〈銀龍の愛し子〉は盲目王子を王座へ導く

山河 枝

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王太子選定の儀・一騎打ち

100 思わぬ来訪者

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「雪晴のやつ……まさか、神託を視たのか? 鍛錬に打ち込めという内容を」

「……可能性はありますね。でなければ、雪晴王子の行動はあまりにも不自然です」

 桂の返答に、蒼玉は拳を握りしめ、歯ぎしりをした。

「なぜ、あいつばかりが……大した努力もしていない癖に。俺は、神託が視えなくなったというのに……!」

 蒼玉の小声に、隠し切れない怒りがにじむ。しばらく悪態をついた彼は、気が済んだのか、握り拳をほどいて桂に言った。

「明日、滝森殿に会う予定はなしだ。稽古場に行く」

「! よろしいのですか?」
 
「仕方ない……雪晴が神託を視たのなら、間違いなく〈銀龍の愛し子〉についてだ。うかうかしていたら取り返される。俺も雪晴と同じことをすれば、神託の意味がわかるかもしれん」

「殿下……お言葉ですが。剣の鍛錬が、〈愛し子〉の奪還に繋がるとは思えません」

「俺もそう思う。無駄に終わる可能性はある。が、神託の中には『なぜそんなことをさせる』と訝りたくなるものもあるからな。無視は危険だ」

「……では、滝森殿には謝罪のふみをお送りします。殿下はもうお休みください」

「ああ、頼む」

 蒼玉に言われた桂は、頭を下げ、部屋を出た。
 前を見すえ、暗い廊下を進みつつ、考え込む。

 蒼玉は、前王が神託に救われたこともあり、〈銀龍の瞳〉を重視している。
 力のない湖宇や現国王を馬鹿にしていた。

(でも、近頃の蒼玉殿下は、神託を重んじるというより……神託に振り回されていらっしゃるように見えるわ)

 側室の子とはいえ第一王子。湖宇と違って〈銀龍の瞳〉も強い。
 次期国王として、生まれた時から期待されてきた。

 なのに突然、王の資質が失われたのだ。進むべき道が急に消えたのである。
 恐怖を感じて当然だ──が。

(神託を視るために、〈銀龍の愛し子〉を手に入れようとなさるのはわかる。でも、やり方が強引だわ)
 
『洗濯女が雪晴を殺そうとしている』

『雪崩が起きる』

 そうした神託を視たと、彼は貴族や神官たちに嘘をついた。

 ばれてしまったら、蒼玉を慕う兵士の信頼までも失う。そこまでして王になりたいのか。
 このままでは蒼玉も、湖宇と同じく、王になるために王を目指す人間になってしまう。

(……進言しても、今の殿下はお聞き入れなさらないでしょうね。かといって、私はあの方を見捨てることもできない。十四の時からお仕えして十三年……私の居場所は、もうどこにもない)

 桂は、胸の奥から湧き出すあらゆる感情に蓋をして、無心に足を動かした。

 *

 ──翌朝。
 沼地の端で、雪晴は前日と同じく、樹と剣の鍛錬に励んでいた。

「いやはや、殿下には恐れ入りますよ」

 樹はやや息を切らせて、剣を下ろした。彼が見つめるのは、剣を投げ出し、草むらに倒れ込む雪晴の姿。
 じきに晩春、という時期にしては肌寒い日だが、雪晴は大汗をかき、苦しげに呼吸をくり返している。

「樹……馬鹿に、しているのか……?」

「まさか。正直な気持ちです。大げさでなく、剣を一振りするごとに強くなっておられる」

「……じゃあ、蒼玉兄上の強さを百としたら、私はいくつだ?」

「難しい質問をなさいますな。総合的な力でしたら……五十くらいかと」

「五十? 嘘だろ……御前試合まで、あと二十日もないのに」

 雪晴はふてくされたように横を向き、草の中へ頬を埋めた。
 そんな雪晴へ、樹は苦笑を向ける。

「総合的な力の話ですよ。攻撃はまだまだですが、回避は完璧です。木刀の時は散々でしたのに、不思議なものですね」

 樹は話しながら、雪晴の腕をぐい、と引く。立ち上がった雪晴は、袴の泥を払いながら言った。

「攻撃の来る位置が視えるからな。相手がお前でも、真剣は恐怖を感じるんだ。〈銀龍の瞳〉が反応するんだろう」

 雪晴は、それがどうしたと言いたげに樹を見た。すかさず、樹が雪晴のひたいをビシッと指ではじく。

「痛っ! ……何するんだよ⁉︎」

「失礼、ちょっと腹が立ちまして。胃の底から手が出そうなほど欲してやまない力を、あって当然とばかりにおっしゃるものですから」

 樹は、わざとらしいほどの笑顔で言った。

「その力を使いこなせれば、強さは百……いえ、百五十にはなるでしょうね。努力するしかない凡人からすれば、羨ましい限りです」

「……悪かったよ」

 口を尖らせる彼に、樹は「とはいえ」と苦笑した。

「まあ、腐りたくなるお気持ちはわかります。私だって、妻が攫われた時に『探しに行ってはならない、剣の鍛錬をせよ』と命じられても、絶対に聞けないでしょうから」

「そうだよな……銀龍様って、なんて勝手なんだろう。こっちの気持ちなんか、まったく考えてくれないんだから。しかも『木刀禁止』って……意味がわからないよ」

「それでも神託に従うのですね」

「前王様の話を聞いてしまったからね」

 前王の一騎逆転の話は、一般的には武勇伝として語られるが、時に王族への戒めとして伝えられる。
 前王が敵に囲まれたのは、「早く臣下を助けねば」と焦り、神託が示す遠回りの道を進まなかったからだ、と。

