〈銀龍の愛し子〉は盲目王子を王座へ導く

山河 枝

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雪晴の覚醒

80 きっと善き王に

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「殿下は先程、『水奈は汚い、という言葉はもう聞きたくない』とおっしゃいましたよね。私が自分で言うのも嫌だと」 

「……うん」

「私も同じです」

 水奈は畳から視線を上げ、雪晴の強張る顔を見た。

「私も、『雪晴王子は能なしだ』という言葉なんて聞きたくありません。殿下がご自分でおっしゃるのも嫌です」

 雪晴は目を丸くして、それから気まずそうに頭をかいた。

「……そうだね。今は、水奈が神託を視せてくれる。何も持っていなかったのは過去の話だから、そろそろ控えようかな」 

「それも違います」

 水奈がきっぱり告げると、雪晴は息をのんだ。

「殿下は素晴らしい心をお持ちです。だって神託をご覧になる前から、私は殿下をお慕いしていましたから」

「! そ、そうなんだ」

 雪晴はかすかに頬を染めた。水奈もつられて恥ずかしくなったが、きっと今しか言えないだろうと、照れくさがる心を叱咤する。

「そうです……雪晴殿下。殿下の温かいお心が、私を幸せにしてくれました。お力を手にされたからではなく、あなたがあなただから、私はおそばにいたいのです」

 言い終えた水奈は、視線へ思いを込めて雪晴を見つめた。
 その視線に胸を押されたように、雪晴がハッとする。

 彼は、次第に目を膝に落とし、何かをこらえるように大きく息を吸った。そして、泣き出しそうな顔で微笑んだ。

「……ありがとう」

 水奈も微笑み返し、「感謝するのは私の方です」と言った。

「祖父母にさえ捨てられた私に、殿下は居場所をくださいました。『ここにいてもいいんだ』と思えるようになって、私、自分のことを少しずつ好きになってきたんです」

 水奈は静かに息をつき、笑みを深めてさらに続ける。

「殿下は、きっと善き王になられるでしょうね。御身一つで、こんなにも人を幸せにできるのですから」

「水奈にそう言われると、自分がすごい人間みたいに思えてくるな」

 雪晴は頬を緩め、再び箸を持った。

「みたいじゃなくて、雪晴殿下はすごい方です」

 水奈は、すねるように言ってみせた。雪晴はきょとんとして、それから肩を揺らして笑った。

「じゃあ、自分はすごい人間だと思っておこう。もう水奈に嫌がられたくないし、国王になれても卑屈が過ぎると、周りを不安にさせそうだからね」

 卑屈な国王──その言葉で、水奈は二つの顔を思い浮かべた。現国王と、そして湖宇の顔を。

 水奈は汁椀と箸を手にしつつ、考えた。

(あの人たちは、いつも『馬鹿にするな』と怒っているけど……それは、自分は駄目な人間だと思い込んでいるせいじゃないかしら。『みんなに馬鹿にされるに違いない』って怖がって、周りを攻撃してしまうのかしら……)

 だとしたら哀れだ、と水奈は思った。とはいえ、彼らの攻撃が雪晴に向かうなら、見過ごすわけにはいかない。

 どんな壁が立ちはだかろうとも、雪晴と戦い抜こう。きっと二人で乗り越えてみせる。
 水奈は、決意を体へ染み込ませるように、温かいすまし汁をコクンとのみ込んだ。

 *

 宵闇の中、白銀城の屋根に、しんしんと雪が降り積もる。
 いつもなら雪ごと寒さを吹き飛ばすように、湖宇の部屋に行灯あんどんが並び、琴や笛太鼓の音、長唄と笑い声があふれるが、今は凍りついたように静まり返っている。

 部屋には護衛の兵士が数人。それから湖宇と、侍女の椿だけ。
 湖宇は、部屋に帰ってくるなり椿を正座させると、彼女の太ももに頭を乗せ、ため息ばかりついていた。

「湖宇殿下ぁ、何があったんですかあ?」

 座りっぱなしの椿が、足を揉みながら尋ねる。

「王妃殿下が『処刑は怖いけど一人きりも嫌』っておっしゃるからぁ、お話相手になってましたけどぉ。国王陛下も湖宇殿下も、なんでそんなにげっそりなさってるんですかぁ?」

