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王太子選定の儀・迷宮の試練

82 「あれ」を選べない!

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 そこには、こう書いてあった。

“これ以上、同胞に手を出すことは許さぬ。神殿で待つまでもない”

 水奈は、困惑しながらタカを見た。

「タカ様、これは……?」

「どうしました? 何か気になるものが?」

 問われて、水奈は書き付けを読み上げた。タカは「ああ」と呟き、話し始めた。

「濁流がなだれ込む直前、誰かが叫んだ言葉だそうです。生き残った全員が聞いたとか。台所の料理番から、庭の見張り役まで」
 
「すさまじい大声だな……一体、何者なんだ」

 雪晴がひとりごとのように言うと、タカは目を泳がせた。少しして、彼女の口が重たげに開く。

「おそらく、ですが……あくまで私の想像ですが……」

「……?」

 雪晴と水奈が身を乗り出すと、タカは声をひそめた。

「銀龍様のお声だったのでは、ないでしょうか」

「「銀龍様?」」

 水奈と雪晴は、同時に聞き返した。どちらの声にも、「そんな馬鹿な」というより「そうかもしれない」という響きがあった。

 タカはホッとしたようにうなずき、再び話し始めた。

「晴天下の濁流。『神殿で待つまでもない』という言葉。どちらも銀龍様のものだとすれば、納得がいきます。あとは、なぜ楽沙木家が滅ぼされたのか、ですが……」

 タカは、不可解そうに眉を寄せた。雪晴も首をひねっている。

「うーん……水奈、さっきのをもう一度読んでくれないか? 前半だけでいいから」 

「はい。えっと……『これ以上、同胞に手を出すことは許さぬ』」

 怒りのこもった一文を見つめながら、水奈は呟いた。

「『同胞』……銀龍様のご家族、ということでしょうか」

 その呟きに、タカが応える。

「もしくは仲間という意味なのか……とにかく、銀龍様たちのうち、どなたかでしょうかね」

 神話には、「ごく一部の魚や蛇が銀龍となった」とある。だから、銀龍は複数いる、というのが一般的な解釈だ。

「つまり、楽沙木家は銀龍様を害そうとした、ということか? しかし、それは……」

 雪晴が言葉を濁すと、タカは大きくうなずいた。

「そうですよ、考えられません。命知らずにも程があります。盗賊でさえ天罰を恐れて、銀龍像には手を出さないんですから」

「では……お祖父様の何が、銀龍様の逆鱗に触れたのでしょう?」

 水奈は顔を上げ、すぐにタカへ目を留めた。
 タカは、ひときわ神妙な面持ちで、正座した膝を睨みつけている。

「タカ様、もしかして思い当たることが?」

「え? ええと、私は……どうかしら、わかりませんね」

 タカは一瞬目を泳がせたが、すぐににっこりと笑った。そして、わざとらしく「そうだわ」と手を叩いた。

「こんな話をしている場合じゃありませんよ。王太子選定の儀について、正式に知らせが届いたんでしょう?」
 
「ああ。『藍海あいみ月の二十日、七の刻に氷雪山の麓へ集え』と」

「なるほど、慣例通りですね。ではさっそく、何番にするか決めましょう」

 当然のように言われて、雪晴と水奈はきょとんとした。

「タカ様、何番というのは……?」

「何かの番号を選ぶのか?」

 二人して尋ねると、タカの眉が訝しげに寄る。

「……まさか、城の使いは何も言わなかったのですか? では、例の紙は……?」

「紙? ふみは届いたけど」

「その文に挟まっていたでしょう? 国璽こくじ──王家に伝わる印章が右下に押された、手のひら大の紙。一、二、三と数字も書かれてあって……」

 タカは、焦ったようにまくし立てる。雪晴は戸惑いながら、水奈の方へ顔を向けた。 

「一緒に文を受け取ったよね。そんな紙、あったかな?」

「いえ、なかったと思いますが……」

「何ですってぇ⁉︎」

 水奈と雪晴が小さく飛び上がる。さらに、水奈は悲鳴を上げそうになった。

 タカが歯ぎしりをしながら、眉間に深いしわを刻んでいたからだ。
 雪晴も、見えないなりに察したらしい。猛獣の挙動をうかがうように、おそるおそる口を開く。

「タカ……その紙がどうかしたのか?」

「『どうかしたのか?』じゃありません! 王太子選定の儀に参加する王子は、を選ぶ権利があるんですよ。だと言うのに、紙がなかったですって? 」  

「私に怒られても……というか、『あれ』とは何なんだ?」

「『あれ』は……ああもう、腹が立ってまとまらないわ!」

 タカは天井を仰ぎ、フゥッ! と息を吐き出した。
 そこまでしてやっと気が済んだのか、少し落ち着いた声で「いいですか」と話し始めた。

「まず、王太子選定の儀についてですが。簡単に言いますと、氷雪山に安置された宝──澄水珠ちょうすいじゅを持って帰るんです。早い者勝ちで」

「澄水珠?」

「中に水が入った青水晶ですよ。大人の、握り拳ほどの」

「まあ! 青い水晶があるんですね。その上、水が入っているなんて。不思議……」

