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銀龍への答え
122 行ってくれ
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水奈の心臓が、何度も驚きに波打つ。
自分の父親は銀龍──それはタカから聞き、予想していた。驚いたのはそのあとだ。
(父様が掟を破って、監獄に囚われてる……?)
何も言えずにいると、水奈のそばに立つ雪晴が、ためらいがちに口を開く。
「銀龍様……ご説明くださいませんか。それだけでは何もわかりません。水奈の父君は、いかなる掟を破ってしまわれたのです?」
「……三百年前、我ら一族の中で定めた掟だ」
「三百年前?」
水奈は、思わず聞き返した。その時代の話を、どこかで耳にした気がする。
(そうだわ。たしか、蒼玉様が話していた……)
思い返す水奈へ、銀龍の長は静かに語った。
「三百年前。王妃となった〈銀龍の愛し子〉が、銀龍国の王に殺された──その娘は、人間と私の子どもだった」
「……!」
水奈と雪晴、そして大広間に集まってきた神官たちは、声も出せないほど驚いていた。
「それだけではない。国王は『鱗を持つ者は、神聖などではない。汚らわしい生き物だ』と、偽の神話を国民の頭にすり込んだ。我々は、それを許すことができなかった」
長はもちろん、水奈の父である竜水も激しい怒りを燃やした。
そして、彼らはある掟を作った。
『二度と銀龍は、人間と交わってはならない』
銀龍が人の世から離れれば、雨が減る。銀龍国は乾いていく。
〈銀龍の愛し子〉がいなければ〈銀龍の瞳〉も弱る。水を得ることはできず、家畜は弱り、収穫は減る。
そうやって銀龍たちは、〈愛し子〉を手にかけた銀龍国の王と、〈愛し子〉への敬意を忘れた民に罰を与えた。
「ただ……完全に見放すことはできなかった」
長の目が、立ち尽くす雪晴を見る。
「〈銀龍の瞳〉までも奪うことは、できなかった。美しい琴を弾きながら、不遇に耐え泣いていたあの姫の子孫を、見限れなかった……」
まだ銀龍たちが鱗を持つ生き物だった時。
王族の祖である姫は、「家族が無実の罪を着せられ、殺された」と泣いていた。その琴の音はただ深く、魚たちの心を一瞬で奪った。
魚たちは姫を哀れみ、彼女を救うために銀龍となった。そして、姫と約束した。「あなたとあなたの一族を栄えさせ、守ってみせる」と。
その約束を、銀龍たちはどうしても破れなかった。
雪晴と神官たちは、初めて聞く話の連続に呆然としている。
一番に我に返ったのは、三百年前の事件のことだけでも知っていた水奈だ。
水奈は、銀龍の長に尋ねた。
「それでも掟は残したのですね?」
「ああ。しかし……竜水は、それを破った」
銀龍たちは人間を恨みながらも、捧げられる琴の音には耳を傾けていた。
そんなある年、突出した琴の腕を持つ娘が琴祭に現れた。
「それが、楽沙木 水音だ。あの者は琴も姿も美しく、王の祖である姫がよみがえったか、と思ったほど。我らは水音を気に入った。中でも竜水は、格別の感情を水音に寄せた。琴祭が開かれるたび、竜水の情が深まっていくのが、見ているだけでわかった」
ついに竜水は、水音に想いを打ち明けた。その切羽詰まった想いに、水音はほだされ、応えた。
二つの心が触れた時、天の国と人の世は交わる。竜水と水音は、心の赴くまま逢瀬を重ね──水音は懐妊した。
それを知った銀龍たちは、竜水を投獄した。
無理矢理にではない。竜水も望んだことだった。
「苦しめると知りながら、己の心を抑えられず、〈愛し子〉を生み出してしまった──その罰を受ける、と言ってな」
そこまで話した長は、ふと苦笑した。
「とはいえ、償いの気持ちだけではなかろう。おそらく、耐える自信がなかったのだろうよ。我が子が苦しんでいるというのに、鱗がすべて剥がれるまでは迎えに行けぬもどかしさに」
