〈銀龍の愛し子〉は盲目王子を王座へ導く

山河 枝

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王太子選定の儀・迷宮の試練

81 火乃、消される

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 水奈が処刑を免れてから、雪の散らつく日が続いた。少しずつ着々と、白が地面を覆う。

 それと同じように、一度はひらけた雪晴の視界も、次第に神託で埋まっていった。彼は再び杖をついて歩き、まぶたを伏せるようになった。

 そのまぶたが、タカの知らせを聞いた途端、バッと開かれた。

「火乃が……毒殺された?」

 水奈と雪晴は、屋敷の正面玄関で呆然と立ち尽くした。
 神殿から駆けてきたらしいタカは、草履を脱ぎながら、息を切らせてうなずいた。

「夕食後、血を吐いて倒れたそうです。火乃だけではありません。地下牢の囚人、全員です」
 
 囚人の食事は厨房の裏に置かれ、朝と晩、兵士がまとめて持っていく。
 その間、見張る者はいない。誰でも毒を仕込める。

「一体、誰が……どうして……」

 水奈が呟くと、しゃがんで草履を揃えていたタカが、白銀城の方を睨んだ。

「そりゃあ、余計なことを言わないように、でしょう」

「……やはり、蒼玉兄上が?」

 水奈は、ハッとして雪晴を見上げた。雪晴はもう目を閉じて、眉をひそめている。
 その顔がふと曇り、水奈の方を向いた。

「水奈……蒼玉兄上は冷酷な人だ。まだ君を諦めていないとしたら、何を仕掛けてくるかわからない」

「……そう、ですね」

「身の回りに気をつけるんだよ。一人にならないこと。万が一捕まったら、今度こそ天井を破って逃げるんだ」

「「えぇっ⁉︎」」

 水奈とタカの声が、揃ってひっくり返った。立ち上がってすぐだったタカは、体までひっくり返りそうになっている。

「水奈のことだから、地下牢に入れられた時、建物を壊すのをためらったんだろう? 修理するのは大変だが、気にしなくていい。命の方が大切だ」

「で、殿下! あの、ちょっと、お待ちください!」

「ん? ……ああ、天井は壊すと落ちてくるか。いや、でも落下物を氷で支えたら──」

「違います! 私は、天井も壁も壊せません」

 水奈が叫ぶと、雪晴はぽかんと口を開けた。

「でも……岩の亀裂に入った水が凍ると、そのうち岩が割れる、と聞いたんだが。水奈なら、どんどん水を足しては氷を作って、すぐに天井を壊せるんじゃないか?」

 あごに手を当てる雪晴へ、タカが「ちょっと」と声をかける。

「牢屋の中で、どうやってそれだけの水を手に入れるんです?」

「あそこから引けばいいじゃないか」

 雪晴は足元を指差した。が、廊下の床板があるだけだ。
 水奈は何を言われているのかわからず、右へ左へ首をひねった。

 と、タカが怪訝そうに眉をひそめて雪晴を見る。

「殿下……もしや、地下水のことをおっしゃってますか?」

「そうだけど。銀龍国には、たっぷりあるだろ?」

 雪晴も怪訝そうに返す。「何を当たり前のことを」と言いたげに。
 タカは呆れたようにため息をついた。

「あのですね、殿下。地下水は土の下にあるんですよ? 見えないんですよ?」

「でも、水奈は〈銀龍の愛し子〉だし……」

「いえ、あの……操れはしますが視ることはできないんです」

「……そうだっけ?」

 雪晴はきょとんと呟いた。少しして、気まずそうに耳を揉み始める。

「そうか……ごめん、勘違いしてた。毎日一緒にいて同じ話をしてるから、つい」

「あらまあ、仲がよろしいこと。でも、夫婦気取りは婚儀のあとにしてくださいな」

 タカがニヤリと笑う。水奈はうつむいて手を揉み合わせ、雪晴は杖を何度も持ち直した。

「別に気取ってるわけじゃ……それより、タカ」

 雪晴は、結局いつも通りに杖を持つと、真剣な顔で言った。

「脅威は蒼玉兄上だけじゃない。水奈の祖父もだ。琴祭の件に加えて、王子殺しの未遂騒動まで起きた。さすがに勘付かれたんじゃないか? 水奈が白銀城にいると」

 雪晴の話に、水奈は思わず身を硬くした。しかしタカは、ふいっと背を向けて廊下を進みながら、「大丈夫ですよ」と言った。

「楽沙木の家が水奈に手を出すことは、今後は絶対にありません」

「今後は、絶対に……?」

 水奈は雪晴の手を引き、タカを追いながら尋ねた。しかし、タカは小さくため息をついただけで、何も言わない。
 水奈が答えを待っていると、タカの代わりに雪晴が口を開いた。