「そんなの、僕が聞きたいよ……一体何が起きたんだ? あの雪晴が、神託を視るなんて……」

「えっ、弟君がぁ⁉︎」

 椿が、紅を塗りたくった口をぽかんと開ける。湖宇は横になったまま、椿の腿へ頬をすりつけるようにして、うなずいた。

「しかも、あの銅鑼女……何なんだ、あいつは。地下牢で、あることないこと喚き散らしやがって……」

「ああ~、変なことを言ってるらしいですねぇ。『雪晴王子を殺そうとしたのは、湖宇殿下の指示だ』とかぁ?」

 椿が首をかしげると、湖宇がいら立たしげに歯ぎしりをする。

「クソッ! あいつ、なんでそんなデタラメを……このままじゃ、神殿はおろか貴族にまで『湖宇は手当たり次第に謀殺するのか』と誤解されてしまう……!」

「そ、それはまずいですよぉ。みんな怖がって離れていくじゃないですかぁ」

「だから、どうしたらいいか困ってるんだよ!」

「きゃあっ!」

 ガバッと身を起こした湖宇に、椿が驚いて悲鳴を上げる。
 そこで、護衛の樹が「湖宇殿下」と声をかけた。

「何だっ! 話しかけるなと言っただろ⁉︎ くだらない用なら、お前、今度こそぶっ殺すぞ!」

「いえ、その……国王陛下と王妃殿下がおいでです」

「父上と母上が⁉︎ なんで早く言わないんだ、ぶっ殺すぞ! さっさとお通ししろ!」

「……」

 護衛兵たちはひそかにため息をつき、顔を見合わせた。
 が、樹はすぐに「申し訳ございません」と頭を下げ、廊下に面する襖を開けた。

「こ、湖宇……」

「父上!」

 よろよろと入ってきた国王は、髪はボサボサ、着物も乱れ、たった一日で二十も歳を取ったかのようだ。ふらつく国王の足元に、湖宇は必死ですがりつく。

「父上、助けてください! あの銅鑼女は嘘つきだと、みんなにわからせてやってください!」

「ああ、そうだな……よからぬ噂を口にした者は、厳しく罰しよう。このままでは、蒼玉が国王になりかねん。老ぼれ前王の可愛がっていた、あの憎たらしいガキが王座に……」

「陛下、落ち着いてくださいな」

 歯噛みをする国王のあとから、王妃が室内に入ってきた。
 頬に手を当て、目に涙を浮かべ、「どうしましょう」とくり返している。

「湖宇ちゃん、どうしましょう? 陛下がこんなにおやつれになるなんて。私、どうしたら……」

 国王は目がうつろ、王妃は迷子のようにオロオロするだけ。

「ち、父上、母上……」

 湖宇の口から、弱々しい声が漏れる。両親の顔を交互に見ながら、沈む船を泣く泣く見捨てる船頭のように、彼は国王から離れていく。

 この世の終わりが来たかのような空気が、室内へ漂う。その中で、椿はのんびりと呟いた。

「う~ん……どうなんですかねぇ。湖宇殿下もそう思いません~?」

「……何がだよ」

「ほらぁ、蒼玉殿下が国王になるってぇ、ちょっと難しくないですか? 蒼玉殿下、神託を間違えたじゃないですかぁ? だから、貴族はどう思ってるのかな~ってぇ」

「兄上が間違えただと?」

 湖宇の目に期待の光が宿る。国王も、我に返ったように椿を見た。

「そうですよぉ。あの方、『雪晴王子は侍女に殺されるだろう』っておっしゃってたのにぃ、真犯人は別にいたじゃないですか~」

「そ……そういえば。たしかにそうだ」

 国王が、かすかに生気を取り戻す。湖宇は、再び浮上した船──もとい国王の手を握り、鼻息荒く告げた。

「そうです、椿の言う通りです! 父上、諦めるのはまだ早い。しっかりなさってください! 貴族や神官どもを見返してやりましょう!」

「おお、湖宇……ありがとう。そうだな、しっかりとお前を助けねば。お前が王になれば、余も王妃も心穏やかに過ごせる」

「はい! 蒼玉兄上や雪晴など、蹴落としてみせます! やるぞ、椿!」

「えっ。な、何をですかぁ?」

 パッと立ち上がった湖宇に、椿はうろたえつつ追従する。
 湖宇は椿に顔を寄せ、満面の笑みを浮かべた。

「宴の準備さ。貴族を集めて、蒼玉兄上の失敗を大々的に話してやるんだ!」

「なるほどぉ。じゃあ私も一生懸命頑張りま~す」

 湖宇と椿が部屋を出る。その背中へ、王妃が慌てて声をかけた。

「待って、湖宇ちゃん。私、やっぱり……」

 ふわふわとしたその声は、湖宇にも椿にも、国王にも聞こえていなかった。
 
 その三日後──第一王子蒼玉、第二王子湖宇、そして第三王子雪晴のもとに、王太子選定の試練について、正式な知らせが届いた。
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