43 / 127
琴祭の奇跡
42 四度目の神託
しおりを挟む
水奈が手のひらを差し出す。
そこへ、雪晴は指で文字を書き始めた。
以前のようなたどたどしさは、ほとんどない。
雪晴は神託を視る中で、文字を文字としてとらえることに慣れてきたらしい。
文字の一つひとつを、しっかり区別しながら書いていく。
おかげで水奈は、想定よりも早く神託を読み取れた。
「ミナ。コトマツリ。スベテ。カナデヨ……? これは……」
水奈は呟きながら、頭の中で言葉を整理した。そしてすぐに、神託の意味を理解した。
しかし同時に、「自分の理解は間違いではないか」と思わずにいられなかった。
とても達成できない、無理難題だ、と感じたからだ。
(殿下はどうお思いなんだろう)
水奈は、雪晴の顔を見た。
うつむく雪晴は、じっと考え込んでいるようだ。
首をひねる様子はない。神託の意味がわからないのではないようだ。
おそらく、水奈と同じ気持ちなのだろう。
困惑する二人は、しばらく黙っていた。口火を切ったのは、雪晴だった。
「……水奈。ひとまず、私の解釈を話してもいいかな?」
「はい……お願いいたします」
「『琴祭での演奏すべてに、水奈が参加する。そうすれば奇跡が起きる』──さっきの神託はそういう意味だと思うんだが、どうだろう?」
「私も、同じことを考えました……」
水奈はそう答えて、小さくため息をついた。
雪晴も深く息を吐き出すと、眉を寄せ、責めるように呟いた。
「銀龍様は、ずいぶん無茶なことをおっしゃるね」
水奈も似たようなことを考えたが、黙ったままうなずいた。
銀龍への不満をはっきり口にするのは、不敬な気がした。
とはいえ、黙っていては話が進まない。
雪晴もそれをわかっているらしく、仕切るように話し始めた。
「水奈が、琴祭で全曲を演奏する。そのためには、問題が三つあるよ」
「三つ、ですか?」
「ああ。一つ目の問題は、琴祭でどんな曲が演奏されるか、わからないことだ」
『滝の宴』と『百重の波紋』を弾くことはわかっている。しかし、それ以外は不明だ。
「耳を澄ませていれば、神官たちの練習が聞こえるかもしれないけど……全曲を完璧に聞き取れる自信はないな」
雪晴は、いら立たしげに耳をいじりながら話を続けた。
「曲目がわかっても、二つ目の問題がある。水奈が、すべての曲を演奏できるかどうか──技術的な意味でね」
琴祭まで、あと半月もない。未知の曲が五つも六つもあるのなら、練習が追いつかない。
「仮に、水奈が全曲を弾きこなせるとしよう。それでも最後の問題が残ってる。一番の難問だ。一体、あの人をどうしたものか……」
一番の難問について、水奈はなんとなく予想していた。
予想は、雪晴の「あの人」という言葉で確信に変わった。
「……湖宇殿下のことですね」
「うん。湖宇兄上が、こちらの要望をすんなり受け入れるとは思えない」
水奈たちが、いくら「弾かせてください」と頼んでも、第二王子の許可が下りなければ何もできない。
水奈と雪晴の間に、重苦しい沈黙が降りる。その重苦しさを吹き飛ばすように、雪晴は明るい声で言った。
「悩んでいても仕方ない。一つずつ問題をつぶしていこう。まずは琴祭の曲目だ。これは、タカに聞けばわかるだろう」
「タカ様に?」
「琴祭は、神官総出の一大行事だからね。見習い神官にまで情報を行き渡らせていると思う」
「では、最高位神官のタカ様は、きっと曲目をご存知ですね」
「そうだね。今晩、タカを捕まえて聞いてみるよ」
「捕まえる?」
水奈がきょとんと聞き返すと、雪晴は肩をすくめて笑った。
「最近のタカは忙しいからな。何も言わずにやって来て、ドタバタと片付けを済ませて、また無言で帰るんだ。すばやく声をかけないと捕まらないんだよ」
「そ、それは大変そうですね。食材が夕方に届いた時などは、私がいないのでありがたいですが……タカ様、大丈夫でしょうか?」
「どうだろう……無理に来なくていいとは言ってるんだけど」
「お体が心配ですね……」
「それもあるんだけどね。ちょっと怖いんだよ」
「怖い? タカ様がですか?」
「うん。子どもの頃、タカのことを興奮したイノシシだと勘違いして、泣きながら杖を振り回したこともあったし」
「イ、イノシシ?」
なぜ、そんなものとタカを間違えたのか。雪晴は水奈の困惑を予想していたらしく、すぐに説明を始めた。
「タカは、神殿からここまで走って来るわけだろ。私のために急いで来てくれる。自分の歳も考えずにね。そうやって無理をするから──」
「するから?」
「呼吸が乱れて、鼻息の音がすごいんだ」
「……」
必死の形相で、フガフガと息をするタカ。そんなタカに怯えて、ベソをかく子どもの雪晴。
二人の姿が頭に浮かんだ瞬間、水奈は吹き出しそうになった。
