〈銀龍の愛し子〉は盲目王子を王座へ導く

山河 枝

文字の大きさ
上 下
87 / 127
王太子選定の儀・迷宮の試練

86 雪晴の嘘

しおりを挟む
 水奈は背伸びをして、雪晴の肩越しに向こう側を覗いた。

「わ……急に広くなりましたね」

 扉の先は空間が大きく開けて、床の中心には、巨木を引き抜いたような穴。その向こうに、四つの道が見える。

「どの道を行けばいいんでしょう……」

「うん……水奈、また頼めるかな?」

 雪晴が水奈を振り返る。水奈はうなずき、銀龍に祈った。そして、雪晴が何と言うのかと耳を向けた。

 しかし、いくら待っても雪晴は黙ったまま。心配になった水奈は、雪晴の隣に立ち、顔を覗き込んだ。
 眉を寄せるその顔には、戸惑いと焦りが浮かんでいる。

「殿下、どうなさいましたか? 文字がお読みになれないなら、私が──」

「違うんだ」

 雪晴はさらに眉を寄せ、唇を噛む。

「神託そのものが視えない……」

 水奈は目を見開き、「どうして」と呟いた。

「私は、『殿下が危険な目にあわずに通れる道はどれか』と祈ったのですが……」

「私は、『水奈を守れる道はどれか』と……」

 水奈と雪晴は、揃って言葉を濁した。

 銀龍は、答えのない問いには答えてくれない。
 だとすれば、雪晴と水奈、二人ともが無傷で抜けられる道はないのだろうか。

「……ひとまず、この場所を調べてみましょう」

 水奈は恐怖を抑え込もうと、雪晴の手を握った。

「タカ様のお話では、ここから生還なさった王子様もおられたのでしょう? どこを通られたか、手がかりが見つかるかもしれません」

「そうだな……でも、不用意に動くのは危険だ。私が調べるから、水奈はここにいてくれ」

「殿下──」

 水奈はとっさに雪晴を見上げた。雪晴は、心配するなというように水奈を見つめ返してきた。

「私の身に危険が迫った時は、銀龍様が教えてくださる。危機が来る方向に、光のようなものが灯るんだ」

 さっきの部屋でも、槍が飛ぶ直前、やってくる方向がわかったという。

「まだ私の方が、危険を回避しやすい。だから待っていてくれ。いいね?」

「はい……ですが、せめて神託を視てからになさってください」

 そう言って水奈は、「生きてここを出るための手がかりを知りたい」と祈った。

「あっ」

 さっきとは違い、即座に雪晴が反応する。

「何か視えましたか?」

「ああ、『穴のそばへ』だそうだ。たぶん、あれのことだろう」 

 雪晴は水奈の手をそっと外し、床に空いた穴へと静かに近付いていく。
 落ちないよう気を付けて──と水奈が声をかける直前、雪晴はぴたりと足を止めた。

「何だ? これは……」

 雪晴が膝をつき、地面をなでる。

「何かありましたか?」

「たぶん文字だと思うけど……私の知らない字ばかりだな」

「では、私が読みます。そちらに参りますね」

 水奈が歩き始めると、雪晴が慌てて叫んだ。

「待った、気を付けて! 私が踏んだ場所を歩くんだよ。焦らなくていいから」

 そう言う雪晴の方が、水奈の何倍も焦っている。水奈は一瞬緊張が解けて、吹き出しそうになった。

 代わりに、雪晴を安心させるように微笑んでみせる。
 それから、薄く残る足跡を探しつつ進んだ。

 進むごとに、ゴオォ、ゴオォという音が大きくなる。どうやら音は、穴の底から聞こえてくるらしい。

 水奈が雪晴のそばに立つと、二人でホッと息をつく。水奈はしゃがみ込み、地面を見た。

「たしかに、文字が刻まれていますね」

「何が書いてある?」

「えっと……『ここには四つの地獄がある。剣、落下、つぶて、毒虫。考えている暇はない。王座を望む者よ、その出口を選べ』」

 雪晴が、ごくりと喉を鳴らした。水奈も体を強張らせて、押し黙る。
 しばらくして、雪晴が口を開いた。

「四つの地獄というのは、あの四つの道だろうね……」

「私も、そう思います……」

 どちらの声にも力がない。

 剣、落下、礫、毒虫。どの道を進んでも、無傷ではすまないようだ。

「その出口を選べ、か。どの出口のことを言ってるんだ?」

 雪晴が、文字を睨みつけながら言った。彼の言葉に、水奈はふと引っかかりを覚える。

「『その出口』……」

 広間の先にある道を「出口」と呼ぶのは、やや不自然に感じる。

(まさか、四つの道以外に『出口』が?)

