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18 《彼女》がいれば
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書庫を簡単にめぐって、厨房を覗く。客間の前を通り、廊下を曲がる。
「この廊下に面しているのは、全部使用人の部屋だよ。突き当たりを曲がった先は、物置き部屋。君にはあまり関係ないかな」
オスカーに手で示されるたび、私は「はい」「わかりました」と、うなずいた。
うなずきながら、ひそかに驚いていた。屋敷の内装が、ナンシーの言った通りだったから。
屋敷の半分ほど──寝室や食堂、一部の廊下は、意識して眺めると青系統で統一されていた。そこにいるだけで、どことなく涼しく感じられた。
(全部、私のために?)
再びオスカーに目を向けると、彼は何かを探すようにあたりを見回している。
どうしたのか尋ねようとすると、オスカーは諦めたように目を伏せ、けれどすぐに元の表情に戻って、廊下の先を指さした。
「そこを曲がったところも、壁紙や調度品を変えようと思ったんだけど……時間がなくてね。義父の趣味が残ったままなんだ」
曲がり角を覗き込むと、一瞬、眩しさに目がくらんだ。
あたり一面、真鍮づくしの華美な装飾がきらめいている。目がチカチカして、むせてしまいそうなくらい。
さっきまでの涼しげな空間とは対照的だ。
ただ、共通点はある。
どちらも同じように、壁に魔除けの道具が飾られている。
理由を聞きたかったけれど、オスカーの仕事部屋でも感じた、他人を拒むような空気が漂っていて、私は口をつぐんだ。
とはいえ、沈黙が続くのも気詰まりだ。私は、前を行くオスカーの背中に声をかけた。
「デズモンド様は、華やかなものがお好きだったんですか?」
「まあね。性格は逆というか、自分の殻に閉じこもりがちだったけど」
それからオスカーは、ぽつりぽつりと義父のことを語り出した。
「それでも、歳を取ると孤独に飽きてくるらしい。亡くなるまでの数年間は、どんどん夜会が増えていったよ。僕が初めて義父と会った時も、『養子を探しているんだが、君は両親がいないそうだね。一緒に来ないか』って言ってたっけ」
オスカーに両親がいない、と聞いて、私はちょっと目を丸くした。
なんとなく予想していたけれど、はっきりと聞くのは初めてだ。
「それで、僕を引き取ったはいいものの、ずっと家族がいなかったから、どう接したらいいかわからなかったみたいだ」
「じゃあ、オスカーから話しかけて、仲を深めていったんですね」
「いや……残念ながら、仲がよかったとは言えないかな」
オスカーは言葉を切り、困ったように笑った。
「こっちは、ほかに頼る先のない子どもだろ。毎日、『機嫌を損ねたら放り出される!』って気が気じゃなかった」
「頼る先がなかった……? ご親戚もいなかったんですか?」
「ああ、まあ、うん……それはいいじゃないか」
デズモンド氏に引き取られる前のことは、言いたくないらしい。追及しすぎたら、オスカーは「仕事を再開しよう」と部屋へ戻ってしまうかもしれない。
私は急いで話題を変えた。
「デズモンド様と過ごす時は、ずっと緊張していたんですね」
「うん。20を過ぎた頃から、だんだん自然に振る舞えるようになったけど……義父の仕事がますます忙しくなって、2人でいても取り引きの話ばっかり。息子というより部下だったな」
それから2年後。73歳だったデズモンド氏は、安らかに息を引き取ったという。
「最後まで親子らしいとは言えなかったよ」
「そうなんですか……」
「ああ、だから──」
そして、何気なく呟かれたオスカーの言葉が、鋭く心を刺した。
「よく考えてた。『ここに《彼女》がいれば、もっと楽しかったのに』って」
「……そう、なんですか」
針先に引っかかれたような、チリチリとした痛みが胸の奥を行き来する。
けれど、私には何も言えない。彼の心にいるのは《彼女》なのだから。
そう思うと、ますます痛みが強くなった。
これ以上、《彼女》の話を聞きたくない。
だけどオスカーは、まだ何か言おうとするように口を開いた。
私は急いで廊下を見回した。話をさえぎるため、雑談の種になりそうなものを探して。
そして、豪奢な屋敷に不釣り合いなものを見つけた。
「この廊下に面しているのは、全部使用人の部屋だよ。突き当たりを曲がった先は、物置き部屋。君にはあまり関係ないかな」
オスカーに手で示されるたび、私は「はい」「わかりました」と、うなずいた。
うなずきながら、ひそかに驚いていた。屋敷の内装が、ナンシーの言った通りだったから。
屋敷の半分ほど──寝室や食堂、一部の廊下は、意識して眺めると青系統で統一されていた。そこにいるだけで、どことなく涼しく感じられた。
(全部、私のために?)