「そうだね。でも……早い者勝ちなら、足が速い王子が次期国王になる、ということか?」

 雪晴が首をかしげたが、タカはすかさず首を横に振った。

「澄水珠のある場所は、迷宮の奥なんです」

「迷宮……ああ、なるほど。神託を視ながら迷宮を突破しろ、ということか」

「ええ。ここで、『あれ』が関わってくるわけですよ──迷宮の入り口選びが」

「タカ様、つまり……迷宮の入り口は、一つではないのですか?」

「はい。迷宮には、宝へと続く道が複数あります。それぞれ独立していて、一から二十まで番号が振られています」

「二十⁉︎」

 雪晴が驚きの声を上げる。

「二十も入り口があるのか? その上、それぞれの道が独立しているということは……」

「かなり広い迷宮なんですね……」

 水奈は、無意識に胸へ手を当てた。

「そうです。しかも、道によっては危険な仕掛けだらけ。過去には亡くなった王子もいたそうですよ」

「……!」

 水奈の手の下で、怯えるように心臓が跳ねた。タカは、「〈銀龍の瞳〉の弱い方だったそうですが」と前置きして、話を続ける。

「入り口によって、難易度は様々。王子様方は、どこから入るか三つまで候補を選べるんです。その中から選択するのは国王ですが、それでも困難な道は避けられます」

 易しい道を選ぶためには、情報を集めなくてはならないが、その段階で でも王の資質が問われる。
 人脈があるほど、情報が集まりやすいからだ。

 そう話すタカは、次第にまなじりを吊り上げていく。

「私たち神官も、迷宮の情報をみんなでかき集めましたのに……!」

 タカは、帯に指を突っ込み、折り畳まれた紙──いや、紙束を引っ張り出した。楽沙木家生存者一覧の三倍は厚い。

「み、皆様、殿下を応援してくださっているんですね」

 水奈は、紙束から放たれる熱意に気圧されつつ、畳まれたそれを開いた。
 そして、感嘆の息を漏らした。

「すごい……びっしり書かれてる」

「およそ二百年の間に聞いた話を、統合したものですから」

「二百年? すごいな。じゃあ、書物五冊分くらいはあるのか?」

 雪晴が薄く目を開け、水奈の手元を見ようとしている。

「い、いえ、そこまでは」

 水奈がそう言うと、タカが言い訳のように付け加えた。

「迷宮について詳しく話すことは、禁じられているんです。国王から王子へ伝えることすら、よく思われません」

 それからタカは、水奈の持つ紙束へ手を伸ばしてきた。

「宴席で漏れ聞こえた情報もありますので、誤りもあるでしょうが……絶対に選んではいけない道は、正しいと思います」

  タカは紙束を何枚かめくり、「これです」と指さした。十二番、という字が、赤い顔料で書かれている。

「この道を選んだ王子は、例外なく大怪我を負っています。亡くなった王子が選んだのも十二番。おそらく、最も危険な道なのでしょう。早く殿下に知らせねばと、走って来たというのに……」

 そこまで話したタカは、がっくりと肩を落とし、深いため息をついた。

「タカ様、大丈夫ですか?」

「ああ、ありがとう……大丈夫とは言えませんけど……まさか、あの紙がないなんて……」

「紙って、国璽が押された紙のことか? それがないとどうなるんだ?」

「それはもう、致命的ですよ!」
 
 タカの怒りが一気に再燃する。バッと上げた顔は、煙が出そうなほど赤い。

「あの紙でないと、番号を書いてもニセモノあつかいされるんです! 入り口選びを、完全に国王へ委ねることになるんですよ!」

「じゃあ、私が何番から入るかは、陛下がお決めに?」

 タカは大きくうなずき、拳を握って続けた。

「あの負け犬王、どうせ十二番を押し付けてくるに決まってます!」

「タ、タカ様、その呼び方はちょっと」

「いいんですよ、誰も聞いてませんから。それで安全な七番は、ぼんくら息子にやるんでしょうよ!」

「……誰のことかは聞かないよ」

 雪晴は肩をすくめて、しかしすぐに眉をひそめた。

「代わりに聞きたいんだが……その試練、王子だけで行かなくてはならないのか?」

「五人までの供は可、とされています! 神官は、王位継承権を捨てましたから入れませんがね! それ以外の者はご自由に! 水奈もお連れできますよ!」

 まだ怒りの鎮まらないタカに、雪晴は苦笑いをこぼす。

「ちょっと、殿下! 笑っている場合じゃありませんよ。宝を手に入れるだけじゃ、王太子にはなれないんですから!」

「知ってるよ、投票があるんだろう?」

「投票?」

 水奈は首をかしげた。が、雪晴とタカは、迷宮の突破方法の方が重要らしく、二人で話し合いを始めてしまった。
 その間、水奈は「投票」について尋ねられなかった。雪晴が、強い声でこう言ったからだ。

「迷宮には水奈を連れていくしかない。でも、絶対に危険な目にはあわせたくない。今から対策を練らないと」

 そして、話し合いの末──雪晴は「あるものを習得したい」と言った。
 それは、かつての雪晴にとって、何の役にも立たないものだった。
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