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4 侍女
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チィ、チィというさえずりが、頭を覚醒させていく。カーテンの隙間から、真っ白な光が漏れている。
夢から覚めたんだ、とわかって隣を見ると、ベッドの上には誰もいない。
(オスカー……何も言わないで行っちゃったのね。当たり前か。彼は、私のことを何とも思っていないんだから)
昨晩の出来事が思い出されて、ぎゅうっと胸が痛くなる。
痛みをごまかしたくて、うつ伏せになり、枕に顔を押しつけた。
おかしな夢を見たこともあって、起きたばかりなのにぐったり疲れていた。
(昨日、オスカーに萎縮してしまったから……だから、あんな夢を見たんだろうな。『オスカーには近付かない方がいい』なんて、言われなくても会いたくない。会うのが、怖い)
だからと言って、いつまでも寝室でぐずぐずしていたら駄目だ。オスカーに怠け者だと思われてしまう。
そうしたら、オスカーは裁判所で離婚を申し立てるかもしれない。
妻側は浮気も借金もしていないのに、夫が裁判所へお金を積んだら、あっという間に離婚が成立した──という事例を聞いたことがある。
それだけは避けなくては。役立たずの私が、どんな顔をして生家へ帰れるというのか。
ローラは結婚して屋敷を出たけれど、今は兄夫婦がいる。
あの2人なら、私が出戻ったとしても、何も言わないでいてくれるだろう。だけど、私に哀れみの目を向け、腫れ物のように扱うに違いない。
そのあと、どんな日々が待っているか。簡単に想像がつく。
なるべく兄夫婦の目に触れないよう、部屋に閉じこもり、必要以上のことは話さず、死を待つだけのみじめな生活……。
そんなのは嫌だ。四六時中周りに気を遣い、遣われながら生きていくなんて。
ここ以外にもう、私の居場所はない。がんばれ、私。起きろ、起きろ。
「えいっ!」
腕に力を込めて、枕から顔を引きはがした。
(まずは、ごはんを食べなくちゃ)
そうすれば、空元気くらいは出せるだろう。
腕を伸ばし、傍のテーブルに置かれた呼び鈴を鳴らす。
しばらくして、ドアが大きく開いた。侍女のナンシーだ。
「奥様、おはようございます!」
50歳とは思えないつやつやの肌が、起き抜けの目にまぶしい。ころんと丸い体が、こっちへ近付いてくる。
「さあさあ、椅子へおかけください。簡単にお髪を整えましょう。それから朝食ですわ。すぐにメイドが持って参ります」
「ありがとう」
ナンシーは私を小さなテーブルに着かせると、髪を編んでくれた。
(いつも自分でやってるから、ちょっと落ち着かないわね)
ワイアット男爵家には、私専属の侍女がいなかった。そこでオスカーがつけてくれたのが、この屋敷でメイド長をしていたナンシーだ。
彼女は、ふわふわと広がる私の髪を器用にまとめながら、「朝市のトマトが安かったらしい」とか、「さっき虹が出ていた」とか、おしゃべりを続けている。
侍女をつけると言われて、厳しい女性だったらどうしようと思っていたけれど、ナンシーはにこにこと私の世話を焼いてくれる。ありがたいを通り越して、申し訳ないくらいだ。
(でも、ほかの使用人はどう思ってるのかしら。大富豪の妻が、こんなに貧相だなんて)
オスカーに求婚された時、
『君が望むなら、社交の場には出なくてもいい。使用人たちにも話しておこう』
と、言われたけれど、それなら余計に、この屋敷の人々は私を見下しているんじゃないだろうか。
悶々としていると、朝食を乗せたワゴンを押して、メイドが寝室に入ってきた。
なぜか、私を凝視したまま。
睨まれてはいない。馬鹿にされてもいない。ただ、興味津々といった様子だ。
品定めをされているのだろうか。それなら、ここで失態を演じれば、私の評価は地に落ちる。
私は、紅茶を淹れるナンシーの手元に集中した。
下手な受け答えを避けるため、メイドが話しかけにくいように。
(ここでは、毎朝紅茶が出るのかしら。茶葉は舶来品だから、うちではお茶会の時にしか見なかったわ)
そのお茶会も、私はあまり出席させてもらえなかった。だから、お茶を最後に飲んだのは、たしか4年前。
ああ、いい香りがしてきた。透き通った飴色がとっても綺麗……。
「あのう、奥様」
紅茶に見入っているから話しかけないで、という無言の主張も虚しく、私はメイドに耳打ちされてしまった。
「失礼を承知でお尋ねしたいのですが」
「な、何かしら」
なんとなく小声で応じながら、私は身構えた。
『旦那様は、奥様のどこをお好きになられたんでしょうか?』
という耳の痛い質問しか想像できない。
生家にいた頃、執事やメイド長から「どうして肩を縮こめてしまわれるのですか?」だとか、「なぜ、大きなお声でお話しにならないのです?」だとか、渋い顔で言われてきたせいだろうか。
このメイドも、何と言うつもりなんだろう。ドキドキしながら待っていた質問は、想像の真逆だった。
「奥様が旦那様をお慕いする理由を、教えてくださいませんか?」
「まあ! あなた、奥様に向かってなんて図々しい!」
すかさず叱責が飛んできた。ナンシーがメイドの行動に気付いたらしい。
腰に手を当て、目をつり上げるナンシーへ、私は「いいのよ」と声をかけた。
メイドの目は真剣だ。何か事情があるのだろう。それなら答えてあげなくては。
