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王太子選定の儀・迷宮の試練

89 雪崩

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「ど、どういうことだよぉ」

 湖宇は台座に抱きつきながら、涙目で蒼玉を見つめる。
 蒼玉はガシガシと頭をかき、吐き捨てるように言った。

「澄水珠を箱から出すと、ほかの王子や判定人に『宝を手にした』と知らせるため、迷宮全体が揺れるんだ」

「迷宮全体が?」

 雪晴が目を丸くすると、蒼玉は真剣な顔でうなずいた。

「そうだ、数秒ほどだがな。だが、山頂にまで振動は届くはずだ」

「で、でも数秒だなんて、そんなちょっぴりの揺れで、なんで雪崩が?」

 再び湖宇が尋ねると、蒼玉は視線で射殺すかのように湖宇を見た。

「『なんで』だと……本気で言っているのか?  昨晩からの寒の戻りで、溶けかけた雪が凍ったはずだ。今は、その上に大雪が積もった状態。わずかでも振動を与えれば終わりだぞ!」

 山頂から国王たちのいる場所までは、急斜面となっており、雪崩は下り切るまで止まらないだろう。
 麓で待つ神官長、兵士、駕籠かごの担ぎ手たちへ、大量の雪が襲いかかる。

「腰抜け王はどうでもいいが、優秀な人材が大勢消えるんだ! わかっているのか⁉︎」

 まくし立てる蒼玉に、水奈は祈るような気持ちで尋ねた。

「それは……神官長様たちが、予見なさっているのでは? みなさん、もう避難されているのではありませんか?」

「能天気な妄想だな」

 蒼玉は横目で水奈を見ると、フンと鼻を鳴らした。

「過去百年、この時期に雪崩が起きたことはない。そんなものに襲われるなど、全員、想像もしていないだろう。俺ですら見落としていたんだ。あの腰抜け王にいたっては、愚弟の安否しか頭にないだろうな」

