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王太子選定の儀・迷宮の試練

86 雪晴の嘘

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 水奈は背伸びをして、雪晴の肩越しに向こう側を覗いた。

「わ……急に広くなりましたね」

 扉の先は空間が大きく開けて、床の中心には、巨木を引き抜いたような穴。その向こうに、四つの道が見える。

「どの道を行けばいいんでしょう……」

「うん……水奈、また頼めるかな?」

 雪晴が水奈を振り返る。水奈はうなずき、銀龍に祈った。そして、雪晴が何と言うのかと耳を向けた。

 しかし、いくら待っても雪晴は黙ったまま。心配になった水奈は、雪晴の隣に立ち、顔を覗き込んだ。
 眉を寄せるその顔には、戸惑いと焦りが浮かんでいる。

「殿下、どうなさいましたか? 文字がお読みになれないなら、私が──」

「違うんだ」

 雪晴はさらに眉を寄せ、唇を噛む。

「神託そのものが視えない……」

 水奈は目を見開き、「どうして」と呟いた。

「私は、『殿下が危険な目にあわずに通れる道はどれか』と祈ったのですが……」

「私は、『水奈を守れる道はどれか』と……」

 水奈と雪晴は、揃って言葉を濁した。

 銀龍は、答えのない問いには答えてくれない。
 だとすれば、雪晴と水奈、二人ともが無傷で抜けられる道はないのだろうか。

「……ひとまず、この場所を調べてみましょう」

 水奈は恐怖を抑え込もうと、雪晴の手を握った。

「タカ様のお話では、ここから生還なさった王子様もおられたのでしょう? どこを通られたか、手がかりが見つかるかもしれません」

「そうだな……でも、不用意に動くのは危険だ。私が調べるから、水奈はここにいてくれ」

「殿下──」

 水奈はとっさに雪晴を見上げた。雪晴は、心配するなというように水奈を見つめ返してきた。

「私の身に危険が迫った時は、銀龍様が教えてくださる。危機が来る方向に、光のようなものが灯るんだ」

 さっきの部屋でも、槍が飛ぶ直前、やってくる方向がわかったという。

「まだ私の方が、危険を回避しやすい。だから待っていてくれ。いいね?」

「はい……ですが、せめて神託を視てからになさってください」

 そう言って水奈は、「生きてここを出るための手がかりを知りたい」と祈った。

「あっ」

 さっきとは違い、即座に雪晴が反応する。

「何か視えましたか?」

「ああ、『穴のそばへ』だそうだ。たぶん、あれのことだろう」 

 雪晴は水奈の手をそっと外し、床に空いた穴へと静かに近付いていく。
 落ちないよう気を付けて──と水奈が声をかける直前、雪晴はぴたりと足を止めた。

「何だ? これは……」

 雪晴が膝をつき、地面をなでる。

「何かありましたか?」

「たぶん文字だと思うけど……私の知らない字ばかりだな」

「では、私が読みます。そちらに参りますね」

 水奈が歩き始めると、雪晴が慌てて叫んだ。

「待った、気を付けて! 私が踏んだ場所を歩くんだよ。焦らなくていいから」

 そう言う雪晴の方が、水奈の何倍も焦っている。水奈は一瞬緊張が解けて、吹き出しそうになった。

 代わりに、雪晴を安心させるように微笑んでみせる。
 それから、薄く残る足跡を探しつつ進んだ。

 進むごとに、ゴオォ、ゴオォという音が大きくなる。どうやら音は、穴の底から聞こえてくるらしい。

 水奈が雪晴のそばに立つと、二人でホッと息をつく。水奈はしゃがみ込み、地面を見た。

「たしかに、文字が刻まれていますね」

「何が書いてある?」

「えっと……『ここには四つの地獄がある。剣、落下、つぶて、毒虫。考えている暇はない。王座を望む者よ、その出口を選べ』」

