〈銀龍の愛し子〉は盲目王子を王座へ導く

山河 枝

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雪晴の覚醒

77 綺麗だよ

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「は、離してくださ──」

「嫌だ」

 雪晴は、低い声で水奈の言葉をさえぎった。

「私は怒っているんだよ。まったく、ひどいじゃないか。罰として、『君の前では目を閉じる』という約束は無しだ」

「そんな……私の何にお怒りなのです?」

 水奈は眉尻を下げ、横を向いたまま聞き返した。
 そこへ雪晴の手が伸びてくる。水奈は頭を両手で包まれ、正面を向かされた。
 水奈と雪晴の視線が、間近でぶつかる。

 水奈は、雪晴の瞳にかすかな悲しみを見て取り、目をそらせなくなった。

「今朝、何度も祈っただろう? 私へ神託を視せるために。あれは、最期の置き土産のつもりだったんじゃないか?」

「それは……おっしゃる通りです。申し訳ありませんでした、殿下にお辛い思いをさせて……」

「そこに怒ってるんじゃない」

 雪晴の声にまで、切なさがにじむ。

「私のことなんか構わずに、抵抗するなり逃げるなりしてほしかった。一昨日の夕方もだ。私の食事を気にして、握り飯を届けさせてる場合じゃないだろう」

 それでも雪晴が心配だった──水奈は思ったが、口にすれば雪晴を悲しませるかもしれない。ただ、このまま鱗を見られることも耐えがたい。

 神官たちが見ているから、と言って雪晴から離れようとしたが、タカと天道は言い合いを続けながら、どんどん先に進んでいく。

「誰よりも大切な君を、君自身が後回しにした。だから腹を立てているんだ。それに、こんなに綺麗なものを『見ないでくれ』だって?」

 雪晴は、すねたように眉を寄せ、さらに水奈へ顔を近付けた。そして、誰もが「絶対に口付けたくない」と思うであろう箇所へ、愛おしげに口付けた。

「……え?」

 水奈の目の泳ぎが、ぴたりと止まる。頭が真っ白になり、「まさか」という言葉がいくつも心に浮かんでくる。
 雪晴の唇が触れたのは、水奈の左頬──鱗が生えている部分だった。

 呆然とする水奈へ、雪晴はまた口付けを落とす。今度も鱗の上へ。
 水奈は我に返り、慌てて雪晴の胸を押した。

「殿下! そ、そのようなこと……こんな、汚いものに……!」

「汚くないよ。綺麗だって言っただろう? 水奈の一部だからかな。忌み嫌われるものだと知っていても、全然不快じゃない。むしろ、こうするとどんどん見た目が変わって飽きないよ」

 雪晴は話しながら、首を傾けていく。
 おそらく、見る角度によって鱗の色が変わることを言っているのだろう。

 水奈自身は、腕や脚にある少量の鱗でそれを知った。手足を動かすと、鱗のきらめきが青から黄、緑へと変化する。
 白銀城へ来たばかりの頃、洗濯女たちに「気味が悪い」と言われた性質だ。

 それを雪晴は「綺麗だ」と言い、楽しげに首を傾けては、水奈の鱗をなでている。
 水奈の胸に、恋よりももっと温かな何かが込み上げてくる。

「雪晴、殿下……」

「うん?」

「私、気持ち悪く……ないですか?」

 水奈は、小さな子どもになったような心地で、震える手を握りしめ、雪晴を見つめ返した。
 雪晴は、声と瞳の悲しみを消し、優しく微笑んだ。

「もちろんだよ」

「汚くないですか……?」

「綺麗だよ、とても」

「本当に?」

「本当だ」

「でも、私……私は……」

 水奈は、目の周りに熱が集まっていくのを感じた。ぼやけていく視界の中で、雪晴の笑みが完全に見えなくなった瞬間、彼は水奈を抱きしめた。
 
「『水奈が汚い』なんて言葉、もう聞きたくない。君が自分で言うのも嫌だ。水奈は、こんなに綺麗なんだから」

 雪晴が、水奈の頭をなでてくる。「綺麗だよ」とくり返しながら、呪いを払い落とすように髪をなでる。

 水奈は、雪晴との間に築いてしまった壁が、サラサラと崩れる音を心で聞いた。
 崩れた破片がこぼれるように、水奈の目から涙があふれる。

「も、申し訳ありませ……殿下……私、泣いてばかりで……っ」

「構わないよ。私にとっては、いいことがあるからね」

「いい、こと……?」

「人前で水奈を抱きしめても、慰めているように見えるだろう? 『恥ずかしげもなく』なんて叱られずに済む」

 雪晴は笑い声を漏らすと、抱きしめる手に力を込めた。
 水奈もつられて小さく笑い、肩の力を抜いた。左頬を雪晴の胸元にこすりつけ、そのまま身を預けようとした時。

「きゃっ⁉︎」

 思いもしなかった衝撃が後ろから来て、水奈は短く叫んでしまった。
 
「な、なんだ?」

 雪晴も目を丸くしている。水奈と雪晴は、そうっと衝撃の正体を見た。

 水奈の背中に、背の低い誰かが抱きついている。
 水奈はさらに首をねじり、肩越しに相手を覗き込んだ。そこにいたのは、おかっぱ頭の少女だった。

「……カリン?」

 水奈は、まだびっくりしている心臓を落ち着けるように、深呼吸をして尋ねた。
 カリンは、グスグスと鼻をすする合間に声を張り上げた。

「よかったぁー! 水奈、生きてたあ!」

「カリン、心配して来てくれたの?」

「だってぇ、みんながぁ、水奈が死刑だって言うからあ!」

 カリンは顔を上げた。両頬をびしょびしょに、鼻の下をベタベタにしながら泣き喚いている。

「こら、カリン! ちょっと離れな。王子様の着物にまで鼻水がついちまう!」

 カリンを追いかけてきたのか、彼女の背後に出っ歯の洗濯女が立った。出っ歯の洗濯女は、カリンの首根っこをつかみ、水奈から引き離した。

 そこで水奈は、周りの状況が変わっていたことに気付いた。洗濯女たちを始め、使用人が大勢集まっている。

「なんだ? 魚女のやつ、生きてるぞ」

「雪晴王子が神託を視たとかで、回り回って放免されたらしい」 

「へえ! それじゃ、雪晴王子も王太子選定の試練に参加なさるのか」

「恥呼ばわりされてた方がなあ……奇跡ってのは起きるもんだね。俺にも瑠璃玉やら金塊やら、誰かくれねえかな」

 使用人たちは仕事そっちのけで、好き勝手に噂を始めた。それに気付いた見回りの兵士が数人、注意しようと駆けてくる。
 が、兵士が叱責を放つ前に、銅鑼を地面へ叩きつけたような怒声が飛んできた。

「おいっ! なんで魚女がここにいる⁉︎」

 使用人ばかりか、屈強な兵士までもが跳び上がる。

「この大罪人め、牢屋を脱走したのか⁉︎」

 群衆を押しのけ歩いてきたのは、桃色の半纏をまとう火乃だった。

 水奈の脳裏に、火乃が雪晴を沼へ落とした、あの時の光景がよみがえる。思わず、雪晴をかばうように前へ出た。

 しかし、雪晴は意味深な笑みを浮かべ、ボソッと呟いた。

「兵士がいる時に向こうから来てくれるなんて、手間が省けたな」
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