〈銀龍の愛し子〉は盲目王子を王座へ導く

山河 枝

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王太子選定の儀・一騎打ち

108 うなだれる蒼玉・婚儀の準備

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「『滝森を蒼玉王子の間者とせよ』という神託を、雪晴殿下がご覧になった時からです」

 まさかそんな神託が、というように、蒼玉は目を見開いた。

「馬鹿な……!」

 抑えきれなかった声が、近くの席に届いたらしい。数人の貴族が、何事かと振り返る。
 蒼玉がパッと黙り込むと、彼らは興味を削がれたようで、再び視線を雪晴の方へ向けた。
 それを待っていたかのように、滝森が話を継ぐ。
 
「厳密には違いますが、そうとしか思えない内容でした。それまでにも、雪晴殿下の性格は善王の条件に当てはまる、と感じていましたが……神託を聞くまでは、『自分の判断は間違っているのでは』とも思っていました」
  
 滝森は、押し黙る蒼玉をチラッと見て続けた。

「雪晴殿下は、何も持っておられませんでしたからね。まつりごとに携わった経験も、何らかの知識技能も、民の信頼も」

 しかし、雪晴の視た神託が、揺れる心を後押しした。その神託には、明らかに銀龍の意志が乗っていた。
 蒼玉も理解したらしい。顔は青ざめ、固く唇を引き結んでいる。

 銀龍は、蒼玉ではなく雪晴を王に、と望んでいるのだ。

「私は、その意志に従おうと決めたのです。慢心されては困りますから、雪晴殿下……いえ、陛下には伝えませんでしたが」

「……至らぬ点だらけの王ですね」

 悪あがきのように吐き捨てた蒼玉へ、滝森は微笑みかけた。

「不足は周りが補います。そのような王がいても……いえ、それこそが王としてあるべき姿なのかもしれません。『自分に落ち度はない』、『自分が正しい』。そう思っている人間に権力を持たせれば、暴走しても止められませんからね」

