「君とは契りを結ばない」と言った夫は、悲しい秘密を持っていた

山河 枝

文字の大きさ
上 下
34 / 75

33 拒絶

しおりを挟む
 けれどオスカーは、私を拒むように目を伏せてしまった。

「君には関係ない」
「!」

 喉を押さえつけられたような心地だった。
 それでも引き下がりたくない。息苦しさをのみ込んで、私は言い返した。

「関係あります! 私は、あなたの妻じゃないですか」
「そうだね。君は……オスカー・バートレットの妻だ」

 含みのある言い方がじれったくて、私は唇を噛んだ。
 
 オスカーは、明らかに何かを隠したがっている。何者かをひどく恐れているのに、何でもないふりをしている。

 ただ、これまでのことを繋ぎ合わせれば、想像はつく。彼は、霊的なものを怖がっている。使用人がいぶかしむほど、屋敷に魔除けを置くくらいだ。
 だけど、この屋敷にいて、おかしな現象が起きたことはない。オスカーの思い込みとしか思えない。
 彼は、自分をおびやかす霊がいると、頑なに信じ込んでいる。

 なぜ、そんなふうになってしまったのか──。
 知りたくて知りたくて、私はオスカーに質問をぶつけた。

「オスカー。私と結婚した本当の理由は、今は聞きません。その代わり教えて。あなたは何を怖がっているの? どうして、魔除けの道具を屋敷中に置いているの?」

 言いながら手を伸ばす。けれどそれは、オスカーにやんわりと払われてしまった。

「その話はしたくない……昔のことを、言いたくないんだ。昔の僕は、《彼女》だけが知っていればいい」

 私の頭から、すうっと血の気が引いていく。《彼女》という壁が、目の前にそそり立つ。

「……そんなに、その人が好き? あなたを支えられるのは、《彼女》だけなんですか?」
「そういう意味じゃない」
「だけど、あなたはずっと《彼女》のことを気にしてる。オスカー……私、あなたが好き。あなたと、ちゃんとした家族になりたいの」

 そう告げると、オスカーは苦しげに顔をゆがめた。

 そんな彼の様子に、私は怯んだ。心を明け渡すほど、受ける傷は深くなる。
 だけど決めたんだ。彼に思いを伝えると。

「《彼女》を忘れろ、なんて言いません。私と同じ気持ちじゃなくていい。でも、私を嫌っていないのなら、どうか私のことも見て──」
「やめてくれっ!」

 声を荒げたオスカーに、私は息をのんだ。彼は、乱暴に白髪をわしづかみ、苦痛をこらえるように目を閉じている。

「僕だって、本当は……!」

 と、言いかけたオスカーは、ぶつりと言葉を切った。白い髪から手を離し、顔を上げ、冷たい目で私を見すえる。
 それから、静かな声で話し始めた。

「ああ、そうだよ。子どもだった僕に、優しくしてくれたのは《彼女》だけ。読み書きも、計算も、国々の名前も……人の温もりを教えてくれたのも、《彼女》だけだ。僕は《彼女》だけを愛してる」

 そこまで言ったオスカーは、椅子に腰を下ろし、再び仕事机に向かった。そして、私の発言を抑え込むかのようにまくし立てた。

「もう出て行ってくれ。本当に忙しいんだ。君の手伝いは、もう必要ない。リースマンのことなら全部話した。これ以上、何もないだろう」
「……はい」

 私はうつむき、うしろへ下がった。きびすを返し、仕事部屋をあとにする。
 そうするしかなかった。辛くて耐えられなかった。

 それは、オスカーに拒まれたからじゃない。
 彼は秘密を守るために、言いたくもないことを言わなくてはならなかった。私がしつこく食い下がったから。

 あの辛そうな顔を思い出すと、心が締めつけられる。
 これ以上、彼を問い詰めることはできない。アレンを傷つけた時のように、きっとオスカーも傷つけてしまう。

 私は、とぼとぼと自室に戻った。「1人にしてほしい」とナンシーに伝え、かといって何かするでもなく、書き物机の前に座って目を閉じる。
 頭の中で後悔をめぐらせていると、さっきオスカーと交わした会話に、気になる点を見つけた。

(そういえば、《彼女》のことは少しだけ教えてくれたっけ)

 読み書き。計算。国々の名前。それらを彼に教えたということは、《彼女》はオスカーの先生だったのだろうか。

 だとすると、《彼女》は学校の教師や教会のシスターかもしれない。周りから邪険にされていても、オスカーはその場所で、心穏やかに過ごせたのだろう。

(でも、ほかの教師は? ほかのシスターは? 《彼女》だけがオスカーに優しくて、それ以外の人間は冷たい……なんて状況、あり得るかしら)

 もしかすると、もっと特別な人なのかもしれない。どこにも所属しない、特別な……。

(あれ?)

 違和感を覚えて目を開けた。
 目の前にあった書き物机が消えている。座っていたはずの椅子もない。
 
 そこは、自室ではなかった。何度も訪れた、あのボロボロの部屋に、私は立っていた。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

拝啓、愛しの侯爵様~行き遅れ令嬢ですが、運命の人は案外近くにいたようです~

藤原ライラ
ファンタジー
心を奪われた手紙の先には、運命の人が待っていた――  子爵令嬢のキャロラインは、両親を早くに亡くし、年の離れた弟の面倒を見ているうちにすっかり婚期を逃しつつあった。夜会でも誰からも相手にされない彼女は、新しい出会いを求めて文通を始めることに。届いた美しい字で洗練された内容の手紙に、相手はきっとうんと年上の素敵なおじ様のはずだとキャロラインは予想する。  彼とのやり取りにときめく毎日だがそれに難癖をつける者がいた。幼馴染で侯爵家の嫡男、クリストファーである。 「理想の相手なんかに巡り合えるわけないだろう。現実を見た方がいい」  四つ年下の彼はいつも辛辣で彼女には冷たい。  そんな時キャロラインは、夜会で想像した文通相手とそっくりな人物に出会ってしまう……。  文通相手の正体は一体誰なのか。そしてキャロラインの恋の行方は!? じれじれ両片思いです。 ※他サイトでも掲載しています。 イラスト:ひろ様(https://xfolio.jp/portfolio/hiro_foxtail)

