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銀龍への答え
115 「もうすぐだ」
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あまりにも、のどかすぎる。血痕は見当たらず、木の一本すら折れていない。
国境付近は反乱軍によって荒らされたはずなのに。
水奈の中で、不信感が大きく膨らんでいく。
「白雲殿……ここは、国境付近ではありませんよね?」
もう一度尋ねると、白雲は首を横に振った。
「いえ、ここは国境の手前です」
「ですが、戦闘の形跡はどこに? 陛下を見失うほど、激しい戦いがあったのでしょう?」
水奈が後ずさると、白雲は大股で距離を詰めてきた。
「このあたりは、まだ敵に踏み入られておりません。山頂を挟んだ向こう側で、何とか食い止めておりますので」
話しながら白雲は、水奈の手を取った。
「! は、離しなさい!」
「申し訳ありませんが、従いかねます。一刻も早く兵士の士気を上げねばなりません。このあたりは足元が悪いですからな。お手を引かせていただきます」
白雲は一方的に言い放つと、水奈の手をつかんだまま山を登り始めた。
そのあとを、水奈の護衛部隊が追いかける。
「王妃殿下、我々も──」
「お前たちは陛下を探してこい」
白雲の見下すような言い方に、護衛隊長がムッとして言い返す。
「ですが、我々は王妃殿下の護衛です」
「その前に、国王陛下の臣下だろう? 陛下の行方がわからんというのに探さぬとは。主君をないがしろにするのか?」
「まさか、そんな!」
「では、国王陛下の捜索に向かえ。この山はもう調べた。王妃殿下は我々が護衛する」
白雲がフンと鼻を鳴らすと、隊長は唇を噛み、悔しそうに押し黙った。
「どうした? 最高位貴族であり、国境守の私に逆らうつもりか?」
「……いいえ。国王陛下の捜索に向かいます」
隊長がそう言うと、ほかの兵士も一礼し、護衛部隊は谷へ下りていった。
水奈は、その後ろ姿を見つめることしかできなかった。
国境守は、外国に侵略された時、臨機応変に対応しなくてはならない。そのため、特別な権限を持っている。
その上、今は緊急事態だ。白雲は、何をしても放免される可能性がある。
水奈が護衛隊長に「行くな」と言えば、彼は水奈を守ろうとするだろう。
その結果、白雲に斬り捨てられてもおかしくない。
考え込む水奈へ、白雲が声をかけた。
「王妃殿下、参りましょう」
そう言った彼は、水奈の手をつかんだまま山を登っていく。白雲が連れていた三人の兵士も、水奈の左右や背後に付く。
まるで罪人の護送だ。
(やっぱり、何か企んでる……?)
水奈の警戒がさらに強まる。ばれないよう、手を打たなくては。
うなだれて歩きながら、意識を土の下へ向ける。
地の底深くで、水がうごめく気配がある。
(よし……この人たちが何か仕掛けてきたら、これを使おう)
ピリピリと神経を尖らせながら、一歩、また一歩と足を動かしていると。
「王妃殿下、護衛どもは別の山へ移ったようですな」
白雲が、嘲笑うかのように呟いた。
「……ええ。今頃、陛下を探しているのでしょう。早く陛下にお会いしたいです」
「そうですか。しかし、その望みは叶いませんよ」
冷たい声に、水奈の肌がざわつく。何か返す間もなく、白雲たちが腰の剣に手をかける。
「……っ!」
水奈は大きく息を吸い、一気に地下水を引き上げた。同時に、白雲たちが剣を抜く。
「死ね!」
白雲ら四人が、水奈を斬ろうと剣を振り上げる。その刃が落ちてくる直前、水奈はさらに地下水を引き上げた。
水奈の足元から四方へ、花弁が広がるように水が噴き出す。
「うわっ⁉︎」
「な、何だ⁉︎」
水奈の左右にいる兵士は、うろたえ、水圧にたじろいだ。対して、白雲はもう体勢を立て直し、剣を構えている。
まずい、斬られる──そう思った水奈は、逃げ道を探して後ろを振り返ったが。
(しまった!)
背後の兵士は、水圧を物ともせず、再び剣を振り上げていた。
水奈はとっさに後ずさったが、兵士の剣が追いかけてくる。
駄目だ。間に合わない。水奈が絶望する間もなく、刃が水奈の肩を斬り裂く。
「きゃあぁっ!」
熱い痛みが、左肩から胸元へと走る。鉄錆の匂いが鼻をついた、その瞬間。
(え……⁉︎)
噴き出す地下水が一本の柱となり、龍のようにうねると、白雲たちに襲いかかった。水奈の意思とは無関係に。
白雲らをはじき飛ばした水柱は、そのまま水奈をのみ込んだ。
(ま、待って!)