再びオスカーに目を向けると、彼は何かを探すようにあたりを見回している。
どうしたのか尋ねようとすると、オスカーは諦めたように目を伏せ、けれどすぐに元の表情に戻って、廊下の先を指さした。
「そこを曲がったところも、壁紙や調度品を変えようと思ったんだけど……時間がなくてね。義父の趣味が残ったままなんだ」
曲がり角を覗き込むと、一瞬、眩しさに目がくらんだ。
あたり一面、真鍮づくしの華美な装飾がきらめいている。目がチカチカして、むせてしまいそうなくらい。
さっきまでの涼しげな空間とは対照的だ。
ただ、共通点はある。
どちらも同じように、壁に魔除けの道具が飾られている。
理由を聞きたかったけれど、オスカーの仕事部屋でも感じた、他人を拒むような空気が漂っていて、私は口をつぐんだ。
とはいえ、沈黙が続くのも気詰まりだ。私は、前を行くオスカーの背中に声をかけた。
「デズモンド様は、華やかなものがお好きだったんですか?」
「まあね。性格は逆というか、自分の殻に閉じこもりがちだったけど」
それからオスカーは、ぽつりぽつりと義父のことを語り出した。
「それでも、歳を取ると孤独に飽きてくるらしい。亡くなるまでの数年間は、どんどん夜会が増えていったよ。僕が初めて義父と会った時も、『養子を探しているんだが、君は両親がいないそうだね。一緒に来ないか』って言ってたっけ」
オスカーに両親がいない、と聞いて、私はちょっと目を丸くした。
なんとなく予想していたけれど、はっきりと聞くのは初めてだ。
「それで、僕を引き取ったはいいものの、ずっと家族がいなかったから、どう接したらいいかわからなかったみたいだ」
「じゃあ、オスカーから話しかけて、仲を深めていったんですね」
「いや……残念ながら、仲がよかったとは言えないかな」
オスカーは言葉を切り、困ったように笑った。
「こっちは、ほかに頼る先のない子どもだろ。毎日、『機嫌を損ねたら放り出される!』って気が気じゃなかった」
「頼る先がなかった……? ご親戚もいなかったんですか?」
「ああ、まあ、うん……それはいいじゃないか」
デズモンド氏に引き取られる前のことは、言いたくないらしい。追及しすぎたら、オスカーは「仕事を再開しよう」と部屋へ戻ってしまうかもしれない。
私は急いで話題を変えた。
「デズモンド様と過ごす時は、ずっと緊張していたんですね」
「うん。20を過ぎた頃から、だんだん自然に振る舞えるようになったけど……義父の仕事がますます忙しくなって、2人でいても取り引きの話ばっかり。息子というより部下だったな」
それから2年後。73歳だったデズモンド氏は、安らかに息を引き取ったという。
「最後まで親子らしいとは言えなかったよ」
「そうなんですか……」
「ああ、だから──」
そして、何気なく呟かれたオスカーの言葉が、鋭く心を刺した。
「よく考えてた。『ここに《彼女》がいれば、もっと楽しかったのに』って」
「……そう、なんですか」
針先に引っかかれたような、チリチリとした痛みが胸の奥を行き来する。
けれど、私には何も言えない。彼の心にいるのは《彼女》なのだから。
そう思うと、ますます痛みが強くなった。
これ以上、《彼女》の話を聞きたくない。
だけどオスカーは、まだ何か言おうとするように口を開いた。
私は急いで廊下を見回した。話をさえぎるため、雑談の種になりそうなものを探して。
そして、豪奢な屋敷に不釣り合いなものを見つけた。
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