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琴祭の奇跡

54 貴族VS神官

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「あんな顔で、よく生きていられますわね。私ならとっくに自害してるわ」

「汚らわしい洗濯女め、俺のそばを歩きやがって……帰ったら念入りに体を清めないと」

 聖なる色をまとった貴人たちが、毒を仕込んだような声でささやき合う。水奈はしっかり前を見ていたが、重苦しい気持ちからは逃げられなかった。

 その時、水奈の前を歩いていたタカが、後ろを振り返った。眉間には、深いしわが刻まれている。

「今、お話しされた方はどなたです? ここは、銀龍様に最も近い場所ですよ。奏者をおとしめる言葉はお控えください」

 口調は丁寧だが、声は剣のように鋭い。口の端は怒りのためにゆがんでいる。
 
 ついさっきまで優しかった表情が、今は地獄鬼のようだ。水奈は身をすくめた。

 貴族たちも一斉に黙り込む。最上級貴族らしき老人だけは、「神官ふぜいが」と文句を言おうとしたが、周りを見て慌てて下を向いた。

 広間の壁際に立ち並ぶ、槍を持つ神官兵が目に入ったのだろう。険しい表情で、水奈の周囲にいる貴族を睨みつけている。

 彼らの目が、ふと水奈を見る。瞳がにわかに輝いた。
 期待。畏敬。それらが水奈へと押し寄せてくる。

(ありがたいけど……少し、怖いわ)

 彼らの期待を裏切れば、暴動が起きるに違いない。
 水奈は、すくみそうになる足を動かし、また歩を進めた。

 と、タカがチラッと水奈を振り返る。

「水奈殿、申し訳ありません。配席は陛下がお決めになりまして、神殿の一存で変えることができず……」

「? 席に問題があるのですか?」

 尋ねたが、タカは唇を噛むだけで答えない。
 水奈は怪訝に思い、視線をめぐらせて奏者の席を探した。そして、広間の奥に目を留めた。

 琴爪をつけた人々が、二十人ほど鎮座している。
 そこから少し離れた壁際に、若者がいる。

 そばに置かれているのは、見慣れた杖──雪晴だ。普段の着流しではなく、正装をまとって正座している。

 長い黒髪は頭のうしろで結われ、まげになっているらしく、黒い布の冠に収まっている。
 白のほうは、たっぷりとした布地で作られ、雪晴の背中をいつもより大きく見せている。

 華奢な印象はない。力強いとさえ思える。

 別人のような雪晴に、水奈の心臓が大きく跳ねた。
 が、雪晴の真横にあるものに気付き、サッと青ざめる。

(あれは……窓⁉︎ どうしてあんな場所に!)

 岩壁に、人の頭が通るほどの穴が穿うがたれている。蓋はされていない。つまり、あそこから外気が入ってくるのだ。
 あの前にいれば、てつく風は避けられない。

 水奈の動揺に気付いたのか、タカが悔しそうに言った。

「せめて肩掛けをお持ちしようと、皆で探したのですが、白や青のものがごっそり隠され──いえ、消えていて。琴祭の衣装の色は、厳格に定められておりますので、代わりのものを用意できず……申し訳ありません」

 それを聞いて、水奈は拳を握りしめた。
 配席したのは国王。だとしたら、わざと雪晴を風の当たる場所へ座らせたに違いない。

 そこで、同情派のタカたちが防寒具を用意しようとした。しかし、怨恨派の者たちが先回りして隠したようだ。雪晴への嫌がらせとして。

(いつから……いつから殿下は、あそこに座っていらっしゃるの?)