 思い至った水奈は、もう悩まなかった。出口らしき出口なら、目の前にある。

「雪晴殿下。もしかして、『その出口』とはこの穴ではないでしょうか?」

 水奈は立ち上がり、穴を覗き込んだ。ゴオォ、ゴオォという音がよりはっきりする。風というより、水の音に聞こえる。

「下に水路があるのかしら……」

 呟いた水奈の隣に、雪晴が立つ。

「ひとまず神託を視よう。この穴が安全な『出口』なのか」

「わかりました」

 水奈は出口について祈り、一息ついて雪晴を見た。が、彼は何も言わない。

「殿下? 神託が視えなかったのですか?」

「……ああ。すまないが、もう一度頼む」

「えっ? ですが、神託が視えなかったのなら、いくら祈っても……」

「質問を変えてみる。だから、もう一度」
 
「……わかりました」

 水奈は同じように祈った。しかし、雪晴の言葉は先程と変わらない。

「もう一度、やってみてくれ」

 それから雪晴は、何回も「もう一度」とくり返した。くり返すたび、彼の顔が苦しげにゆがむ。
 骨張った手が袍の生地を握りしめ、口からは歯噛みの音がする。

「殿下、もうやめましょう」

「駄目だ、もう一度……!」

「ですが、お苦しそうで見ていられません。一旦お休みになっては?」

「大丈夫だよ。痛みをこらえるのは簡単だ、と言っただろう?」

 その言葉で、水奈はハッとした。

「殿下、お目が痛むのですか? それでは……本当は、神託をご覧に?」

「あ……!」

 雪晴が、しまったというように口を手で覆う。
 水奈は雪晴に詰め寄った。

「やはり、神託をご覧になったのですね。どうして教えてくださらなかったのです? 一体、何が視えたのですか?」

 しかし雪晴は、拳を握りしめて息を詰めたまま。
 水奈は、労わるように彼の背中をなでてみたが、何の反応もない。

 聞こえるのは、低く鳴る水流の音だけ──かと思われたが。

(えっ、何? この音……)

 ギチギチ、と金属をこすり合わせるような音が近付いてくる。
 耳を澄ませて出どころを探る。四つの道の、さらに奥から聞こえてくるようだ。

 雪晴も気付いたらしく、驚いたように顔を上げた。

「これは……虫か?」

「虫?」

「ああ。以前、森にこんな鳴き声の虫がいたんだ。毒があるから離れろと、樹に言われて……」

 そこで、水奈と雪晴は視線を見交わした。雪晴の顔が青ざめていく。水奈も血の気が引くのがわかった。

 ここには四つの地獄がある。剣、落下、つぶて。そして、毒虫。

「まさか……奥にいる毒虫がこっちへ来たのか?」

 穴のそばには、「考えている暇はない」とも刻まれている。おそらく、このことを示していたのだ。

 ギチギチという音は次第に大きくなり、虫が一匹二匹ではない、と嫌でもわかってしまう。

「殿下、時間がありません! 神託を教えてください!」

 水奈は、雪晴の体をゆすって叫んだ。雪晴はビクッと体を震わせると、ぎゅっと目を閉じ、ようやく答えを絞り出した。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

廃妃の再婚

束原ミヤコ
恋愛
伯爵家の令嬢としてうまれたフィアナは、母を亡くしてからというもの 父にも第二夫人にも、そして腹違いの妹にも邪険に扱われていた。 ある日フィアナは、川で倒れている青年を助ける。 それから四年後、フィアナの元に国王から結婚の申し込みがくる。 身分差を気にしながらも断ることができず、フィアナは王妃となった。 あの時助けた青年は、国王になっていたのである。 「君を永遠に愛する」と約束をした国王カトル・エスタニアは 結婚してすぐに辺境にて部族の反乱が起こり、平定戦に向かう。 帰還したカトルは、族長の娘であり『精霊の愛し子』と呼ばれている美しい女性イルサナを連れていた。 カトルはイルサナを寵愛しはじめる。 王城にて居場所を失ったフィアナは、聖騎士ユリシアスに下賜されることになる。 ユリシアスは先の戦いで怪我を負い、顔の半分を包帯で覆っている寡黙な男だった。 引け目を感じながらフィアナはユリシアスと過ごすことになる。 ユリシアスと過ごすうち、フィアナは彼と惹かれ合っていく。 だがユリシアスは何かを隠しているようだ。 それはカトルの抱える、真実だった──。

【短編】旦那様、2年後に消えますので、その日まで恩返しをさせてください

あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
「二年後には消えますので、ベネディック様。どうかその日まで、いつかの恩返しをさせてください」 「恩? 私と君は初対面だったはず」 「そうかもしれませんが、そうではないのかもしれません」 「意味がわからない──が、これでアルフの、弟の奇病も治るのならいいだろう」 奇病を癒すため魔法都市、最後の薬師フェリーネはベネディック・バルテルスと契約結婚を持ちかける。 彼女の目的は遺産目当てや、玉の輿ではなく──?

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

【完結】愛も信頼も壊れて消えた

miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」 王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。 無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。 だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。 婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。 私は彼の事が好きだった。 優しい人だと思っていた。 だけど───。 彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。 ※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

処理中です...