けれど、どう言えばいいのか。オスカーを好きになった理由──数ヶ月前の記憶が、ひとりでに心へ浮かんできた。
夢から覚めたんだ、とわかって隣を見ると、ベッドの上には誰もいない。
(オスカー……何も言わないで行っちゃったのね。当たり前か。彼は、私のことを何とも思っていないんだから)
昨晩の出来事が思い出されて、ぎゅうっと胸が痛くなる。
痛みをごまかしたくて、うつ伏せになり、枕に顔を押しつけた。
おかしな夢を見たこともあって、起きたばかりなのにぐったり疲れていた。
(昨日、オスカーに萎縮してしまったから……だから、あんな夢を見たんだろうな。『オスカーには近付かない方がいい』なんて、言われなくても会いたくない。会うのが、怖い)
だからと言って、いつまでも寝室でぐずぐずしていたら駄目だ。オスカーに怠け者だと思われてしまう。
そうしたら、オスカーは裁判所で離婚を申し立てるかもしれない。
妻側は浮気も借金もしていないのに、夫が裁判所へお金を積んだら、あっという間に離婚が成立した──という事例を聞いたことがある。
それだけは避けなくては。役立たずの私が、どんな顔をして生家へ帰れるというのか。
ローラは結婚して屋敷を出たけれど、今は兄夫婦がいる。
あの2人なら、私が出戻ったとしても、何も言わないでいてくれるだろう。だけど、私に哀れみの目を向け、腫れ物のように扱うに違いない。
そのあと、どんな日々が待っているか。簡単に想像がつく。
なるべく兄夫婦の目に触れないよう、部屋に閉じこもり、必要以上のことは話さず、死を待つだけのみじめな生活……。
そんなのは嫌だ。四六時中周りに気を遣い、遣われながら生きていくなんて。
ここ以外にもう、私の居場所はない。がんばれ、私。起きろ、起きろ。
「えいっ!」
腕に力を込めて、枕から顔を引きはがした。
(まずは、ごはんを食べなくちゃ)
そうすれば、空元気くらいは出せるだろう。
腕を伸ばし、傍のテーブルに置かれた呼び鈴を鳴らす。
しばらくして、ドアが大きく開いた。侍女のナンシーだ。
「奥様、おはようございます!」
50歳とは思えないつやつやの肌が、起き抜けの目にまぶしい。ころんと丸い体が、こっちへ近付いてくる。
「さあさあ、椅子へおかけください。簡単にお髪を整えましょう。それから朝食ですわ。すぐにメイドが持って参ります」
「ありがとう」
ナンシーは私を小さなテーブルに着かせると、髪を編んでくれた。
(いつも自分でやってるから、ちょっと落ち着かないわね)
ワイアット男爵家には、私専属の侍女がいなかった。そこでオスカーがつけてくれたのが、この屋敷でメイド長をしていたナンシーだ。
彼女は、ふわふわと広がる私の髪を器用にまとめながら、「朝市のトマトが安かったらしい」とか、「さっき虹が出ていた」とか、おしゃべりを続けている。
侍女をつけると言われて、厳しい女性だったらどうしようと思っていたけれど、ナンシーはにこにこと私の世話を焼いてくれる。ありがたいを通り越して、申し訳ないくらいだ。
(でも、ほかの使用人はどう思ってるのかしら。大富豪の妻が、こんなに貧相だなんて)
オスカーに求婚された時、
『君が望むなら、社交の場には出なくてもいい。使用人たちにも話しておこう』
と、言われたけれど、それなら余計に、この屋敷の人々は私を見下しているんじゃないだろうか。
悶々としていると、朝食を乗せたワゴンを押して、メイドが寝室に入ってきた。
なぜか、私を凝視したまま。
睨まれてはいない。馬鹿にされてもいない。ただ、興味津々といった様子だ。
品定めをされているのだろうか。それなら、ここで失態を演じれば、私の評価は地に落ちる。
私は、紅茶を淹れるナンシーの手元に集中した。
下手な受け答えを避けるため、メイドが話しかけにくいように。
(ここでは、毎朝紅茶が出るのかしら。茶葉は舶来品だから、うちではお茶会の時にしか見なかったわ)
そのお茶会も、私はあまり出席させてもらえなかった。だから、お茶を最後に飲んだのは、たしか4年前。
ああ、いい香りがしてきた。透き通った飴色がとっても綺麗……。
「あのう、奥様」
紅茶に見入っているから話しかけないで、という無言の主張も虚しく、私はメイドに耳打ちされてしまった。
「失礼を承知でお尋ねしたいのですが」
「な、何かしら」
なんとなく小声で応じながら、私は身構えた。
『旦那様は、奥様のどこをお好きになられたんでしょうか?』
という耳の痛い質問しか想像できない。
生家にいた頃、執事やメイド長から「どうして肩を縮こめてしまわれるのですか?」だとか、「なぜ、大きなお声でお話しにならないのです?」だとか、渋い顔で言われてきたせいだろうか。
このメイドも、何と言うつもりなんだろう。ドキドキしながら待っていた質問は、想像の真逆だった。
「奥様が旦那様をお慕いする理由を、教えてくださいませんか?」
「まあ! あなた、奥様に向かってなんて図々しい!」
すかさず叱責が飛んできた。ナンシーがメイドの行動に気付いたらしい。
腰に手を当て、目をつり上げるナンシーへ、私は「いいのよ」と声をかけた。
メイドの目は真剣だ。何か事情があるのだろう。それなら答えてあげなくては。
けれど、どう言えばいいのか。オスカーを好きになった理由──数ヶ月前の記憶が、ひとりでに心へ浮かんできた。
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