〈銀龍の愛し子〉は盲目王子を王座へ導く

山河 枝

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王太子選定の儀・一騎打ち

104 雪晴のもとへ

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 水奈は、反射的に立ち上がった。息を詰め、石のように体を強張らせて、じっと周囲をうかがう。

 怒鳴り声と剣戟の音が、外から聞こえてくる。
 足音を忍ばせて小窓を覗くと、覆面の男たちが見張りの兵士と戦っているのが見えた。

(あれが賊……? この場所が襲われてるの⁉︎)

 息をのんだ直後、廊下から声がした。

「水奈殿、失礼します!」

 水奈が振り返ると、体格のいい糸目の兵士が、部屋へ飛び込んできたところだった。

「外へ出ましょう、ついて来てください!」

「で、ですが、蒼玉殿下はここにいろと……」

 うろたえる水奈に、兵士は顔を寄せ、小声で告げた。

「私は滝森様の兵、栗竹くりたけといいます」

「栗竹様……? あっ、もしかして樹様のふみにあった?」

「はい。その樹殿が、外にいる賊です。見張りを襲い、時間を稼いでくださっています。今のうちにここを出て、白銀城へ向かいましょう」

「白銀城へ?」

「雪晴殿下が、『水奈を御前試合に呼べ』という神託をご覧になりました。試合は城でおこなわれています。ですから、早く!」

「ま、待ってください。私は行けません!」

 水奈は、腕をつかむ栗竹の手を振りほどいた。

「私は監視されています。ここから逃げれば、蒼玉殿下に伝わって、洗濯女のみんなが殺されてしまうんです!」

「それは起こり得ません。蒼玉殿下は、じきに御前試合へ出場なさいますから」

「えっ……」

 水奈は言葉を失い、ただ目を見開いた。

「そんな……そんなはずありません! 試合が始まるのは夕方、十六の刻でしょう?」

 言い返すと、今度は栗竹が細い目を丸くする。

「いいえ。御前試合の開始は朝、九の刻からです。もう始まっているかもしれません。臣下と話すどころか、対面することさえできないでしょう」

「う、嘘……」

 水奈は困惑し、少しして絶句した。騙されていたことに、ようやく気が付いた。

(樹様たちが来なかったら、私は雪晴殿下のために祈り続けていた……まさか、桂様はそれを見越して私に嘘を……?)

 水奈に嘘を教えろ、と指示したのは蒼玉だろう。〈銀龍の愛し子〉が祈れば、神託を視る際に痛みを伴う──その話を前王から聞いていたに違いない。

 水奈が祈り続けていたら、今頃雪晴は、痛みに耐えながら蒼玉と戦っていたのか。
 水奈は身震いしたが、気を取り直して栗竹に尋ねた。

「本当に、私が逃げても蒼玉殿下には伝わらないのですね?」

「はい。ですから、早く城へ!」

 栗竹にうながされて、水奈は彼のあとに続いた。
 しかし、廊下に出た栗竹は、ぴたりと足を止めた。

「しまった……」

「栗竹様? どうなさいましたか?」

「水奈殿、中へ戻ってください!」

「え? え?」

 水奈は訳がわからないまま、再び部屋に押し戻された。

「どうしたのです? まだ出るには早かったのですか?」

「いえ、逆です」

 栗竹は後ろ手に襖を閉め、舌打ちした。

「見張りが廊下をふさいでいます。屋敷内の守りを固めようとしたんでしょう」

「! では、廊下を通って出ることは……」

「できません。一体、どうしたら……」

 歯噛みをした栗竹は、襖を少し開けて廊下を覗き、逃げる隙を探し始めた。

 対して、水奈はその反対──奥の壁を見ていた。雪晴の言葉を思い出しながら。

『万が一捕まったら、今度こそ天井を破って逃げるんだ』

 あの時、水奈は「わかった」とは言わなかった。そんなことをする日が本当に来ると思わなかったからだ。

(雪晴殿下は、『壁や天井を壊すには地下水を使えばいい』とおっしゃっていたわね)

 水奈は目を閉じ、足元へ意識を向けた。
 岩壁越しの雪崩が、どこから来るかわかったのだ。地下水の位置もわかるかもしれない。

 集中していると、地面の下で大量の何かがうごめくのを感じた。

(……来て)