 水奈は駆け出したいのをこらえて、慎重に、裾を踏まないように歩を進めたが。

「水奈殿のお席はこちらです。殿下の隣にお座りください」

 と、タカが言うや否や、水奈はとうとう小走りで雪晴に駆け寄った。しゃがみ込むと同時に、見習いの少女が、驚いたように打掛の裾を離すのが、視界の端に見えた。

 水奈はすまなく思ったが、焦りのあまり、手が勝手に動いて雪晴の肩を叩いていた。

「殿下、大丈夫ですか」

「水奈?」

 雪晴が水奈の方へ顔を向ける。彼は驚きに眉を上げていたが、すぐ嬉しそうに笑った。

「ここはお寒いでしょう。お手を失礼いたします」

 水奈は雪晴の手を握った。想像していたよりは冷えていない。だが、温かいとも言えない。

 せめて、自分の体温と同じくらいになるまでは。そう思って、水奈は雪晴の手を握り続けた。
 すると、雪晴がふっと笑った。

「いい席に案内してもらったな」

「何をおっしゃいます。冷たい風が吹き込んできますのに」

「だからいい席なんだよ。こうして水奈が心配して、手を繋いでくれる」

「……! もう、おふざけにならないでください」

 水奈は怒ってみせたが、内心ではホッとしていた。雪晴は震えておらず、それほど寒がっていない。
 無事で何よりだ。そう考えたのは、雪晴も同じだったらしい。

「よかった、思ったより緊張していないね」

 雪晴は、肩の力を抜いて言った。

「神殿の入り口で別れてから、水奈が気になってたんだ。嫌なことを言われていないか、辛い思いをしていないかって」

「私は大丈夫です。神官様たちが、とてもよくしてくださいました。殿下こそ、何もありませんでしたか?」

「最初は色々うるさかったけど、着替え中にピタッと黙ってくれたよ」

「お着替えの時に? どうしてでしょう」

「さあ……ずいぶん驚いていたようだけど。ああ、そうだ。驚いたといえば、さっき急に神託が──」

 と、雪晴が声をひそめた時。

「おっと、生臭いと思ったら我が弟とその侍女じゃないか。影が薄いから気付かなかった」

 品のない声が聞こえた。水奈は、眉をひそめて声の主を見た。
 湖宇と椿がニヤニヤしながら水奈たちを見ている。

「ああ、臭い。沼の匂いで鼻が曲がりそうだ」

「本当ですわね~。お体に染みついてらっしゃるんでしょうねぇ」

「しかも侍女には鱗が生えてるときた」

「嫌だぁ、気持ち悪い~。臭さ倍増ですわぁ」

 周囲にクスクス笑いが広がる。貴族の奏者たちは口元を抑え、体を震わせる。そのうち爆笑が起きるかと思われたが。

 ──ドォンッ!

 神官兵たちが、そろって槍の底を床に叩きつけた。

 笑いの波は即座に消えた。湖宇が「なんだ?」と怯えている。

 一番年かさの神官兵が、しわがれた声で、がなるように告げる。

「これより神官長が参ります! 皆様、静粛に願います!」

「もう? 時間を間違えてないか? いよいよ頭の方も衰えてきたか」

 湖宇がボソッと呟く。小声だったが、静まり返った広間ではよく聞こえた。
 少なくとも、奏者全員の耳には届いただろう。椿が焦ったように湖宇の肩を叩く。

「湖宇様ぁ、今のはちょっとまずいですわよぉ」

「だ、誰のことだとは言ってないぞ!」

「……皆様」

 うろたえる二人の会話に、老人の静かな声が重なる。
 空仙が広間に入ってくる。

「これより、琴祭を始めます。銀龍様が見ておいでですので、今宵の酒や馳走の話はもちろん、他者を貶すなどもってのほかです。言葉が過ぎると、銀龍様の罰がくだりますぞ」

「何だと……! 僕を脅すつもりか?」

 湖宇は歯ぎしりをして立ち上がり、空仙を指した。広間中の視線が、湖宇から空仙へと流れる。
 空仙は顔色を変えず、苦笑して答えた。

「誰のことだとは、申しておりませんが」

「なっ……!」

 湖宇の顔がみるみる赤くなる。二言三言、もごもごと何やら呟いたが、ついに黙り込み、ドスン! と腰を下ろした。

 空仙は、人々の間を歩き、最奥にある池の手前で立ち止まった。そこで観覧席を振り返り、おごそかに開会の言葉を述べる。
 その声に紛れて、湖宇と椿は顔を寄せ合い、何か話している。

「あのジジイが……」

「むかつきますねぇ~……」

 漏れ聞こえてくるのは空仙の悪口だ。水奈が呆れていると、雪晴が「水奈」とささやいてきた。
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