「なのに生還できたのは、〈銀龍の瞳〉のおかげだけじゃない。前王様ご自身に、武力と兵力があったからだ。私にはどちらも──いや、すべてが足りない。一歩間違えれば破滅する。どんなに納得できなくても、こらえるしかないよ」

「まるで綱渡りですね」

「ああ……」

「そんな状況だというのに、『水奈を取り戻し、勝負に勝って王になりたい』と贅沢な願いを抱いたから、銀龍様が戒めのために、我慢を強いているのではありませんか?」

 肩をすくめる樹を、雪晴がじとりと睨む。

「そんなはずはないだろう。神託は王族を守るものだ……たぶん」

「それはそうですが、道はいつも一つとは限らないでしょう? 銀龍様は、あえて殿下が苦しむ道をお授けになったのでは、と思いまして」

「まあ……そう思いたくなるほどには、ひどいよな」

 雪晴の視線が南方へと動く。事あるごとに、彼はこうして水奈を心配する。
 樹は、同情と微笑ましさの混じった笑みを雪晴に向けた。

「そろそろ休憩は終わりです。剣を構えてください」

「……わかった、また頼む」

 雪晴は、疲れたように息を吐き出した。が、すぐに全身へ緊張をめぐらせる。手早くたすき掛けをやり直し、投げ出した剣を拾い上げる。

 樹と向かい合った雪晴は、片足を引き、腰を落として剣を構え、息を詰めた。

「では……始め!」

 樹が叫ぶ。一拍置いて、雪晴へ斬りかかってくる。
 本来なら合図を出すのは審判だが、今はそれが叶わないので、樹は「聞いてから反応する」しぐさを再現するため、あえて遅れて動いている。

 それでも王族の護衛を任されるほどの兵士だ。瞬きする間もなく、雪晴と樹の距離が詰まる。

 樹が、垂直に剣を振り下ろす。しかしその時にはもう、雪晴は地を蹴り、横へ跳んでいた。

 樹の剣が空を切る。その剣がスッと上がり、今度は横一文字に振られる。
 が、やはり雪晴は一瞬早くしゃがんでおり、剣を振ろうと構えていた。

 雪晴は斜めに斬り上げたが、樹はそれを刀身で受け止め、パッと後ろへ跳び、距離を取った。

 互いに、ジリジリと横へ動く。二人の軌跡が円を描く。
 樹の体から、闘気が立ち上る。木刀での、ぬるま湯のような試合とはまるで違う。

 雪晴が歯を食いしばり、樹の出方を待っていると、フッと樹の視線が別の方を向いた。

「精が出ますな」

 真面目そうな男の声に、雪晴は飛び上がりそうになった。
 声がした方を見ると、王太子を決める判定人の一人──滝森が、ゆったりした足取りで雪晴たちのもとへ歩いてくる。

「これは……どうも、滝森様」

「わざわざこんな場所へ……」

 樹と雪晴は、剣を収めながらぎこちなく応じた。戦闘態勢を解く前に、無理に礼儀正しくしようとしたからだ。

「滝森殿、雪晴殿下にご用が?」
  
 先に落ち着いた樹が、首をかしげる。

「うむ。御前試合のみで投票先を決めるのは厳しくてな」

 その言葉で、雪晴と樹はハッと背筋を伸ばした。

「では、私の鍛錬も判断材料、というわけですね。気を引きしめなくてはいけませんね」

「いいえ、殿下」

 滝森が、微笑みを崩さず答える。

「先程、拝見いたしました」

「! そうですか……拙いものを披露しまして、恥ずかしい限りです」

 雪晴は、顔が引きつらないように気を付けつつ、笑い返した。
 すると、滝森はまた「いいえ」と言った。今度は、なぜか楽しげに。

「素晴らしいものを見せていただきました。前王様もこのように戦われたのか、と思いましたよ。以前、『運良く神託を視た』『力があるとは言いがたい』と申したことを、謝らねばなりませんな」

 雪晴と樹は、二人揃ってぽかんとした。
 それを見た滝森は、笑いを押し殺し、また口を開く。

「ところで、侍女殿は見つかりましたか?」

「いえ……それが、まだ……」

 雪晴は、自分でも表情が曇るのがわかった。

「ほう。殿下が鍛錬なさっているので、もう見つかったのかと思いましたが」

「……そうせよと、神託を授かりましたので。捜索はほかの者に任せています」

「そうでしたか……失礼いたしました。まあ、どちらにせよ水奈殿は、助けが来ても易々と逃げらないでしょうがね」

「それは……どういう意味です?」
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