 そう言って口をつぐんだ蒼玉を、湖宇はただ震えながら眺めている。

「……湖宇兄上。一旦、帰りましょう。蒼玉兄上も」

 口を開いたのは雪晴だった。

「陛下に、選定の儀を延期してもらうのです。人の命がかかっています。許してくださるでしょう」

「お前の提案というのが気に食わんが……そうすべきか」

 蒼玉はため息をつき、湖宇を見た。

「そこから離れろ、愚弟。日を改める」

「ま、待て! 来るな!」

 一歩踏み出した蒼玉に、湖宇が裏返った声で叫ぶ。

「騙されないぞ、僕は……本当に揺れるかどうか、わからないじゃないか! 父上はそんなこと言ってなかった!」

「いや、たしかな情報だ。お祖父様に聞いたからな」

 蒼玉は、どことなく誇らしげに言った。が、湖宇はますます頑なに台座にしがみつく。

「お祖父様って、前王かよ! あいつの言うことなんて信じられるか! 父上と母上を馬鹿にしたやつだぞ⁉︎」

「馬鹿にしたのではなく、苦言を呈しておられたんだ」

「違う! 父上は傷付いておられた!」

「……話にならんな」

 蒼玉は舌打ちをして、ついに剣を抜いた。同時に、兵士全員が剣を構える。
 蒼玉が、湖宇の護衛兵たちを睨みつける。

「その馬鹿が箱を開けるのを止めないと、お前たちも無事では済まないぞ」

「……お気遣い、痛み入ります」

 蒼玉の視線を受け、樹が答える。

「ですが、『何があろうと湖宇に宝を持ち帰らせよ』と陛下に命じられておりますので……それに、家族が白銀城にされております」

 つまり、樹は家族を人質に取られているのだ。おそらく、ほかの護衛兵も。

「なるほど……」

 蒼玉は眉を寄せ、剣を鞘に収めた。それから足元に唾を吐き、きびすを返す。
 蒼玉の兵たちも剣を収め、主に続く。

「兄上、どこへ?」

 雪晴が慌てて声をかけると、蒼玉は足を止めずに答えた。

「麓には、俺が育てた兵が何人もいる。避難するように呼びかけてくる。自殺行為にも付き合ってられんしな」

「自殺行為……?」

「雪崩が起きれば、灯り取りの穴から大量の雪が落ちてくるぞ」

 蒼玉は天井を指した。やや傾いた天井には、人の頭が通るほどの穴が、十個ほど開いている。

「まあ──お前がいれば何とかなるかもしれんが」

 蒼玉が振り返り、水奈を見すえる。〈銀龍の愛し子〉の力を使えば、この場所が埋まることは避けられる、と言いたいのだろう。

「確実に助かりたいなら、俺と山を下りるか? 愚弟が箱を開けるまで、もうしばらくかかりそうだぞ」

「……いえ」

 水奈は首を横に振った。

「私は残ります」

 すると、雪晴がためらいながらも尋ねてくる。

「いいのか?」

「はい。私がいれば、樹様を──この場のみなさんを助けられるかもしれません」

「……ありがとう」

「いいえ、私もみなさんが心配ですから」

 言いながら水奈は、気まずそうに剣を構える樹を見た。

 樹は、湖宇のそばを離れられない。雪晴と水奈が山を下りてしまったら、彼は湖宇もろとも生き埋めになる。
 そうしたら、雪晴がどれほど悲しむか。

 それに、ほかの護衛兵にも待っている者がいる。
 誰も死なせるものか──水奈は拳を握りしめ、蒼玉へ視線を移した。

「蒼玉殿下は、陛下や神官長様たちを避難させてください」

「お前に言われずともそうする」

 蒼玉は不機嫌そうに答えると、今度こそ部屋を出ていった。

「よ、よし、兄上は帰ったな。おい、兵ども! そこの能なしと魚女が僕の邪魔をしないよう、見張っておけよ!」

 湖宇は急に元気を取り戻し、台座のあちこちをまた触り始めた。

 水奈と雪晴は、湖宇を止めようとしたが、樹たちが剣を手に詰め寄ってくる。
 全員、すまなさそうに眉尻を下げてはいるが、剣を下ろしてはくれないだろう。
 
(蒼玉殿下がみなさんを避難させるまで、鍵が解けないといいけど……)

 沈黙の中に、いら立ちと焦燥が渦巻く。時折、湖宇が「クソッ!」「違う!」と甲高い声で喚くので余計だ。

 樹まで剣呑な顔つきになり、誰かが思い余って湖宇を斬ってしまうのでは──と、水奈が肝を冷やした時。
 雪晴が湖宇に話しかけた。

「兄上。鍵が解けないのでしたら、代わりましょうか?」

「はあ? お前に解けるもんか、能なし!」

「そこの石は、押すのではなく引くと思うのですが……」

「うるさい!」

「ああ、鳥の飾りは右に動かせ、と神託が視えましたよ」

「うるさいな、今やろうと思ってたところだよ!」

「次も違いますよ。落ち着いてください。ほら、仕掛けが元に戻ったじゃありませんか」

「お、お前がうるさいから間違えたんだ! 兵ども、その能なしを黙らせろ!」

「かしこまりました……雪晴殿下、少々お静かに」

 そう言った樹の声は、かすかに震えている。彼は「おかしくてたまらない」というように、口角を上げている。

 ほかの護衛兵も、湖宇に背を向けているのをいいことに、ニヤニヤしたり「ありがとうございます」と口を動かしたり、やりたい放題だ。
 水奈もつられて笑いそうになる。

 剣呑だった雰囲気がやわらぐ。ブツブツ言っているのは湖宇だけだ。
 すると、雪晴も小声で水奈にささやいてきた。

「水奈。いつ雪崩がここに到達するか、神託を視てみよう」

「そうですね。今の湖宇殿下には、小声は届かないでしょうし」

 水奈は目を伏せ、祈った。すると雪晴が「あれ?」と呟く。

「見慣れない字だな……しかもどんどん変わってる」 

「変わる文字……何でしょうか。殿下、私の手にお書きください」

 雪晴が水奈の手に指を置くと、周りの兵士も覗き込んでくる。

「……三十一?」

「また変わった……ほら」

「これは……二十九?」

「雪晴殿下、水奈殿。それはもしや、雪崩が起きるまでの秒数ではないでしょうか?」

 緊張した面持ちの樹に言われて、水奈と雪晴は「あっ」と声を上げた。

「では、あと二十九数えたあとに雪崩が?」

「待った。どんどん変わってる……書くよ」

「……二十一です……!」

 水奈が言うと、樹たち護衛兵が数を数え始める。

「二十……」

「十九……」

「十八……」

「解けたっ!」

 歓声を上げたのは湖宇だ。彼は箱の蓋を投げ捨てるように放り、中身を取り出した。
 
 と、同時に「カチッ」という音が鳴る。全員が体を強張らせる──湖宇以外は。
 湖宇は一人、高笑いをしながら薄青い石をかかげた。透き通った石の中で、泡がゆらゆらと揺れている。

「見たか! 俺はやったぞ! 俺が国王になるんだ! 俺が……え?」

 少しずつ増していく振動に、湖宇がうろたえ、口をつぐむ。
 代わりに樹が、周囲に向かって怒鳴る。

「残り十です!」

「な、何がだ⁉︎」

 一人で混乱している湖宇は、澄水珠を胸に抱き、うずくまった。
 すかさず雪晴が叫ぶ。

「全員、兄上を守れ! 家族がされているんだろう⁉︎」

 湖宇に万一があれば、幼い子どもさえ処罰されるかもしれない。護衛兵たちは、切羽詰まった様子で湖宇のそばに駆け寄った。
 その時、ちょうど揺れが収まった。

「……なんだ、終わりか? 驚かせやがって」

 ふう、と湖宇は息をついたものの、

「六‼︎」

 という護衛兵たちの大声で飛び上がった。続いて雪晴が、水奈の肩を揺する。

「水奈……あっちだ! あっちから来る!」

 雪晴が、斜め上を指さす。水奈はそちらへ顔を向けた。
 意識を集中させると、大きなうねりがすさまじい速さで下降してくるのがわかる。

(来た……でも、見えない雪を操るのは難しい。ここへ入ってきた瞬間に、食い止めるしかない!)

 水奈と雪晴は、どちらからともなく手を繋ぎ合った。

「三!」

 護衛兵たちが叫ぶ。

「二!」

 地鳴りのような音が近付いてくる。

「一!」

 水奈は息を吸い込んだ。神経を研ぎ澄ませて、意識のすべてを頭上に集める。
 直後、灯り取りの穴という穴から、白い大爆発が吹き込んできた。
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