「もしかして、楽沙木の当主が亡くなったのか」

「お祖父様が?」

 祖父の歳は知らないし、顔をまともに見たこともないが、高齢だったなら他界していてもおかしくない。
 しかし、それならなぜ、振り返ったタカから怯えが伝わってくるのか。

 先を行くタカの背中を、水奈は見つめた。やや丸まったその背中から、張りのない声がする。

「ただ亡くなったのではありません。楽沙木の当主は、屋敷ごと濁流にのまれたそうです」

 水奈と雪晴は、同時に大きく息を吸った。

「そんな……そんなはず、ありません!」

 水奈はとっさに足を踏み出した。タカの頭に鼻をぶつけ、雪晴の手を引っ張ってしまった。

「も、申し訳ありません」

 水奈は鼻を押さえ、あたふたと二人に頭を下げた。

「いや、大丈夫だよ」

 雪晴がおかしそうに笑い、水奈の頭をなでてくる。タカも苦笑しながら、「ええ」とうなずいた。

「水奈、それはともかく。『そんなはずがない』とはどういう意味です?」

「その……濁流にのまれたということは、川が氾濫したのでしょう? ですが、それはおかしいんです」

 水奈は、まだ消えない困惑を持て余しつつ答えた。

「楽沙木の屋敷は、高台の上にありますから」

「なるほど……それなら、たしかに妙だな。豪雨に襲われたならともかく、ここ数年、そんなに激しい雨は視たことがない」

 雪晴は、遠くの野山を眺めるように首をぐるりとめぐらせた。
 すると、タカが「違うんですよ」と言った。

「楽沙木家の屋敷が流された日は、雲一つなかったらしいんです。なのに、いきなり濁流が屋敷の壁を砕き、人々を押し流したそうです」

「う、嘘……」

 水奈は雪晴の手を離し、ふらりとよろめき、廊下の壁に寄りかかった。

「水奈? どうした?」

 雪晴が、心配そうに水奈の肩を抱く。水奈は、震える声で答えた。

「母屋には……優しい人もいたんです。母様に同情して、お漬物を玄関に置いてくれたり。お祖父様が宴を開く時は、『今日は夜まで琴が弾けますよ』と教えてくれたり……」

 母だけでなく、その侍女ツグミを慕う使用人も少なくなかった。水奈が琴や読み書きを学べたのは、彼らが道具を取り置いてくれたおかげでもある。

 ツグミは物をもらうたび、「この琴糸は倉庫番の草太が」「この筆は掃除係のスズナから」と、相手のことを教えてくれた。
 水奈を忌み嫌う者もいただろうが、母やツグミを支えてくれる人がいると知って、水奈は嬉しかった。

 なのに、みんな死んでしまったのだろうか。
 水奈の足が震え出す。たまらず、床に膝をつく。

「水奈、落ち着いて」

 雪晴は、水奈のそばへしゃがみ込み、同じく座り込んだタカへ尋ねた。

「タカ。さっき、『いきなり濁流が屋敷の壁を砕いた』と言ったな。それは誰が見ていたんだ? ひょっとして、生き残った者がいるのか?」

 水奈は、ハッとしてタカを見た。すぐに力強いうなずきが返ってくる。

「そうです。今の話は、屋敷の下男が語ったこと。その下男だけでなく、兵士や使用人の半数ほどが助かったようです」

「そうなのですね……あの、タカ様」

 水奈は、ごくりと喉を鳴らし、おそるおそる尋ねた。

「誰が助かったか、ご存知ないですか? 名前か、役職だけでも……」
 
「ええ。水奈の知り合いがいるかと思って、聞けるだけ聞いてきました。が……その話をする前に、ひとまずお部屋へ入りませんか?」

「あっ。そ、そうですね。失礼いたしました、参りましょう」

 水奈は慌てて立ち上がり、また雪晴の手を取った。

 早く知りたい、と焦っていたが、タカと雪晴が早足で進んでくれたおかげで、今度は鼻をぶつけたり手を引っ張ったりせずに済んだ。

 雪晴の部屋に着き、三人とも畳の床に座ると、タカは帯から紙を取り出した。折り畳まれたそれを広げ、水奈に渡す。

 水奈は、ドキドキしながら紙を受け取った。一つひとつ、文字を目で拾う。

(倉庫番、草太。掃除係、スズナ……みんな、いる。みんな無事だったんだわ!)

 少なくとも、水奈が知る使用人は全員生きているらしい。

「タカ様、ありがとうございます……! 私の知り合いは無事のようです」

 水奈は、ほうっと息を吐き出し、タカに紙を返そうとして──はたと手を止めた。

 紙の端に一文、書き付けがある。それを読んだ水奈は、ドキリとした。
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