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雪晴の覚醒

69 疑念

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「この不届き者が!」

 国王が、怒りに顔をゆがめ、水奈を睨みつけてくる。

「洗濯女の分際で、湖宇だけでなく、別の王族にまで手を出すとは!」

(違います、私は何もしていません!)

 水奈は、激しく首を横に振った。それを国王は鼻で笑い、今度は気遣わしげに湖宇を見た。

「湖宇。今のこいつは奏者ではなく、ただの洗濯女だ。何をしようと銀龍様の罰はくだらんだろう。地下牢に投獄してやろうか? それとも追放か?」    

「父上、何をおっしゃいます! こんなやつ、首を斬ってしまえばいい!」

 湖宇が、鼻息荒く水奈を指す。

「こいつのせいで、僕は死ぬところだったんですよ? それに、魚女を城のそばに置いたら、また銀龍様のお怒りを買うかもしれません!」

「そ、そうか。お前がそう言うなら──」

「父上」

 静かな、しかし異様に圧を含んだ声がした。
 水奈も兵士たちも、湖宇や国王でさえ、息をのんで声の主に注目する。

 国王の斜め後方に立つ青年──第一王子蒼玉が、冷ややかに国王を見ていた。

「王族の命を狙ったことは、厳罰に値します。しかし、先程報告を受けましたが、雪晴は死んでいないそうですよ。処刑はやり過ぎでは?」

「何だって、雪晴が生きてる⁉︎」

 湖宇が目を剥いた。が、すぐにニタニタと口元をゆがめる。

「おっかしいなぁ。あの能なしは、魚女に殺されるんでしょ? 兄上、神託を読み間違えましたね? これだから側室の子は」

「俺は、『雪晴に危機が迫っている』と言ったんだ。死んだ、とは言っていない。お前こそ聞き間違えたようだな。嫡男のくせに情けない」

「なっ……」

 湖宇は声を詰まらせ、そばにいる護衛たちに「お前ら、よくも言い間違えたな!」と怒鳴った。

「とにかく」

 蒼玉が、鬱陶しそうに湖宇を睨みつつ、口を開く。

「被害者は、あの雪晴。しかも、まだ生きている。父上、魚女は地下牢への投獄が妥当では?」

「父上っ! 僕はこいつに恥をかかされたんですよ⁉︎ 死をもって償わせるべきです!」

 湖宇と蒼玉が言い合う。国王は「落ち着け」と湖宇をなだめ始めたが。

「ハッ! まさか、雪晴ごときを守ってやろうというのですか? 父上」

 蒼玉に鼻で笑われて、国王はギッとまなじりを吊り上げた。

「馬鹿な! 王家の恥がどうなろうと知ったことか!」

「では、魚女は投獄なさいませ。首を斬れば、『陛下は雪晴王子を大切になさっているのか』と家臣に言われてしまいますよ」

「そんなことはありません! 父上、兄上の言葉などお気になさらず。僕をけがした魚女を許せば、『国王は湖宇を軽んじた』と思われますよ!」

 湖宇が言い立てると、国王はハッとして湖宇を見た。

「そう……だな。では、魚女は斬首刑に処す! 兵ども、一旦こいつを牢へ入れておけ。日取りは後ほど決める!」

「やった! ありがとうございます!」

 湖宇は国王の腕にじゃれつき、飛び跳ねて喜んだ。国王は「こらこら」と幼子へ向けるような笑みを浮かべている。
 二人を眺める蒼玉は、眉間に深くしわを寄せている。

 そんな三人を前に、水奈は呆然とした。

(斬首…… 私が? まさか、どうして……)

 なぜ、こうなってしまったのか。何が起きているのか。水奈は現状をのみ込めず、立ち尽くした。
 そうしていると、ふと視線を感じた。

 水奈が目をやると、視線の主は蒼玉だった。いつの間にか眉間のしわを消し、水奈をじっと見ている。

 好意はかけらも感じないが、何かを訴えてくるような目つきだ。

(何……?)
 