舌を噛んでこらえていると、雪晴がやけに神妙な声で言った。
「それをイノシシだと勘違いして、追い払うために杖を振り回していたら、手から抜けてしまってね。タカの顔の真横を、すごい速さで駆け飛んだらしい。あとでめちゃくちゃに怒られたよ。『私の鼻の穴を三つにするおつもりですか!』って」
そこで、水奈はついに吹いてしまった。
「あっ、笑った。タカに言いつけてやろう」
雪晴がにっこりと笑う。水奈はぎょっとした。
「殿下、あの、それは、あの……」
「やめてほしい?」
「は、はい」
「じゃあ隣に座って」
水奈は、あせあせと立ち上がり、雪晴の隣へ正座した。勢いよく腰を下ろしたものだから、前髪がわずかに浮き上がった。
「殿下、次は何を──」
と、水奈が言いかけた時。雪晴は水奈の肩を抱き、自身の胸元へふわりと引き寄せた。
「殿下⁉︎」
「水奈を捕まえるのは、こんなに簡単なのになあ」
雪晴は肩が揺れるほど笑いながら、水奈の髪に頬をすり寄せた。
そこで水奈は、からかわれたことにようやく気付いた。
「もう、ふざけないでください!」
水奈は抗議を示そうと、軽く雪晴の胸を押し──ハッと息をのんだ。
雪晴の心臓は、まるで怪物との戦いを控えているかのように、ドクンドクンと強く打っている。
そこへ、雪晴は指で文字を書き始めた。
以前のようなたどたどしさは、ほとんどない。
雪晴は神託を視る中で、文字を文字としてとらえることに慣れてきたらしい。
文字の一つひとつを、しっかり区別しながら書いていく。
おかげで水奈は、想定よりも早く神託を読み取れた。
「ミナ。コトマツリ。スベテ。カナデヨ……? これは……」
水奈は呟きながら、頭の中で言葉を整理した。そしてすぐに、神託の意味を理解した。
しかし同時に、「自分の理解は間違いではないか」と思わずにいられなかった。
とても達成できない、無理難題だ、と感じたからだ。
(殿下はどうお思いなんだろう)
水奈は、雪晴の顔を見た。
うつむく雪晴は、じっと考え込んでいるようだ。
首をひねる様子はない。神託の意味がわからないのではないようだ。
おそらく、水奈と同じ気持ちなのだろう。
困惑する二人は、しばらく黙っていた。口火を切ったのは、雪晴だった。
「……水奈。ひとまず、私の解釈を話してもいいかな?」
「はい……お願いいたします」
「『琴祭での演奏すべてに、水奈が参加する。そうすれば奇跡が起きる』──さっきの神託はそういう意味だと思うんだが、どうだろう?」
「私も、同じことを考えました……」
水奈はそう答えて、小さくため息をついた。
雪晴も深く息を吐き出すと、眉を寄せ、責めるように呟いた。
「銀龍様は、ずいぶん無茶なことをおっしゃるね」
水奈も似たようなことを考えたが、黙ったままうなずいた。
銀龍への不満をはっきり口にするのは、不敬な気がした。
とはいえ、黙っていては話が進まない。
雪晴もそれをわかっているらしく、仕切るように話し始めた。
「水奈が、琴祭で全曲を演奏する。そのためには、問題が三つあるよ」
「三つ、ですか?」
「ああ。一つ目の問題は、琴祭でどんな曲が演奏されるか、わからないことだ」
『滝の宴』と『百重の波紋』を弾くことはわかっている。しかし、それ以外は不明だ。
「耳を澄ませていれば、神官たちの練習が聞こえるかもしれないけど……全曲を完璧に聞き取れる自信はないな」
雪晴は、いら立たしげに耳をいじりながら話を続けた。
「曲目がわかっても、二つ目の問題がある。水奈が、すべての曲を演奏できるかどうか──技術的な意味でね」
琴祭まで、あと半月もない。未知の曲が五つも六つもあるのなら、練習が追いつかない。
「仮に、水奈が全曲を弾きこなせるとしよう。それでも最後の問題が残ってる。一番の難問だ。一体、あの人をどうしたものか……」
一番の難問について、水奈はなんとなく予想していた。
予想は、雪晴の「あの人」という言葉で確信に変わった。
「……湖宇殿下のことですね」
「うん。湖宇兄上が、こちらの要望をすんなり受け入れるとは思えない」
水奈たちが、いくら「弾かせてください」と頼んでも、第二王子の許可が下りなければ何もできない。
水奈と雪晴の間に、重苦しい沈黙が降りる。その重苦しさを吹き飛ばすように、雪晴は明るい声で言った。
「悩んでいても仕方ない。一つずつ問題をつぶしていこう。まずは琴祭の曲目だ。これは、タカに聞けばわかるだろう」
「タカ様に?」
「琴祭は、神官総出の一大行事だからね。見習い神官にまで情報を行き渡らせていると思う」
「では、最高位神官のタカ様は、きっと曲目をご存知ですね」
「そうだね。今晩、タカを捕まえて聞いてみるよ」
「捕まえる?」
水奈がきょとんと聞き返すと、雪晴は肩をすくめて笑った。
