〈銀龍の愛し子〉は盲目王子を王座へ導く

山河 枝

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王太子選定の儀・一騎打ち

107 一足飛び

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 宰相の言葉を聞いた水奈は、冷たい沈黙の中に、熱い驚きがにじんでいくのを感じた。
 そばに立つ兵たちが顔を見合わせ、ささやきを交わす。

「ということはつまり……」

「雪晴殿下が王太子に?」

 そのやり取りが合図だったかのように、一部の貴族や兵士が、ワアッと歓声を上げる。判定人の席では、天道と神官長の空仙、それから王妃が拍手を始めた。

 それに続いて、呆然としていたほかの貴族らも、我に返ったかのように手を叩き出す。
 立ち尽くす者も少なくはないが。おそらく蒼玉派の人々だろう。
  
 騒ぎの中、水奈は全身の力が抜けそうになったが、その前にタカがへたり込んだ。

「タカ様!」

 焦った水奈は、すぐタカを支えて立たせた。こんなに大勢の中で座れば、踏みつけられてしまう。
 タカは水奈の腕にすがりながら、呟いた。

「水奈……雪晴殿下が、勝ったのですね?滝森殿が、雪晴殿下を支持してくれた、ということですよね……?」

「は、はい。そう……だと思います」

 まだ実感の湧かない水奈は、自信を持って答えられなかった。
 しかし、言葉のあとから実感が追いかけてくる。人々の興奮と自身の内側からあふれる熱で、水奈の体が火照っていく。
 
「せ、静粛に……静かに! 静かにせよ!」

 宰相が、動揺しながらも呼びかける。

「王太子は雪晴殿下に決定した! よって、ただちに国王就任式をおこなう!」

「えっ……⁉︎」

「宰相殿、王太子就任式ではないのですか⁉︎」

 喜びと驚きのざわめきが、一気に困惑のどよめきに変わる。水奈も、聞き間違えたのかと息をのんだ。

 しかし、宰相は「国王就任式だ」と、念を押すようにくり返した。

「現国王陛下は、執政できる状態にない。急ぎ、新たな王を立てるべきであるから、王太子就任式を略し、雪晴殿下の国王就任式をおこなうのだ。この決定も、蒼玉のご意見を踏まえた!」

「お、お待ちください!」

 動揺しながら、貴族の一人が手を挙げる。

「王妃殿下はお認めなのですか? 王位継承にかかわる事柄は、国王陛下がご病気などの場合、王妃殿下がお決めになるはずですが……」

「あら、もちろん許可済みよ」

 王妃が微笑み、ヒラヒラと手を振る。

「雪晴王子には、すぐ王様になってもらいたいわ。陛下を早く休ませて差し上げたいもの」

「さ、左様でございますか……」

 声を上げた貴族は、すごすごと引き下がった。反対の声はもう上がらない。戸惑いの呟きをこぼす者は、あちこちにいるが。タカもその一人だ。

「まったく……王太子就任式を省略するだなんて、先に言っておいてほしいわ。儀式をおこなうのは神殿なのに」

「タカ様もご存知なかったのですか?」

「ええ。神官長や天道ですら知らなかったみたいですから。ほら、恨めしそうに宰相たちを見てますよ」

 水奈は、空仙たちに視線を移した。タカの言葉通り、二人は「先に教えておいてくれ」と言いたげに顔をしかめて、宰相や王妃、蒼玉を見ている。

「まあ、悪いことばかりではありませんけれど。雪晴殿下の地位が確固たるものとなりますし。それに、洗濯女の無事も確定しましたからね」

「確定?」

 水奈が聞き返すと、「だって」とタカは微笑んだ。

「国王就任式が終わるまで、蒼玉殿下は動けません。侍女は付き添いますから、水奈が逃げたことは伝わるでしょうが……国王就任式で退席するなんて、絶対に許されませんからね。兵士に指示を出せるのは、すべてが終わったあとです」