旦那様には愛人がいますが気にしません。

りつ
恋愛
 イレーナの夫には愛人がいた。名はマリアンヌ。子どものように可愛らしい彼女のお腹にはすでに子どもまでいた。けれどイレーナは別に気にしなかった。彼女は子どもが嫌いだったから。 ※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました。

【完結】「君を手に入れるためなら、何でもするよ?」――冷徹公爵の執着愛から逃げられません」

21時完結
恋愛
「君との婚約はなかったことにしよう」 そう言い放ったのは、幼い頃から婚約者だった第一王子アレクシス。 理由は簡単――新たな愛を見つけたから。 (まあ、よくある話よね) 私は王子の愛を信じていたわけでもないし、泣き喚くつもりもない。 むしろ、自由になれてラッキー! これで平穏な人生を―― そう思っていたのに。 「お前が王子との婚約を解消したと聞いた時、心が震えたよ」 「これで、ようやく君を手に入れられる」 王都一の冷徹貴族と恐れられる公爵・レオンハルトが、なぜか私に異常な執着を見せ始めた。 それどころか、王子が私に未練がましく接しようとすると―― 「君を奪う者は、例外なく排除する」 と、不穏な笑みを浮かべながら告げてきて――!? (ちょっと待って、これって普通の求愛じゃない!) 冷酷無慈悲と噂される公爵様は、どうやら私のためなら何でもするらしい。 ……って、私の周りから次々と邪魔者が消えていくのは気のせいですか!? 自由を手に入れるはずが、今度は公爵様の異常な愛から逃げられなくなってしまいました――。

【改稿版・完結】その瞳に魅入られて

おもち。
恋愛
「——君を愛してる」 そう悲鳴にも似た心からの叫びは、婚約者である私に向けたものではない。私の従姉妹へ向けられたものだった—— 幼い頃に交わした婚約だったけれど私は彼を愛してたし、彼に愛されていると思っていた。 あの日、二人の胸を引き裂くような思いを聞くまでは…… 『最初から愛されていなかった』 その事実に心が悲鳴を上げ、目の前が真っ白になった。 私は愛し合っている二人を引き裂く『邪魔者』でしかないのだと、その光景を見ながらひたすら現実を受け入れるしかなかった。  『このまま婚姻を結んでも、私は一生愛されない』  『私も一度でいいから、あんな風に愛されたい』 でも貴族令嬢である立場が、父が、それを許してはくれない。 必死で気持ちに蓋をして、淡々と日々を過ごしていたある日。偶然見つけた一冊の本によって、私の運命は大きく変わっていくのだった。 私も、貴方達のように自分の幸せを求めても許されますか……? ※後半、壊れてる人が登場します。苦手な方はご注意下さい。 ※このお話は私独自の設定もあります、ご了承ください。ご都合主義な場面も多々あるかと思います。 ※『幸せは人それぞれ』と、いうような作品になっています。苦手な方はご注意下さい。 ※こちらの作品は小説家になろう様でも掲載しています。

【完結】巻き戻りを望みましたが、それでもあなたは遠い人

白雨 音
恋愛
14歳のリリアーヌは、淡い恋をしていた。相手は家同士付き合いのある、幼馴染みのレーニエ。 だが、その年、彼はリリアーヌを庇い酷い傷を負ってしまった。その所為で、二人の運命は狂い始める。 罪悪感に苛まれるリリアーヌは、時が戻れば良いと切に願うのだった。 そして、それは現実になったのだが…短編、全6話。 切ないですが、最後はハッピーエンドです☆《完結しました》

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

契約結婚の終わりの花が咲きます、旦那様

日室千種・ちぐ
恋愛
エブリスタ新星ファンタジーコンテストで佳作をいただいた作品を、講評を参考に全体的に手直ししました。 春を告げるラクサの花が咲いたら、この契約結婚は終わり。 夫は他の女性を追いかけて家に帰らない。私はそれに傷つきながらも、夫の弱みにつけ込んで結婚した罪悪感から、なかば諦めていた。体を弱らせながらも、寄り添ってくれる老医師に夫への想いを語り聞かせて、前を向こうとしていたのに。繰り返す女の悪夢に少しずつ壊れた私は、ついにある時、ラクサの花を咲かせてしまう――。 真実とは。老医師の決断とは。 愛する人に別れを告げられることを恐れる妻と、妻を愛していたのに契約結婚を申し出てしまった夫。悪しき魔女に掻き回された夫婦が絆を見つめ直すお話。 全十二話。完結しています。

拝啓、許婚様。私は貴方のことが大嫌いでした

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【ある日僕の元に許婚から恋文ではなく、婚約破棄の手紙が届けられた】 僕には子供の頃から決められている許婚がいた。けれどお互い特に相手のことが好きと言うわけでもなく、月に2度の『デート』と言う名目の顔合わせをするだけの間柄だった。そんなある日僕の元に許婚から手紙が届いた。そこに記されていた内容は婚約破棄を告げる内容だった。あまりにも理不尽な内容に不服を抱いた僕は、逆に彼女を遣り込める計画を立てて許婚の元へ向かった――。 ※他サイトでも投稿中

処理中です...