水奈は水中でもがきながら、心で叫んだ。しかし、水は命令に従わない。
水奈の体を運びながら、木々の間を縫い、別の山に向かって突進していく。
怖いとは思わなかった。体を包む水は温かく、すさまじい速さで進んでいるのに穏やかだ。
水奈は、何かに抱かれているような心地で目を閉じた。
閉じていく意識の中で、誰かが水奈にささやいた。
──もうすぐだ。あと少し。
どういう意味なの。あなたは誰。頭の中で問いかけた直後、水奈は意識を失った。
*
しばらくして、水奈は自分が眠っていることに気付いた。
もう周りに水はなく、ひやりと肌寒い。
ふいに、温かい手が水奈に触れた。腕をさすり、頬をなでてくる。
「水奈」
優しい声が呼んでいる。ああ、彼だ。よかった、生きていた。早く起きなくては。
水奈は、重いまぶたをこじ開けた。
国境付近は反乱軍によって荒らされたはずなのに。
水奈の中で、不信感が大きく膨らんでいく。
「白雲殿……ここは、国境付近ではありませんよね?」
もう一度尋ねると、白雲は首を横に振った。
「いえ、ここは国境の手前です」
「ですが、戦闘の形跡はどこに? 陛下を見失うほど、激しい戦いがあったのでしょう?」
水奈が後ずさると、白雲は大股で距離を詰めてきた。
「このあたりは、まだ敵に踏み入られておりません。山頂を挟んだ向こう側で、何とか食い止めておりますので」
話しながら白雲は、水奈の手を取った。
「! は、離しなさい!」
「申し訳ありませんが、従いかねます。一刻も早く兵士の士気を上げねばなりません。このあたりは足元が悪いですからな。お手を引かせていただきます」
白雲は一方的に言い放つと、水奈の手をつかんだまま山を登り始めた。
そのあとを、水奈の護衛部隊が追いかける。
「王妃殿下、我々も──」
「お前たちは陛下を探してこい」
白雲の見下すような言い方に、護衛隊長がムッとして言い返す。
「ですが、我々は王妃殿下の護衛です」
「その前に、国王陛下の臣下だろう? 陛下の行方がわからんというのに探さぬとは。主君をないがしろにするのか?」
「まさか、そんな!」
「では、国王陛下の捜索に向かえ。この山はもう調べた。王妃殿下は我々が護衛する」
白雲がフンと鼻を鳴らすと、隊長は唇を噛み、悔しそうに押し黙った。
「どうした? 最高位貴族であり、国境守の私に逆らうつもりか?」
「……いいえ。国王陛下の捜索に向かいます」
隊長がそう言うと、ほかの兵士も一礼し、護衛部隊は谷へ下りていった。
水奈は、その後ろ姿を見つめることしかできなかった。
国境守は、外国に侵略された時、臨機応変に対応しなくてはならない。そのため、特別な権限を持っている。
その上、今は緊急事態だ。白雲は、何をしても放免される可能性がある。
水奈が護衛隊長に「行くな」と言えば、彼は水奈を守ろうとするだろう。
その結果、白雲に斬り捨てられてもおかしくない。
考え込む水奈へ、白雲が声をかけた。
「王妃殿下、参りましょう」
そう言った彼は、水奈の手をつかんだまま山を登っていく。白雲が連れていた三人の兵士も、水奈の左右や背後に付く。
まるで罪人の護送だ。
(やっぱり、何か企んでる……?)
水奈の警戒がさらに強まる。ばれないよう、手を打たなくては。
うなだれて歩きながら、意識を土の下へ向ける。
地の底深くで、水がうごめく気配がある。
(よし……この人たちが何か仕掛けてきたら、これを使おう)
ピリピリと神経を尖らせながら、一歩、また一歩と足を動かしていると。
「王妃殿下、護衛どもは別の山へ移ったようですな」
白雲が、嘲笑うかのように呟いた。
「……ええ。今頃、陛下を探しているのでしょう。早く陛下にお会いしたいです」
「そうですか。しかし、その望みは叶いませんよ」
冷たい声に、水奈の肌がざわつく。何か返す間もなく、白雲たちが腰の剣に手をかける。
「……っ!」
水奈は大きく息を吸い、一気に地下水を引き上げた。同時に、白雲たちが剣を抜く。
「死ね!」
白雲ら四人が、水奈を斬ろうと剣を振り上げる。その刃が落ちてくる直前、水奈はさらに地下水を引き上げた。
水奈の足元から四方へ、花弁が広がるように水が噴き出す。
「うわっ⁉︎」
「な、何だ⁉︎」
水奈の左右にいる兵士は、うろたえ、水圧にたじろいだ。対して、白雲はもう体勢を立て直し、剣を構えている。
まずい、斬られる──そう思った水奈は、逃げ道を探して後ろを振り返ったが。
(しまった!)
背後の兵士は、水圧を物ともせず、再び剣を振り上げていた。
水奈はとっさに後ずさったが、兵士の剣が追いかけてくる。
駄目だ。間に合わない。水奈が絶望する間もなく、刃が水奈の肩を斬り裂く。
「きゃあぁっ!」
熱い痛みが、左肩から胸元へと走る。鉄錆の匂いが鼻をついた、その瞬間。
(え……⁉︎)
噴き出す地下水が一本の柱となり、龍のようにうねると、白雲たちに襲いかかった。水奈の意思とは無関係に。
白雲らをはじき飛ばした水柱は、そのまま水奈をのみ込んだ。
(ま、待って!)
水奈は水中でもがきながら、心で叫んだ。しかし、水は命令に従わない。
水奈の体を運びながら、木々の間を縫い、別の山に向かって突進していく。
怖いとは思わなかった。体を包む水は温かく、すさまじい速さで進んでいるのに穏やかだ。
水奈は、何かに抱かれているような心地で目を閉じた。
閉じていく意識の中で、誰かが水奈にささやいた。
──もうすぐだ。あと少し。
どういう意味なの。あなたは誰。頭の中で問いかけた直後、水奈は意識を失った。
*
しばらくして、水奈は自分が眠っていることに気付いた。
もう周りに水はなく、ひやりと肌寒い。
ふいに、温かい手が水奈に触れた。腕をさすり、頬をなでてくる。
「水奈」
優しい声が呼んでいる。ああ、彼だ。よかった、生きていた。早く起きなくては。
水奈は、重いまぶたをこじ開けた。
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