 そこまで言い切った滝森は、前を向き、口をつぐんだ。無言が、「あなたのことだ」と主張している。

 蒼玉も、もう何も言わなかった。
 ぎらついた目の輝きは失われていたが、同時に緊張もなくなっていた。就任式を眺める蒼玉の表情は、どことなく安らいでいた。

 *

 就任式が終わると、「次は国王の婚儀だ」と神官長が告げた。

「自分で提案したとはいえ、慌ただしいことだ」

 控えの間であぐらをかき、くつろいでいた蒼玉が、ふと呟く。護衛兵は廊下に立ち、室内には桂しか入れていない。
 
 蒼玉は、茶を淹れる桂を眺めながら、ひとりごとを続けた。

「それにしても、就任式と婚儀を同日におこなえば、着替える必要がほとんどないな。従者の負担や片付けの手間が減ることだし、そういう決まりにしろと雪晴に進言するか」

 淡々と話す蒼玉へ、桂は何も返さず、湯のみを盆に乗せ、蒼玉の前に置いた。

「ああ、悪いな」

「……いえ」

 茶をすする蒼玉を見つめながら、彼女はじっと口をつぐんでいたが、急に顔を曇らせて、「申し訳ありません」と平伏した。

「どうした、いきなり。やけに静かだと思っていたら」

 蒼玉から穏やかに声をかけられ、桂は驚いたように頭を上げた。が、すぐにまたうつむき、ぽつりと答えた。

「御前試合の、吹き矢の件です」

「ああ……あれか。そういえば、なぜあんなことをした?」

「雪晴王子の鍛錬を見て、勝てないと思ったのです。あの身のこなしは、まるで……前王様のようでしたから」

 そこで桂は、怯えるように蒼玉の顔をうかがった。

「お前がそこまで言うとはな」

 蒼玉が意外そうに眉を上げる。しかし、それだけだった。

 桂は息をのんだ。「雪晴は前王のようだ」と言えば、前王の影を追う蒼玉の逆鱗に触れるのでは──そう思っていたからだ。
 が、桂はまたすぐにため息をつき、目を伏せた。

「こんな結果になるなら、中途半端なことをせず、心臓を狙えばよかった」
 
 ひとりごとのような呟きに、蒼玉は「いや」と、かぶりを振る。

「雪晴を殺さずにいてくれてよかった。お前に銀龍の罰がくだれば、俺は貴重な忠臣を一人失っていたところだ」

「蒼玉殿下……」

 桂の声には、安堵と戸惑いがにじんでいる。
 蒼玉は内心、「俺が侍女を気遣うことは意外なのか」と自嘲したが、それを表には出さず、桂へ尋ねた。

「ただ……一つ聞きたい。なぜ、俺に相談しなかった?」

「それは……」

 桂は目を泳がせたが、少しして視線を蒼玉に向け、覚悟を決めたように言った。

「耳を貸していただけないと思ったからです」

「俺が、お前の言葉に?」

「はい……王子を害したとばれたら、私は重罪に問われます。それでも雪晴王子を狙うと話せば、『なぜ危険を承知で』と殿下はおっしゃったでしょう」

「まあ、そうだな……たしかに」

「そうしたら、理由を言わねばなりません。ですが、試合前の殿下に、『雪晴王子が前王様のようだから』と答えたとして、聞いていただけましたか?」

 蒼玉は何か言おうとしたが、すぐに口をつぐんで考え込んだ。そして、諦めたように答えた。

「腹を立てて、無視したと思う」

「……そうでしょう」

 桂は、何とも言えない表情でそう返し、黙り込んだ。蒼玉も畳へ目を落としたまま、動こうとしない。

 重い沈黙が二人を包む。しばらくして、蒼玉が口を開いた。

「俺は今まで、他人の意見をろくに聞いたことがなかった……お前に信用されなくて当たり前だ」

 桂は、はじけるように視線を上げた。常に冷淡さが張り付いているその顔は、ただ驚きにあふれている。
 胸に手を当て、浅い呼吸を静かにくり返す桂へ、雪晴はゆっくりと言った。

「桂。これからは、俺が間違っていたら教えてくれ」

 桂はぴたりと呼吸を止め、それから長く息を吐き出した。

「……はい」

 うなずいた桂を見て、蒼玉は困ったような笑みを浮かべた。

「桂の笑った顔は久しぶりだな」

「そうですか?」

「ところで、俺たちの婚儀はいつにする?」

「えっ」

 再び、室内に沈黙が降りる。それはさっきよりも軽やかで、温かい沈黙だった。

 *

 国王就任式のすぐあとに婚儀が来るなら、参列者はのんびりと待機していれば済む。
 しかし、当事者はそうもいかない。

 新婦の控えの間で、数人の女神官に囲まれた水奈は、苦しげに喘いでいた。

「タカ様、私……もう、無理です……!」

「音を上げるのは早いですよ! まだ、あれとこれとそれと……とにかく身につけるものが、大量にあるんですから!」

 タカが声を張り上げる間にも、神官たちは目が回るような速さで、水奈の上に白い着物を重ね、また重ねてはさらに重ね……最後に金でできた髪飾りを、前髪の生え際あたりに乗せた。
 水奈の全身へ、衣類のものとは思えない重量がのしかかる。

 おまけに、長い。水色の袴も、重ねに重ねた着物も、魚の尾びれのようにずるずると水奈のあとをついてくる。
 この着物がぴったり合う人物は、立ち上がるたびに天井へ頭をぶつけてしまうだろう、と水奈は思った。

 歩く時は、裾を持ってもらっても、水の中を進むより体力を消耗する。

(私……婚儀が終わったら死んじゃうかも……)

 衣装のあまりの重さに、水奈は膝と心が折れそうだった。
 しかし、神殿の大広間に着き、先に席へついていた雪晴を見つけると、疲れや弱気はどこかへ吹き飛んでしまった。
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