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「アリス、不安にさせてすまない。でも、昨日はかなりきつく突き放したから、もうあの人は来ないと思うよ」
「え?」
なんとなく話が噛み合わない。さっきの私のしぐさを、オスカーはどんな意味でとらえたのか。しばらく考えて、私は彼に言った。
「オスカー。私、リースマン様が怖いわけじゃありません」
「え……でも、金をせびりに来たんだぞ。しばらく生活を切り詰めるのに」
「えっ?」
私は首をかしげた。
「切り詰めるって?」
オスカーはハッとして、手で口を押さえた。けれどすぐに、諦めたように手を下ろして、ボソボソと話し始めた。
「……この前、扱う商品を変えると言っただろ。それが上手くいくかどうか、まだわからない。最初は生産者へ投資をしなきゃいけなかったし。だから、少なくとも1年くらいは贅沢を控えなきゃいけないんだ」
そこまで言うと、オスカーは皮肉めいた笑みを浮かべた。
「義父の遺産に群がってた連中も、だんだんバートレット家の状況に気付いてきたらしい。最近はずいぶん大人しいよ。夜会を開けっていう催促もないしね」
それから肩をすくめて、
「まあ、こうなるだろうなとは予測してたよ。義父なら人が離れるなんて耐えられなかっただろうけど、ほかにも人脈は充分あるから、僕としては清々したかな」
と、今度は開き直ったように笑った。気まずさからか、私とは目を合わせずに。
「そうでしたか……」
知らなかった。彼がそんな状態だったなんて。それを、私に隠そうとしていたなんて。
そう思って、彼に言った。
「オスカー、ありがとうございます」
「ありがとうって……何がだ?」
オスカーは大きく目を開いて、私を見た。貴族の動向は予測できても、私の言葉はまるで予想していなかったらしい。
「私を不安にさせないために、リースマン様のことも、お仕事のことも、隠そうとしてくれたんでしょう?」
尋ねると、彼は申し訳なさそうに眉を下げた。
「うん、まあ……だけど怒ってないのか?」
「どうして?」
「君にしてみたら、騙されたようなものだろ? 大富豪だと思って結婚したのに、一時とはいえ節約生活を強いられるなんて」
「いいえ、そんな。とんでもありません」
私は急いで首を振った。
「だって私、あなたと結婚できただけで、とても嬉しかったんです。私の分の持参金はないって、両親にも言われていて。どうせお前を望む令息はいないからって」
一瞬、オスカーの眉が悲しげに寄った。
「なのに今は、あなたの傍に──す、好きな人の傍にいられるんですもの。これ以上の幸せを望んだら、罰が当たるわ」
話しながらスカートを強く握り、目を閉じた。そうしないと、恥ずかしくて最後まで言えそうになかった。
ひと呼吸置いて、そっと目を開ける。オスカーは少し顔を背けて、左頬に広がる火傷の跡を私の方へ向けていた。
だから、彼の顔色がすぐにはわからず、機嫌を損ねてしまったのかと思った。
けれど、じっと眺めていると、鼻の頭が赤くなっているのが見て取れた。その瞬間、むずがゆい気持ちが胸に湧き上がった。
同時に、疑問が頭の中をよぎる。
今の状況を予想していたなら、なぜ彼はあの夜、あんなことを言ったんだろう。
「オスカー。1つ聞いてもいいですか」
「な、何?」
オスカーがこっちを向いた。右頬が、まだ少し赤く染まっている。
「あなたは、だんだん貴族が離れていくとわかっていたんですよね」
「ああ……そうだよ」
「それならどうして、あの夜、私に嘘をついたんですか?」
「え?」
なんとなく話が噛み合わない。さっきの私のしぐさを、オスカーはどんな意味でとらえたのか。しばらく考えて、私は彼に言った。
「オスカー。私、リースマン様が怖いわけじゃありません」
「え……でも、金をせびりに来たんだぞ。しばらく生活を切り詰めるのに」
「えっ?」
私は首をかしげた。
「切り詰めるって?」
オスカーはハッとして、手で口を押さえた。けれどすぐに、諦めたように手を下ろして、ボソボソと話し始めた。
「……この前、扱う商品を変えると言っただろ。それが上手くいくかどうか、まだわからない。最初は生産者へ投資をしなきゃいけなかったし。だから、少なくとも1年くらいは贅沢を控えなきゃいけないんだ」
そこまで言うと、オスカーは皮肉めいた笑みを浮かべた。
「義父の遺産に群がってた連中も、だんだんバートレット家の状況に気付いてきたらしい。最近はずいぶん大人しいよ。夜会を開けっていう催促もないしね」
それから肩をすくめて、
「まあ、こうなるだろうなとは予測してたよ。義父なら人が離れるなんて耐えられなかっただろうけど、ほかにも人脈は充分あるから、僕としては清々したかな」
と、今度は開き直ったように笑った。気まずさからか、私とは目を合わせずに。
「そうでしたか……」
知らなかった。彼がそんな状態だったなんて。それを、私に隠そうとしていたなんて。
そう思って、彼に言った。
「オスカー、ありがとうございます」
「ありがとうって……何がだ?」
オスカーは大きく目を開いて、私を見た。貴族の動向は予測できても、私の言葉はまるで予想していなかったらしい。
「私を不安にさせないために、リースマン様のことも、お仕事のことも、隠そうとしてくれたんでしょう?」
尋ねると、彼は申し訳なさそうに眉を下げた。
「うん、まあ……だけど怒ってないのか?」
「どうして?」
「君にしてみたら、騙されたようなものだろ? 大富豪だと思って結婚したのに、一時とはいえ節約生活を強いられるなんて」
「いいえ、そんな。とんでもありません」
私は急いで首を振った。
「だって私、あなたと結婚できただけで、とても嬉しかったんです。私の分の持参金はないって、両親にも言われていて。どうせお前を望む令息はいないからって」
一瞬、オスカーの眉が悲しげに寄った。
「なのに今は、あなたの傍に──す、好きな人の傍にいられるんですもの。これ以上の幸せを望んだら、罰が当たるわ」
話しながらスカートを強く握り、目を閉じた。そうしないと、恥ずかしくて最後まで言えそうになかった。
ひと呼吸置いて、そっと目を開ける。オスカーは少し顔を背けて、左頬に広がる火傷の跡を私の方へ向けていた。
だから、彼の顔色がすぐにはわからず、機嫌を損ねてしまったのかと思った。
けれど、じっと眺めていると、鼻の頭が赤くなっているのが見て取れた。その瞬間、むずがゆい気持ちが胸に湧き上がった。
同時に、疑問が頭の中をよぎる。
今の状況を予想していたなら、なぜ彼はあの夜、あんなことを言ったんだろう。
「オスカー。1つ聞いてもいいですか」
「な、何?」
オスカーがこっちを向いた。右頬が、まだ少し赤く染まっている。
「あなたは、だんだん貴族が離れていくとわかっていたんですよね」
「ああ……そうだよ」
「それならどうして、あの夜、私に嘘をついたんですか?」
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