 水奈が呼ぶと、広い範囲に存在するそれが、ザアッと地上へ上ってくる。床板の隙間を通り、畳の目を抜けてくる──。

「な、なんだ、これは⁉︎」

 栗竹の悲鳴で、水奈は反射的に目を開けた。細い水柱が、畳のあちこちから生えている。さながら水の森だ。

「栗竹様、心配はいりません。今からこの水を使って、壁を壊します」

「え? 水? 壁?」

 うろたえる栗竹をよそに、水奈は水を操った。

 外に面した壁を、水で覆う。向こう側へ押してやると、水がわずかに壁へ染み込んだ。

 壁に入り込んだ水を凍らせると、少し隙間が開く。開いた隙間へさらに水を注ぎ、また凍らせる。

 くり返すうちに、メリメリ、と壁から音が鳴り始める。
 
「壁に、ひびが……!」

 栗竹の叫びに続くように、小さなひびが蜘蛛の巣のように枝分かれしていく。

「危ない!」

「きゃっ!」

 水奈は腕を引っ張られて、後ろへ倒れ込んだ。その直後、ドオッと轟音を上げて壁が崩れた。

「げほっ、げほっ……や、やった!」

 もうもうと土埃が舞う中、水奈は咳き込みながら起き上がった。
 その隣では、栗竹が尻餅をついて呆然としている。

「一体、何が……何が起きたんだ?」

「あとで話します! 今は急ぐのでしょう?」

 水奈が栗竹の背中を叩くと、彼はハッとして立ち上がった。

「そ、そうですね。早く城へ向かわないと」

 水奈と栗竹は、瓦礫を踏み越えて外へ出た。

 太陽の光が、水奈を包む。久しぶりの陽光は心地よかったが、堪能している暇はない。
 水奈と栗竹は、土埃に紛れて茂みの中へ飛び込んだ。
 
 道なき道を下っていくと、麓に馬が停められていた。
 栗竹は水奈を馬の背に乗せ、自分も
その後ろにまたがると、即座に馬の腹を蹴った。

(速く、速く……!)

 馬のたてがみにしがみつきながら、水奈は祈った。

 御前試合に水奈を呼べ──そのような神託があったのなら、試合中、水奈にはすべきことがあるはずだ。
 何をすればいいかはわからない。しかし、行けばわかるはず。神託はいつもそうだった。
 銀龍を信じて進むしかない。雪晴を助けるために。

 *

 その頃、雪晴は思わぬ事態に愕然としていた。
 蒼玉の攻撃を受け止めた剣を、絶句して見つめていた。

(刃が……折れた⁉︎) 
 
 つばから拳一つ分の刃を残して、雪晴の剣は無惨に折られてしまった。

(まともな剣が、試合直後に折れるはずがない! ということは……)

 雪晴は、蒼玉を睨みつけた。が、返ってくるのは嘲りの笑みだけだ。

 彼はおそらく、雪晴の剣に何らかの細工をしたのだろう。
 剣を抜いた時の違和感は、気のせいではなかったのだ。

 蒼玉から視線を外し、剣を渡してきた若者を何気なく見る。すると、相手は「ひえっ」と叫んで逃げてしまった。

(あの者も一枚噛んでいたのか)

 雪晴が内心でため息をつく。その間に、観衆が審判へ尋ねる。

「おい、剣が折れたぞ」

「あれは負けじゃないのか?」

「剣の柄を握っていれば問題ありません。試合を続けてください!」

 審判がそう告げると、観衆の目が再び柵の内側を向く。
 今から、一方的ないたぶりが始まるのか──不安と好奇の視線が、混じり合って雪晴に刺さる。

「降参するか?」

 にやつきながら言った蒼玉は、しかし雪晴の顔を見て、怪訝そうに眉をひそめた。

「何だ? なぜ笑っている?」

「いえ、好都合だと思いまして。剣を軽くしてくださって、ありがとうございます」

「……俺は何もしていないぞ」

「何をおっしゃいます。先程、私の剣に斬りかかってくださったではありませんか。兄上が怪力でよかったです」

 雪晴が微笑むと、蒼玉の歯がギリギリと軋んだ。

「負け惜しみを!」

 蒼玉が剣を構え、雪晴に向かって振りかぶる。
 その軌跡が視えている雪晴は、難なく斬撃をかわした。
 
 ひらり、ひらりと花弁のように動く雪晴に、観衆だけでなく審判までもが目を丸くする。

「何だ、あれは……雪晴殿下は、妖術でも使っておられるのか?」
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