。なぜ、そんなことを。
そう思ったけれど、震え続けるアレンには尋ねられない。彼の肩を、ただ抱きしめるしかなかった。
黒髪に顔をうずめていると、遠くから別の声が聞こえてきた。
「……様、奥様! 起きてください」
ハッと目を開けると、私は椅子に腰かけていた。
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