〈銀龍の愛し子〉は盲目王子を王座へ導く

山河 枝

文字の大きさ
上 下
44 / 127
琴祭の奇跡

43 浮き立つ水奈

しおりを挟む
「ごめん、ごめん」

 雪晴は笑いながら、水奈の肩から手を離した。
 その動作は、どことなくぎこちない。

 水奈は、雪晴をじっと観察した。
 笑う唇の端が、かすかに引きつっている。不安を隠そうと努めているのが伝わってくる。

(もしかして……わざと、おふざけになった?)

 水奈が奇跡を起こすためには、いくつもの壁を超えなくてはならない。もし失敗すれば、何もかも終わりだというのに。

 水奈は強い不安を覚えたが、雪晴も同じだったらしい。

 その上で雪晴は、「不安を明かせば、水奈を余計に動揺させる」と考えたのだろう。だから、水奈にじゃれついて本心をごまかしたのだ。

(きっと私、暗い声で話してたのね。殿下に心配をおかけしちゃった。元気を出さないと)

 水奈は、ぎゅっとまぶたを閉じて、自分の頬を軽く叩いた。
 それから雪晴に向き直り、

「殿下、ご安心ください」

 と、言った。

「安心?」

「はい。琴祭では、何があっても全曲を演奏してみせます。きっと奇跡は起きます!」

「……ええと、それは」

 雪晴は、困ったように眉を下げた。

「策があるのかい?」

「えっ、それは……たとえば、あの……ほ、ほかの奏者の琴を、頑張って奪い取ります!」

 水奈は雪晴の手を取り、叫んだ。腹に力を込めすぎて、声が上ずってしまった。

 雪晴は数秒ほど呆けていたが、いきなり上を向いたかと思うと、

「あっはははは!」

 と、大笑いを始めた。

「……申し訳ありません。馬鹿なことを申しました」

 水奈は、自分の幼稚な発言が恥ずかしくなって、首をすくめた。

「いや、違うんだ。湖宇兄上がどんな顔をするか想像したら、おかしくて。そこへ奇跡が起きたら、ひっくり返るだろうな」

 雪晴は、閉じた目の端ににじむ笑いの涙をぬぐった。そして楽しげに続けた。

「奇跡が起きるなら、琴を奪い取る作戦もいいかもしれないなあ」

「えっ! 本気ですか?」

 水奈が仰天して尋ねると、雪晴は、

「奇跡を起こせずに神官たちを怒らせるよりはマシだ」

 と、本気とも冗談ともつかない微笑みを浮かべた。
 その微笑みが、ふいに消える。

「ただ、演奏中に奪うのは絶対に駄目だけど。銀龍様は琴がお好きだからね。憩いの時間を邪魔したら、かならずお怒りになるよ」

 「かならず」とは、ずいぶん強く言い切るものだ。水奈が目を丸くすると、雪晴は水奈の驚きを察したのか、説明を始めた。

「神殿は、銀龍の寝所とも言われてる。この国の中で、銀龍様に最も近い場所なんだ。そんな場所で銀龍様を怒らせたら……」

「……すぐに天罰がくだりそうですね」

「そう。タカに聞いたんだけど、実例もいくつかあるらしい。顕著なのは、先々代国王の話かな」

 先々代国王は、〈銀龍の愛し子〉の存在を隠すため、タカの祖父や神官たちを殺した人物だ。

の王は、ある時期から神殿を徹底的に避けていたが、どうしても参加しなくてはならない儀式があった。仕方なく神殿へおもむいたものの、いきなり苦しみ始めて、亡くなったそうだ。健康そのものだったのに。それを聞いた時、何が起きたんだろうと不思議だったけど、水奈の話で納得したよ」

 銀龍に仕える神官たちを殺めたせいで、怒りを買ったのだろう、と雪晴は続けた。

「そ、そうだったのですか……では、銀龍様を怒らせないよう、気をつけなくてはいけませんね」

 とはいえ、そもそも琴を奪い取るつもりはない。勢いに任せて言っただけだ。
 しかし、何かの拍子に奏者の邪魔をしないよう、注意しなくては。

(ただでさえ、私には汚らわしい鱗があるんだから)