 水奈はたじろぎ、何が言いたいのか、と蒼玉を見つめ返した。しかし、兵士に縄を引かれて、蒼玉の真意を知ることはできなかった。

 兵士が全員ついてくるのかと思いきや、水奈の付き添いは、若い兵士と荒樫の二人だけだった。
 荒樫に先導され、城の裏手から石階段を下りていく。

 初めて入る地下牢は、想像以上に暗かった。
 かがり火から漂う焦げた匂いと、汚水の臭いが混じり合い、奥へ行くほど強く鼻を刺す。

「こっちだ、入れ」

 荒樫が、比較的外に近い牢へ水奈を誘導した。そして、縄を引く兵士に声をかけた。

「猿ぐつわと縄を外してやれ」

「よろしいのですか?」

「構わん。ここまで静かだったんだ、今さら騒がんだろう。思い余って舌を噛み切るとしても、さらし者にされ、首を斬られるよりはマシかもしれん」

「かしこまりました。では……」

 兵士が水奈の後ろへ回り、まず猿ぐつわを外した。

「ぁ……あ」

 水奈の口から、言葉にならない声が漏れる。ずっと布を噛んでいたので、口がうまく動かなかった。

「あり、がとう……ございます」

 水奈はたどたどしく礼を言い、荒樫に、それから兵士に頭を下げた。
 二人からの返事はなかったが、伝わってくる空気感は少しやわらいでいた。

 その空気感を頼りに、水奈は二人へ尋ねた。
 
「雪晴殿下は、これからどうなりますか?」

 荒樫と兵士は、戸惑いの表情を見合わせた。口を開いたのは、荒樫だった。

「殿下のもとには、新しい侍女が来るだろう。それに、神殿の者が補佐をするかもしれん」

「神殿の……? 神官様も殿下にお仕えする、ということですか?」

「ただの予想だ。神官長が雪晴殿下を支援するらしい、と風の噂で聞いたからな」

「そうでしたか。その話が、白銀城まで伝わっていましたか……それなら、神殿が殿下を助けることは、確定していると言えそうですね」
 
 水奈は、ホッと肩の力を抜いた。
 神官が雪晴のそばにいれば、侍女は雪晴に手を出しにくいだろう。

 食事の質も上がるはずだ。
 琴祭のあと、神官たちが引きも切らずに訪ねてきた時。彼らが携えてきたもの──神殿に納められた米や野菜、豆などが、台所に山と積まれたのだった。

 火乃も、人が多ければ雪晴の命を狙いにくくなるだろう。
 そこまで考えた時、水奈の心にふと暗い思惑が浮かんだ。
 
(荒樫様に、『雪晴殿下を狙ったのは火乃様だ』と言ったら、私の濡れ衣を晴らせるかしら……)

 ただし、そうなれば厳罰に処されるのは火乃だ。
 雪晴と水奈が助かる代わりに、火乃を奈落へ落としてもいいのだろうか。搾取されてきたとはいえ、拾ってもらった恩があるのに──。

 迷っていると、荒樫が声をかけてくる。

「おい、魚……いや、洗濯女」

「は、はい」

 呼び方の変化に目を丸くした水奈へ、荒樫はためらいつつ尋ねてきた。

「お前は……本当に、雪晴殿下を殺そうとしたのか?」

「隊長⁉︎ 何を──」

 ぎょっとする兵士の言葉を、荒樫は手で制した。

「わからなくなったのだ。この娘が、雪晴殿下の殺害を企てたとは思えん。お前もそうだろう?」

 問われた兵士が目を泳がせる。荒樫はその様子をチラッと見て、また水奈に向き直った。

「洗濯女、答えろ。雪晴殿下は、『別の者のしわざだ』と言っていたな? あれは真か?」

「……そう、です」

 荒樫の視線に真正面から射られて、水奈は嘘をつくことができなかった。

「本当は、誰が雪晴殿下を沼に落とした?」

「洗濯女長の、火乃様です……」

 罪悪感にチリチリと胸を焼かれながら、水奈は答えた。荒樫は角張ったあごをなでながら、「洗濯女長が?」と眉を寄せた。

「なぜ、洗濯女長が雪晴殿下を狙う?」

「その……湖宇殿下に命じられた、というようなことを申しておりましたが……」

「湖宇殿下が、雪晴殿下を殺そうとなさったのか?」

「隊長、しかしそれは……」

 兵士が困ったように呟く。荒樫は兵士にうなずきを返し、水奈に言った。

「それは、少々考えにくいな」

「で、ですが実際に見たのです。あの人が、雪晴殿下を沼へ落とすところを」

「だとしても、湖宇殿下の指示というのが腑に落ちん。あの方は、雪晴殿下を利用なさってきた。これからもそうしてやろう、とお考えだろう。それを……いきなり殺そうというのは、不自然な気がするのだ」

 水奈はハッとした。たしかに、という思いが、頭の芯からじわじわとにじみ出す。
 黒幕が湖宇でなかったとしたら、誰かが彼の名を騙り、火乃と交渉したのだろうか。

 水奈が、モヤモヤと疑問を頭の中にめぐらせていると、荒樫が肩を叩いてきた。

「とにかく、早急に洗濯女長を調べてみる。うまくいけば、処刑が中止されるかもしれん」

「あ……ありがとうございます!」

 水奈の声が、地下牢に響いた。水奈は首を縮こめて、「申し訳ありません」と小声で言った。
 荒樫と兵士が、思わずといったように苦笑を浮かべる。

「あまり期待はするなよ。それから、なるべく大人しくしていろ。うるさくすると、看守が猿ぐつわを持ってやってくるぞ」

「はい……気をつけます」

「では、牢に入れ。そろそろ鍵を閉めないと、怪しまれるからな」

 話している間に、兵士が縄をほどいてくれる。水奈が牢の奥へ行くと、ガシャン、と重い金属音が響いた。それに続いて、荒樫のささやきが聞こえる。

「あとで、私の昼食の飯を握って持ってきてやる」

「いえ、それは雪晴殿下に」

 反射的に言い返した水奈へ、荒樫は呆れたように笑った。

「わかった、では二人分用意しよう。おい、一食分の飯だ。我慢しろ」

「えっ、俺の分を殿下に……ってことですか?」

「そうだ、行くぞ」

「うう……わかりました。仕方ない、一食ぐらいなら……」 

 荒樫が颯爽と、兵士はトボトボと去っていく。
 
 水奈は心で「ごめんなさい」と兵士に謝った。
 そして、「嫌です」と言わずにいてくれたことに感謝した。

(あの人たちを信じてもいいかしら)

 水奈は、かすかな希望を胸に、牢の隅でうずくまった。
 その翌日。水奈のもとへやって来たのは、予想だにしない人物だった。
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