 その時にはもう、雪晴は国王だ。蒼玉が兵士を動かそうとした瞬間、「待った」をかけることができる。

「そうなのですか……だから、滝森様は『大丈夫だ』とおっしゃったのですね」

「ええ。王太子就任式が省略されると知っていたんでしょうね……って、あら? ちょっと待って」

 タカは急に腕組みをして、難しい顔で何やら考え込み始めた。

「洗濯女が無事でいられるには、雪晴殿下が王にならないといけない……雪晴殿下が王になるためには、滝森殿の票が必要で……ああっ!」

 タカの叫びに、水奈は飛び上がった。そばにいた兵士の肩もビクッと跳ねる。

「タ、タカ様? どうなさったのですか?」

 水奈が尋ねると、タカの顔が真っ赤になっていく。眉は吊り上がり、目は血走り、歯は剥き出しだ。
 明らかに激怒している。

「あの、嘘つき男……!」

「え? え?」

「蒼玉殿下だけじゃなくて、私たちまで騙してたのね! ヒヤヒヤする必要なかったじゃないの、今度会ったら張り倒してやる!」

「あ、あの、落ち着いてください!」

 怒り狂うタカと、オロオロする水奈をよそに、国王就任式の準備は慌ただしく進められていくのだった──。

 *

 神殿の大広間で就任式が始まったのは、夕方のことだった。

 雪晴は純白の袍をまとい、天道に支えられながら儀式に参列した。
 雪晴が立ち上がり、歩を進めるたび、袍に刺繍された銀の龍が、生きているかのように舞う。

 空仙は、その雪晴に祝いの言葉をかけ、天井の銀龍像へ加護を乞う。
 追い立てられるように準備をしていたせいか、式を始める前、空仙の顔には疲れがにじんでいた。しかし儀式が始まると、姿勢にも声にも、凛と張りがよみがえった。

 神聖なその儀式を、蒼玉は眉を寄せて睨みつけていた。

 すでに、桂から状況は聞いていた。
 山奥の屋敷を賊が襲撃した。その賊へ加担したのは、なんと滝森の兵。現場は見事に混乱したそうだ。
 混乱の最中、突然屋敷の壁が崩れた。兵士が見に行った時には、水奈の姿はなかったという。

『私が御前試合の場にいなければ……』

 桂は悔いるように唇を噛み、

『洗濯女たちを消しますか』

 と、続けた。

 問われた時、蒼玉は力なくかぶりを振った。王座も逃した今、兵を動かしても雪晴に止められる。
 それに、もはや意味がない。洗濯女を殺しても、〈銀龍の愛し子〉は帰ってこない。まだ使える労力を消すなど、老いてもいない馬を川へ捨てるようなものだ。

 それもこれも、滝森へ勝手に期待して、慢心した自分が悪いのだろう。「一度は票を入れてもらえたのだから、二度目もそうなるはずだ」と。
 
 蒼玉は、自分へのいら立ちを持て余して、隣に座る滝森へ八つ当たりをした。

「滝森殿、あなたは味方だと思っていましたよ。兵士を貸してくださった上、俺が『次の投票もなにとぞお願いします』と言った時、『もちろん、王にふさわしき方へ票を投じます』と答えてくださったものですから」

「兵士の件は、申し訳ありませんでした」

 滝森は、銀龍像を仰ぎ手を合わせる雪晴を見つめながら、悪びれもなく言った。

「ですが、あなた様も雪晴殿下の侍女をかどわかしましたし、剣にも細工をなさった。どちらの側もずるかった、ということで怒りを静めてくださいませんか」

「……『票を投じる』と嘘をついたことは?」

「嘘? 私は、嘘はついておりませんよ。『王にふさわしき方へ票を投じます』と申して、その通りにしただけです」

「つまり、雪晴が王にふさわしいと? 二十年間、何もせずに沼地へこもっていただけのやつが?」

 蒼玉がフンと鼻を鳴らす。滝森は雪晴を見つめたまま、「そうです」と即答した。
 蒼玉は眉をひそめ、低い声で滝森に尋ねた。

「雪晴のどこが、王にふさわしいと言うんです? 策も練らずに御前試合へ臨んだことですか?」

「その点は何とも。不正を厭うのはよいことですが、王としてはそればかりでも困ります」

「では、偶然の地震を味方につけて御前試合に勝ったところですか?」

「……蒼玉殿下。何か勘違いしておられるようですね」

 滝森は、口の端に苦笑を浮かべた。

「私は、試合前から雪晴殿下に投票するつもりでしたよ」

「何ですって?」

 蒼玉が目を剥き、滝森を睨みつける。

「では……いつから、あいつが王にふさわしいと考えていたんですか?」
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