 水奈は左頬に触れながら、心に刻んだ。
 と、ニコニコしている雪晴が目に入る。

「殿下? どうかされましたか?」

「いや、天罰の話は半分冗談のつもりだったんだけど。水奈が大真面目に受け取ったみたいだから、可愛いなあと思って」

「! わ、私、食器を片付けて参ります!」

 水奈は顔が赤らむのを感じながら、すくっと立ち上がった。雪晴は笑顔のまま、

「ありがとう。じゃあ、私は布団を畳んでいるよ」

 と、言った。

「片付けが終わったら、琴の練習をしようか。いいだろう?」

「あ……はい」

 雪晴にはもう少し休んでもらおうと思っていたのだが、流れるように言われて、ついうなずいてしまった。

 それに、雪晴は──水奈も他人のことは言えないが──こうと決めたら、なかなか折れてくれない。水奈は、諦めて食器を台所へ運んだ。

 茶碗や匙を洗いながら、水奈は雪晴の表情を思い返した。

(『琴の練習をしよう』とおっしゃった時、自然な笑顔をなさっていたわ。たくさん笑って気が紛れたのかしら)

 だとしたら、「琴を奪い取る」という馬鹿げた提案も、役に立ったと言えるだろう。

(変なことを言ってしまって恥ずかしかったけど、殿下がお元気になられたならよかった。それに……タカ様のおかげも、あるかもしれない)

 タカに頼めば、一つ目の問題は解決するはず。雪晴が気持ちを立て直せたのは、そんな期待もあるからだろう。

(最高位の神官様だもの。琴祭でどんな曲が演奏されるか、きっとご存知よね)

 そう考えると、水奈の心まで期待に満ちていく。

(ああ、待ちきれない。早く知りたいな。どんな曲が演奏されるんだろう)

 水奈は食器を洗う間、頭に曲が浮かんだそばから鼻歌を歌った。

 雪晴の部屋へ戻り、琴の準備をしている時には、こう言われてますます浮き立った。

「ひょっとするとタカは、ほかにも有益な情報をくれるかもしれないよ。最高位の神官なら、神官長と関わることも多いだろうし」

 *

 翌日。洗濯仕事を終えた水奈は、カエデの森を小走りに進んだ。

 洗濯場を発つ時間が遅かったのではない。むしろ、いつもより早いくらいだ。
 しかし、気が急いていた。

(雪晴殿下は、タカ様からどんなお話を聞かれたのかしら)

 琴祭ではどんな曲を弾くんだろう。
 落ち着いた曲だろうか。それとも、勢いのある曲かもしれない。

「ふふっ」

 思わず笑い声を漏らしたところで、水奈は想像の世界にどっぷりはまっていたことに気付いた。
 足を止めて、白銀城の兵士が見回りでもしていないか、とあたりを見回す。
 
 後ろと左右には、裸木の群れだけが続いている。そして前方には、木々の向こうに沼の端が見える。
 いつの間にか、沼地のそばへ来ていたらしい。

「嫌だ、ボーッとしてたわ。しっかりしなくちゃ」

 きつく目を閉じ、頰かむりの上からパシパシと頬を叩いて、深呼吸をしていると。

「水奈? 大丈夫?」

「は、はい、問題ありま……えっ⁉︎」

 水奈は叫んで、目を開けた。森と沼地の境目あたりに、妙に楽しげな雪晴がいる。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

好きでした、さようなら

豆狸
恋愛
「……すまない」 初夜の床で、彼は言いました。 「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」 悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。 なろう様でも公開中です。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました

さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。 王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ 頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。 ゆるい設定です

【完結】愛も信頼も壊れて消えた

miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」 王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。 無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。 だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。 婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。 私は彼の事が好きだった。 優しい人だと思っていた。 だけど───。 彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。 ※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。

処理中です...