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琴祭の奇跡

47 神殿の問題

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「そうおっしゃるということは……私が神託を視たと、信じてくださるのですか?」

 雪晴は、言葉を確実に届けるように、ゆっくりと尋ねた。すると空仙は、すまなさそうに首を振った。

「信じる、とまでは言い切れませぬ。〈銀龍の愛し子〉についてタカから聞き、水奈殿の力を見たことで、『雪晴殿下は真に神託を得られたのか』と、考え始めたところです。ただ……」

 空仙は、雪晴の顔をしっかりと見つめた。

「ずっと、確かめたいとは思っておりました。殿下のご様子は、タカから聞いておりましたから。殿下が水を視ておられること。そして、数多の神託をご覧になっておられるだろう、と」

「そうだったのですか……しかし、ずっと気になさっていたのなら、なぜ今になって?」

 雪晴は怪訝そうに眉をひそめた。
 空仙は責められたと思ったのか、怯んだように目を伏せた。そうしながらも、明瞭な声で答える。

「問題が解決するやもしれぬからです」

「問題? 神殿のですか?」

 雪晴の問いに、空仙はうなずいた。

「そうです。今、神殿には二つの派閥がございましてな」

「……私に対する同情派と、怨恨派ですか?」

「うむ……一旦、そう考えていただいて結構です」

 含みのある言い方に、水奈と雪晴は首をかしげた。
 しかし、タカが「続きを」とうながしたので、質問はできなかった。

「神官長である私が、雪晴殿下と面会すれば、怨恨派の反発が強まる。殿下へ直接嫌がらせをする者が現れましょう。神事にも影響が出ます。ですから、様子見に徹していたのですが……」

 空仙は一度口を閉じ、声に決意を乗せて、また話し始めた。

「本当に奇跡が起きるのなら、反発を覚悟で、殿下に力をお貸ししたいと思いました。神官たちが、『雪晴王子は神託を視た』と納得すれば、二つの派閥が一つになるやもしれませんから」

「何ですって? どういうことですか」

 雪晴は、空仙の方へ身を乗り出した。そこで、タカが雪晴に声をかけた。

「殿下、その話はいずれまた。私も神官長も、夜までに神殿へ戻らねばならないのです」

「そうか……そうだったな。それでは空仙殿。事がうまく運べば、詳しく聞かせてくださいますか?」

「無論です」

 空仙は即座に答えた。それを受けた雪晴は、緊張した面持ちでまた尋ねた。

「そして、二つの派閥が一つになった暁には、私と母を許してくださいますか?」

 空仙はハッと身を硬くし、「いえ」と呟いた。

「許すも何も、私は殿下を憎んでおりませんぞ」

「ですが私の祖母は、あなたの兄君を……」

「そうですね。兄を裏切り、不貞をおこなった。しかし、そのことはあなた様には何の関係もございませぬ。凛花殿にも」

 空仙の声は穏やかで、心を包み込もうとするかのようだ。

「謝るのは、むしろ私どもの方です。元神官であった凛花殿や、その御子である殿下に、何の助力もできず申し訳ありません。殿下に手を差し伸べれば、怨恨派が暴動を起こしかねませんので……」

 空仙は苦しげに眉を寄せ、うなだれた。
 立場上、易々と頭を下げられないが、謝罪は示したい──そうした気持ちが伝わってくる。

「仕方ありませんよ、神官長」

 タカが、空仙の丸まった背中を指でつついた。

「私がここへ通うのを見逃してくださった。それだけで充分です。嘘が苦手なのに、頑張ってくださって感謝します」

 タカが肩をすくめると、空仙は苦笑いを返した。

「わかってくれるか。それなら少し、ここへ通うのを控えて……」

「あっ、それは嫌です」

「……そうじゃろうな」

 二人のやり取りを見ていた水奈は、ふうっと息を吐き出し、肩の力を抜いた。

(神官長様は、雪晴殿下にわだかまりを持っておられないのね。それなら、時機が来れば殿下を助けてくださるかしら)

 水奈は雪晴を見た。彼は押し黙り、膝に置いた手をかすかに震わせている。
 ふいにその両手が浮き、畳に置かれた。

「ありがとうございます、空仙殿」

 雪晴は、畳にひたいが触れるほど深く頭を下げた。
 それから上体を起こし、静かに息をついて、水奈の方を向く。

「じゃあ……そろそろ演奏を聞いていただこう。水奈、琴を頼めるかい?」

「はい、何をお弾きしましょう?」

「もしよければ、『百重の波紋』を。殿下と練習しているのじゃろう?」

 空仙に言われて、水奈はうなずいた。部屋の隅に立てかけておいた琴を、二面とも床に置く。

「殿下、どうぞこちらへ」

 水奈は雪晴の手を引き、片方の琴のそばへ座らせた。
 
「えっと、水奈……私も弾くのか?」

「水奈殿、儂が聞きたいのはあなたの琴なんじゃが……」

 雪晴は不安げに、空仙とタカは戸惑うように眉を寄せている。
 そんな三人の顔を一つひとつ見つめながら、水奈は言った。

「私も演奏いたしますが、『百重の波紋』は二人の奏者による楽曲でございます。私一人では、完全な曲になりません。そのような半端なものを、神官長様にお聞かせするわけには参りません」

 美しい曲には、無駄な音など一つもない。逆に言えば、意図もなく音を消した曲は、不完全なのだ。
 だから、まずは完璧に弾けるよう練習すべき──水音の教えを胸に、水奈は巾着から琴柱を取り出した。

 すると突然、

「はっはっは!」

 と、部屋いっぱいに大笑いが響いた。
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