「……神よ、神獣よ、と崇められていても、蓋を開けてみれば身勝手なものですね」
水奈の背後から、いら立たしげな声がした。
水奈が驚いて振り返ると、雪晴が銀龍の長をじっと見すえていた。
「水奈と母君を置いて、一人で帰ってしまうなんて」
「雪晴様!」
水奈は、背筋に冷や汗が伝うのを感じながら、雪晴を止めようと叫んだ。
銀龍の怒りを買えば、何をされるか──周りの神官たちも同じことを考えたらしく、顔面蒼白になっている。
しかし長は、あいかわらず平静を保ったまま、落ち着いた様子でかぶりを振った。
「王よ。そう思うのはもっともだが、あまり責めてやってくれるな。我らが人の世に降りられる時間は、限られているのだ」
それに、と長は続ける。
「監獄の中では、絶えず苦痛を与えられる。今の〈愛し子〉のように」
水奈は、思わず自身の肩を抱いた。多少は慣れてきたが、痛みはジリジリと水奈の体力を削っていく。
「どうだ、〈愛し子〉。父に会ってやるつもりはないか? 竜水はこの先何百年、何千年とその苦痛を味わいながら過ごさなくてはならない。お前に会えば、少しは心が慰められると思うが」
竜水に同情しているのか、長の声には哀れみがにじんでいる。
「お前が銀龍となり、人の世へ来られる時には、お前の子どもたちは寿命を迎え、死んでいるだろう。しかし銀龍になれば、お前の子々孫々を見守り、父と永遠に過ごすことができるぞ。痛みも苦しみもない世界で」
「私は……」
水奈はうつむき、考え込んだ。
父に会ってみたい。痛みが消えてほしい。そうした思いはあるが、やはり雪晴や子どもたちを置いていけない。
そう答えようとした時、トン、と水奈の背中が押された。
「え?」
水奈は、押された勢いのまま二歩進み、慌てて後ろを向いた。
雪晴が、泣き出しそうな顔で水奈を見つめている。水奈の背を押した手を下ろしながら、彼は口を開いた。
「水奈……行ってくれ」
「雪晴様……?」
水奈がたじろいでいると、雪晴はまたくり返した。
今度はきっぱりとした声で。
「天の国へ行ってくれ。人の世を離れ、銀龍になるんだ。……私や、水波と雪弥のためにも」
自分の父親は銀龍──それはタカから聞き、予想していた。驚いたのはそのあとだ。
(父様が掟を破って、監獄に囚われてる……?)
何も言えずにいると、水奈のそばに立つ雪晴が、ためらいがちに口を開く。
「銀龍様……ご説明くださいませんか。それだけでは何もわかりません。水奈の父君は、いかなる掟を破ってしまわれたのです?」
「……三百年前、我ら一族の中で定めた掟だ」
「三百年前?」
水奈は、思わず聞き返した。その時代の話を、どこかで耳にした気がする。
(そうだわ。たしか、蒼玉様が話していた……)
思い返す水奈へ、銀龍の長は静かに語った。
「三百年前。王妃となった〈銀龍の愛し子〉が、銀龍国の王に殺された──その娘は、人間と私の子どもだった」
「……!」
水奈と雪晴、そして大広間に集まってきた神官たちは、声も出せないほど驚いていた。
「それだけではない。国王は『鱗を持つ者は、神聖などではない。汚らわしい生き物だ』と、偽の神話を国民の頭にすり込んだ。我々は、それを許すことができなかった」
長はもちろん、水奈の父である竜水も激しい怒りを燃やした。
そして、彼らはある掟を作った。
『二度と銀龍は、人間と交わってはならない』
銀龍が人の世から離れれば、雨が減る。銀龍国は乾いていく。
〈銀龍の愛し子〉がいなければ〈銀龍の瞳〉も弱る。水を得ることはできず、家畜は弱り、収穫は減る。
そうやって銀龍たちは、〈愛し子〉を手にかけた銀龍国の王と、〈愛し子〉への敬意を忘れた民に罰を与えた。
「ただ……完全に見放すことはできなかった」
長の目が、立ち尽くす雪晴を見る。
「〈銀龍の瞳〉までも奪うことは、できなかった。美しい琴を弾きながら、不遇に耐え泣いていたあの姫の子孫を、見限れなかった……」