 雪晴が、ごくりと喉を鳴らした。水奈も体を強張らせて、押し黙る。
 しばらくして、雪晴が口を開いた。

「四つの地獄というのは、あの四つの道だろうね……」

「私も、そう思います……」

 どちらの声にも力がない。

 剣、落下、礫、毒虫。どの道を進んでも、無傷ではすまないようだ。

「その出口を選べ、か。どの出口のことを言ってるんだ?」

 雪晴が、文字を睨みつけながら言った。彼の言葉に、水奈はふと引っかかりを覚える。

「『その出口』……」

 広間の先にある道を「出口」と呼ぶのは、やや不自然に感じる。

(まさか、四つの道以外に『出口』が?)

 思い至った水奈は、もう悩まなかった。出口らしき出口なら、目の前にある。

「雪晴殿下。もしかして、『その出口』とはこの穴ではないでしょうか?」

 水奈は立ち上がり、穴を覗き込んだ。ゴオォ、ゴオォという音がよりはっきりする。風というより、水の音に聞こえる。

「下に水路があるのかしら……」

 呟いた水奈の隣に、雪晴が立つ。

「ひとまず神託を視よう。この穴が安全な『出口』なのか」

「わかりました」

 水奈は出口について祈り、一息ついて雪晴を見た。が、彼は何も言わない。

「殿下? 神託が視えなかったのですか?」

「……ああ。すまないが、もう一度頼む」

「えっ? ですが、神託が視えなかったのなら、いくら祈っても……」

「質問を変えてみる。だから、もう一度」
 
「……わかりました」

 水奈は同じように祈った。しかし、雪晴の言葉は先程と変わらない。

「もう一度、やってみてくれ」

 それから雪晴は、何回も「もう一度」とくり返した。くり返すたび、彼の顔が苦しげにゆがむ。
 骨張った手が袍の生地を握りしめ、口からは歯噛みの音がする。

「殿下、もうやめましょう」

「駄目だ、もう一度……!」

「ですが、お苦しそうで見ていられません。一旦お休みになっては?」

「大丈夫だよ。痛みをこらえるのは簡単だ、と言っただろう?」

 その言葉で、水奈はハッとした。

「殿下、お目が痛むのですか? それでは……本当は、神託をご覧に?」

「あ……!」

 雪晴が、しまったというように口を手で覆う。
 水奈は雪晴に詰め寄った。

「やはり、神託をご覧になったのですね。どうして教えてくださらなかったのです? 一体、何が視えたのですか?」

 しかし雪晴は、拳を握りしめて息を詰めたまま。
 水奈は、労わるように彼の背中をなでてみたが、何の反応もない。

 聞こえるのは、低く鳴る水流の音だけ──かと思われたが。

(えっ、何? この音……)

 ギチギチ、と金属をこすり合わせるような音が近付いてくる。
 耳を澄ませて出どころを探る。四つの道の、さらに奥から聞こえてくるようだ。

 雪晴も気付いたらしく、驚いたように顔を上げた。

「これは……虫か?」

「虫?」

「ああ。以前、森にこんな鳴き声の虫がいたんだ。毒があるから離れろと、樹に言われて……」

 そこで、水奈と雪晴は視線を見交わした。雪晴の顔が青ざめていく。水奈も血の気が引くのがわかった。

 ここには四つの地獄がある。剣、落下、つぶて。そして、毒虫。

「まさか……奥にいる毒虫がこっちへ来たのか?」

 穴のそばには、「考えている暇はない」とも刻まれている。おそらく、このことを示していたのだ。

 ギチギチという音は次第に大きくなり、虫が一匹二匹ではない、と嫌でもわかってしまう。

「殿下、時間がありません! 神託を教えてください!」

 水奈は、雪晴の体をゆすって叫んだ。雪晴はビクッと体を震わせると、ぎゅっと目を閉じ、ようやく答えを絞り出した。
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