〈銀龍の愛し子〉は盲目王子を王座へ導く

山河 枝

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琴祭の奇跡

42 四度目の神託

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 水奈が手のひらを差し出す。
 そこへ、雪晴は指で文字を書き始めた。

 以前のようなたどたどしさは、ほとんどない。
 雪晴は神託を視る中で、文字を文字としてとらえることに慣れてきたらしい。
 文字の一つひとつを、しっかり区別しながら書いていく。

 おかげで水奈は、想定よりも早く神託を読み取れた。

「ミナ。コトマツリ。スベテ。カナデヨ……? これは……」

 水奈は呟きながら、頭の中で言葉を整理した。そしてすぐに、神託の意味を理解した。

 しかし同時に、「自分の理解は間違いではないか」と思わずにいられなかった。
 とても達成できない、無理難題だ、と感じたからだ。

(殿下はどうお思いなんだろう)

 水奈は、雪晴の顔を見た。
 うつむく雪晴は、じっと考え込んでいるようだ。

 首をひねる様子はない。神託の意味がわからないのではないようだ。
 おそらく、水奈と同じ気持ちなのだろう。

 困惑する二人は、しばらく黙っていた。口火を切ったのは、雪晴だった。

「……水奈。ひとまず、私の解釈を話してもいいかな?」

「はい……お願いいたします」

「『琴祭での演奏すべてに、水奈が参加する。そうすれば奇跡が起きる』──さっきの神託はそういう意味だと思うんだが、どうだろう?」

「私も、同じことを考えました……」

 水奈はそう答えて、小さくため息をついた。
 雪晴も深く息を吐き出すと、眉を寄せ、責めるように呟いた。

「銀龍様は、ずいぶん無茶なことをおっしゃるね」

 水奈も似たようなことを考えたが、黙ったままうなずいた。
 銀龍への不満をはっきり口にするのは、不敬な気がした。

 とはいえ、黙っていては話が進まない。
 雪晴もそれをわかっているらしく、仕切るように話し始めた。

「水奈が、琴祭で全曲を演奏する。そのためには、問題が三つあるよ」

「三つ、ですか?」

「ああ。一つ目の問題は、琴祭でどんな曲が演奏されるか、わからないことだ」

 『滝の宴』と『百重の波紋』を弾くことはわかっている。しかし、それ以外は不明だ。

「耳を澄ませていれば、神官たちの練習が聞こえるかもしれないけど……全曲を完璧に聞き取れる自信はないな」

 雪晴は、いら立たしげに耳をいじりながら話を続けた。

「曲目がわかっても、二つ目の問題がある。水奈が、すべての曲を演奏できるかどうか──技術的な意味でね」

 琴祭まで、あと半月もない。未知の曲が五つも六つもあるのなら、練習が追いつかない。

「仮に、水奈が全曲を弾きこなせるとしよう。それでも最後の問題が残ってる。一番の難問だ。一体、あの人をどうしたものか……」

 一番の難問について、水奈はなんとなく予想していた。
 予想は、雪晴の「あの人」という言葉で確信に変わった。

「……湖宇殿下のことですね」

「うん。湖宇兄上が、こちらの要望をすんなり受け入れるとは思えない」

 水奈たちが、いくら「弾かせてください」と頼んでも、第二王子の許可が下りなければ何もできない。

 水奈と雪晴の間に、重苦しい沈黙が降りる。その重苦しさを吹き飛ばすように、雪晴は明るい声で言った。

「悩んでいても仕方ない。一つずつ問題をつぶしていこう。まずは琴祭の曲目だ。これは、タカに聞けばわかるだろう」

「タカ様に?」

「琴祭は、神官総出の一大行事だからね。見習い神官にまで情報を行き渡らせていると思う」

「では、最高位神官のタカ様は、きっと曲目をご存知ですね」

「そうだね。今晩、タカを捕まえて聞いてみるよ」

「捕まえる?」

 水奈がきょとんと聞き返すと、雪晴は肩をすくめて笑った。

「最近のタカは忙しいからな。何も言わずにやって来て、ドタバタと片付けを済ませて、また無言で帰るんだ。すばやく声をかけないと捕まらないんだよ」

「そ、それは大変そうですね。食材が夕方に届いた時などは、私がいないのでありがたいですが……タカ様、大丈夫でしょうか?」

「どうだろう……無理に来なくていいとは言ってるんだけど」

「お体が心配ですね……」

「それもあるんだけどね。ちょっと怖いんだよ」

「怖い? タカ様がですか?」

「うん。子どもの頃、タカのことを興奮したイノシシだと勘違いして、泣きながら杖を振り回したこともあったし」

「イ、イノシシ?」

 なぜ、そんなものとタカを間違えたのか。雪晴は水奈の困惑を予想していたらしく、すぐに説明を始めた。

「タカは、神殿からここまで走って来るわけだろ。私のために急いで来てくれる。自分の歳も考えずにね。そうやって無理をするから──」

「するから?」

「呼吸が乱れて、鼻息の音がすごいんだ」

「……」

 必死の形相で、フガフガと息をするタカ。そんなタカに怯えて、ベソをかく子どもの雪晴。

 二人の姿が頭に浮かんだ瞬間、水奈は吹き出しそうになった。
 舌を噛んでこらえていると、雪晴がやけに神妙な声で言った。

「それをイノシシだと勘違いして、追い払うために杖を振り回していたら、手から抜けてしまってね。タカの顔の真横を、すごい速さで駆け飛んだらしい。あとでめちゃくちゃに怒られたよ。『私の鼻の穴を三つにするおつもりですか!』って」

 そこで、水奈はついに吹いてしまった。

「あっ、笑った。タカに言いつけてやろう」

 雪晴がにっこりと笑う。水奈はぎょっとした。

「殿下、あの、それは、あの……」

「やめてほしい?」

「は、はい」

「じゃあ隣に座って」

 水奈は、あせあせと立ち上がり、雪晴の隣へ正座した。勢いよく腰を下ろしたものだから、前髪がわずかに浮き上がった。

「殿下、次は何を──」

 と、水奈が言いかけた時。雪晴は水奈の肩を抱き、自身の胸元へふわりと引き寄せた。

「殿下⁉︎」

「水奈を捕まえるのは、こんなに簡単なのになあ」

 雪晴は肩が揺れるほど笑いながら、水奈の髪に頬をすり寄せた。
 そこで水奈は、からかわれたことにようやく気付いた。

「もう、ふざけないでください!」

 水奈は抗議を示そうと、軽く雪晴の胸を押し──ハッと息をのんだ。
 雪晴の心臓は、まるで怪物との戦いを控えているかのように、ドクンドクンと強く打っている。
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