まだ銀龍たちが鱗を持つ生き物だった時。
王族の祖である姫は、「家族が無実の罪を着せられ、殺された」と泣いていた。その琴の音はただ深く、魚たちの心を一瞬で奪った。
魚たちは姫を哀れみ、彼女を救うために銀龍となった。そして、姫と約束した。「あなたとあなたの一族を栄えさせ、守ってみせる」と。
その約束を、銀龍たちはどうしても破れなかった。
雪晴と神官たちは、初めて聞く話の連続に呆然としている。
一番に我に返ったのは、三百年前の事件のことだけでも知っていた水奈だ。
水奈は、銀龍の長に尋ねた。
「それでも掟は残したのですね?」
「ああ。しかし……竜水は、それを破った」
銀龍たちは人間を恨みながらも、捧げられる琴の音には耳を傾けていた。
そんなある年、突出した琴の腕を持つ娘が琴祭に現れた。
「それが、楽沙木 水音だ。あの者は琴も姿も美しく、王の祖である姫がよみがえったか、と思ったほど。我らは水音を気に入った。中でも竜水は、格別の感情を水音に寄せた。琴祭が開かれるたび、竜水の情が深まっていくのが、見ているだけでわかった」
ついに竜水は、水音に想いを打ち明けた。その切羽詰まった想いに、水音はほだされ、応えた。
二つの心が触れた時、天の国と人の世は交わる。竜水と水音は、心の赴くまま逢瀬を重ね──水音は懐妊した。
それを知った銀龍たちは、竜水を投獄した。
無理矢理にではない。竜水も望んだことだった。
「苦しめると知りながら、己の心を抑えられず、〈愛し子〉を生み出してしまった──その罰を受ける、と言ってな」
そこまで話した長は、ふと苦笑した。
「とはいえ、償いの気持ちだけではなかろう。おそらく、耐える自信がなかったのだろうよ。我が子が苦しんでいるというのに、鱗がすべて剥がれるまでは迎えに行けぬもどかしさに」
「……神よ、神獣よ、と崇められていても、蓋を開けてみれば身勝手なものですね」
水奈の背後から、いら立たしげな声がした。
水奈が驚いて振り返ると、雪晴が銀龍の長をじっと見すえていた。
「水奈と母君を置いて、一人で帰ってしまうなんて」
「雪晴様!」
水奈は、背筋に冷や汗が伝うのを感じながら、雪晴を止めようと叫んだ。
銀龍の怒りを買えば、何をされるか──周りの神官たちも同じことを考えたらしく、顔面蒼白になっている。
しかし長は、あいかわらず平静を保ったまま、落ち着いた様子でかぶりを振った。
「王よ。そう思うのはもっともだが、あまり責めてやってくれるな。我らが人の世に降りられる時間は、限られているのだ」
それに、と長は続ける。
「監獄の中では、絶えず苦痛を与えられる。今の〈愛し子〉のように」
水奈は、思わず自身の肩を抱いた。多少は慣れてきたが、痛みはジリジリと水奈の体力を削っていく。
「どうだ、〈愛し子〉。父に会ってやるつもりはないか? 竜水はこの先何百年、何千年とその苦痛を味わいながら過ごさなくてはならない。お前に会えば、少しは心が慰められると思うが」
竜水に同情しているのか、長の声には哀れみがにじんでいる。
「お前が銀龍となり、人の世へ来られる時には、お前の子どもたちは寿命を迎え、死んでいるだろう。しかし銀龍になれば、お前の子々孫々を見守り、父と永遠に過ごすことができるぞ。痛みも苦しみもない世界で」
「私は……」
水奈はうつむき、考え込んだ。
父に会ってみたい。痛みが消えてほしい。そうした思いはあるが、やはり雪晴や子どもたちを置いていけない。
そう答えようとした時、トン、と水奈の背中が押された。
「え?」
水奈は、押された勢いのまま二歩進み、慌てて後ろを向いた。
雪晴が、泣き出しそうな顔で水奈を見つめている。水奈の背を押した手を下ろしながら、彼は口を開いた。
「水奈……行ってくれ」
「雪晴様……?」
水奈がたじろいでいると、雪晴はまたくり返した。
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