「最近のタカは忙しいからな。何も言わずにやって来て、ドタバタと片付けを済ませて、また無言で帰るんだ。すばやく声をかけないと捕まらないんだよ」
「そ、それは大変そうですね。食材が夕方に届いた時などは、私がいないのでありがたいですが……タカ様、大丈夫でしょうか?」
「どうだろう……無理に来なくていいとは言ってるんだけど」
「お体が心配ですね……」
「それもあるんだけどね。ちょっと怖いんだよ」
「怖い? タカ様がですか?」
「うん。子どもの頃、タカのことを興奮したイノシシだと勘違いして、泣きながら杖を振り回したこともあったし」
「イ、イノシシ?」
なぜ、そんなものとタカを間違えたのか。雪晴は水奈の困惑を予想していたらしく、すぐに説明を始めた。
「タカは、神殿からここまで走って来るわけだろ。私のために急いで来てくれる。自分の歳も考えずにね。そうやって無理をするから──」
「するから?」
「呼吸が乱れて、鼻息の音がすごいんだ」
「……」
必死の形相で、フガフガと息をするタカ。そんなタカに怯えて、ベソをかく子どもの雪晴。
二人の姿が頭に浮かんだ瞬間、水奈は吹き出しそうになった。
舌を噛んでこらえていると、雪晴がやけに神妙な声で言った。
「それをイノシシだと勘違いして、追い払うために杖を振り回していたら、手から抜けてしまってね。タカの顔の真横を、すごい速さで駆け飛んだらしい。あとでめちゃくちゃに怒られたよ。『私の鼻の穴を三つにするおつもりですか!』って」
そこで、水奈はついに吹いてしまった。
「あっ、笑った。タカに言いつけてやろう」
雪晴がにっこりと笑う。水奈はぎょっとした。
「殿下、あの、それは、あの……」
「やめてほしい?」
「は、はい」
「じゃあ隣に座って」
水奈は、あせあせと立ち上がり、雪晴の隣へ正座した。勢いよく腰を下ろしたものだから、前髪がわずかに浮き上がった。
「殿下、次は何を──」
と、水奈が言いかけた時。雪晴は水奈の肩を抱き、自身の胸元へふわりと引き寄せた。
「殿下⁉︎」
「水奈を捕まえるのは、こんなに簡単なのになあ」
雪晴は肩が揺れるほど笑いながら、水奈の髪に頬をすり寄せた。
そこで水奈は、からかわれたことにようやく気付いた。
「もう、ふざけないでください!」
水奈は抗議を示そうと、軽く雪晴の胸を押し──ハッと息をのんだ。
雪晴の心臓は、まるで怪物との戦いを控えているかのように、ドクンドクンと強く打っている。
0
お気に入りに追加
45
あなたにおすすめの小説
好きでした、さようなら
豆狸
恋愛
「……すまない」
初夜の床で、彼は言いました。
「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」
悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。
なろう様でも公開中です。
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました
さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。
王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ
頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。
ゆるい設定です
諦めて溺愛されてください~皇帝陛下の湯たんぽ係やってます~
七瀬京
キャラ文芸
庶民中の庶民、王宮の洗濯係のリリアは、ある日皇帝陛下の『湯たんぽ』係に任命される。
冷酷無比極まりないと評判の皇帝陛下と毎晩同衾するだけの簡単なお仕事だが、皇帝陛下は妙にリリアを気に入ってしまい……??
【完結】 悪役令嬢は『壁』になりたい
tea
恋愛
愛読していた小説の推しが死んだ事にショックを受けていたら、おそらくなんやかんやあって、その小説で推しを殺した悪役令嬢に転生しました。
本来悪役令嬢が恋してヒロインに横恋慕していたヒーローである王太子には興味ないので、壁として推しを殺さぬよう陰から愛でたいと思っていたのですが……。
人を傷つける事に臆病で、『壁になりたい』と引いてしまう主人公と、彼女に助けられたことで強くなり主人公と共に生きたいと願う推しのお話☆
本編ヒロイン視点は全8話でサクッと終わるハッピーエンド+番外編
第三章のイライアス編には、
『愛が重め故断罪された無罪の悪役令嬢は、助けてくれた元騎士の貧乏子爵様に勝手に楽しく尽くします』
のキャラクター、リュシアンも出てきます☆
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる